Baskerville (書体)
From Wikipedia, the free encyclopedia
|
| |
| 様式 | セリフ |
|---|---|
| 分類 | トランジショナル |
| デザイナー | ジョン・バスカヴィル |
| 制作会社 | ドベルニ&ペニョ、ライノタイプ |
| 発表年月日 | 1757年 |
| 提供元 | マーゲンターラー・ライノタイプ、ランストン・モノタイプ、アドビ、アメリカン・タイプ・ファウンダーズ、H・ベルトルトAG |
| 上記表示フォント | フランティシェク・シュトルムによる「Baskerville Ten」 |
Baskerville(バスカヴィル)は、1757年にイングランド・バーミンガムでジョン・バスカヴィルがデザインし、パンチカッター(父型彫刻師)ジョン・ハンディが金属活字として彫刻したセリフ書体である[1][2][3]。現在ではトランジショナル・ローマン体に分類され、同時代に広く用いられたオールドスタイル書体——とりわけウィリアム・カスロンの書体——をより洗練した書体として位置づけられている[4][注釈 1]。
バスカヴィル体は、それまでイギリスで一般的だった書体と比べ、太いストロークと細いストロークのコントラストが強く、セリフがより鋭く先細りになっている。また、丸みを帯びた文字の軸がより垂直に近づき[7]、曲線はより円形に、文字全体はより均整の取れたものとなった。これらの特徴は、バスカヴィルが若い頃に学び、また教えていたカリグラフィーの影響を受けたもので[8]、活字のサイズとフォルムに高い一貫性をもたらしている。バスカヴィル体は現在でも書籍デザインで高い人気を保ち、多くの現代的なリバイバル版が存在する。これらの復刻版には、バスカヴィルの時代には存在しなかったボールド体などの字種が追加されることも多い[9]。
バスカヴィルが所有していたオリジナルの活字は独占的に使われていたが[注釈 2]、彼の死後にフランスの出版業者へ売却されたため、後にはイギリス国内のパンチカッターが影響を受けたデザインを制作した[1]。ブリストルのフライ活字鋳造所は、同社の鋳造師アイザック・ムーアが彫ったとみられるバージョンを製作している[11][12][13]。これは20世紀に「フライズ・バスカヴィル(Fry's Baskerville)」または「バスカヴィル・オールドフェイス(Baskerville Old Face)」として販売され、より繊細な大きいサイズを基にしたデジタル化版は、一部のマイクロソフト製ソフトウェアに収録されている[14][注釈 3]。
受容

バスカヴィル体は、バスカヴィルが「最高品質の書物を作り出す」という野心的な計画のもとで生み出された書体である。彼は裕福な実業家で、若い頃は習字教師や墓石彫刻師として働いたのち、ワニス塗装品の製造で財を築いた。当時のイングランドの書籍は、一般に保守的なデザインの活字で低品質に印刷されていた。そうした状況の中で、バスカヴィルは従来にない高度な印刷技術を用いて、より上質な書籍を制作することを目指した。そのために彼は、精巧に作られた水平式の印刷機、高品質なインク、そして印刷後に圧力をかけて光沢を出した非常に滑らかな紙を使用した[17][18][19][20]。
バスカヴィル体は、同時代の最も著名な活字父型彫刻師ウィリアム・カスロンの活字と共通点を持ちつつも、その表現はより急進的であったとされる。ベアトリス・ウォードやジョン・ドレイファスは、バスカヴィル体のデザインには、彼が若い頃に学んでいたカリグラフィーの要素が反映されていると指摘しており、こうした特徴は銅版印刷では一般的だったが、イギリスで活字として彫られた例はこれまでほとんどなかった[5][21][22][注釈 4]。
その細部には、イタリック体の大文字Nに付けられた飾りや、小文字pに左上から入る書き出しのストロークなど、多様で複雑な意匠が含まれている。さらに、1730年頃に制作された彼の墓石彫刻の広告用石板には、1750年代の活字に似たレタリングが部分的に刻まれており、バスカヴィルが長い年月をかけて理想的な字形を追求していたことを示している[1][23][注釈 5]。
これらの要素を基に、ハンディはバスカヴィルの仕様に従って活字を彫り上げ、その結果、書体は彼の求めた「完璧さ」への理想を体現するものとなった[25]。バスカヴィルは7年間を費やして印刷プロジェクトを発展させ、1754年に趣意書を広告として公表したのち、1757年に最初の出版物であるウェルギリウス著作集を刊行し、引き続き古典作品の出版を行った[26]。
彼の代表作『失楽園』の序文では、バスカヴィルが印刷へ注ぐ情熱と、高度な美感を備えた書物を世に出したいという志が次のように述べられている[27][28]。
かねてより文字の美しさを讃美してきた私は、知らず知らずのうちにその完成に寄与したいと願うようになった。私は、それまで現れたものよりもさらに正確な字形を思い描き、自らが理想と考える比率に従って一揃いの活字を制作しようと努めてきた……私が印刷したいのは数多くの書物ではなく、真に価値ある書物——内在的な意義や確立された名声を備え、上質な装いによって読者の目に喜びをもたらし、そして並外れた配慮と費用に見合う価格で受け入れられるべき書物だけである。—ジョン・バスカヴィル、ミルトン著作集への序文、[4]
1758年、バスカヴィルはケンブリッジ大学出版局の「大学印刷工(University Printer)」に任命され[29]、1763年にはその地で彼の最高傑作と称されるフォリオ版聖書を出版した。

バスカヴィルの活字が生み出す鮮明な印字は、同時代の読者の間で強い反応を引き起こした。くっきりとしたコントラストが「目を傷つける」と批判する者もいれば[27]、彼の書籍が専門的で高価な版に限られていたことや、編集の水準にばらつきがあったこともあり、印刷業者として大きな成功を収めたわけではなかった[1][30]。しかし国外では高く評価され、特にピエール=シモン・フルニエ、ジャンバッティスタ・ボドニ、さらに印刷業者としてキャリアを開始したベンジャミン・フランクリンから賞賛を受けている。フランクリンはバスカヴィル宛の手紙で、彼の仕事を高く評価している[31][32][注釈 6]。
のちにイギリスでも再評価が進み、トーマス・フロッグナル・ディブディンは次のように賞賛した。彼は、バスカヴィルのイタリック体を「他の追随を許さない」と述べ、アルドゥスやコリナエウスの標本に見られる優雅さや自由さ、完璧なシンメトリーよりも優れていると評した。さらにバスカヴィルを「真に独創的な芸術家」であり、「イギリスに新しい印刷法を確立した人物」とし、ウィッティンガム、ブルマー、ベンズリーらの仕事によってその様式が完成に近づいたと述べている[34]。
1825年には、トーマス・カーソン・ハンサードが複雑な評価を述べており、バスカヴィルの功績を認めつつも、書体デザイナーというより優れた印刷業者であったと示唆した[18]。
バスカヴィルの死後、未亡人サラは彼の印刷資材を、ボーマルシェと関係のあるパリの文学協会に売却したため、これらはイギリスの印刷業者から遠ざかる結果となった。しかしA・F・ジョンソンは、大陸の書体デザインに対するバスカヴィルの影響を過大に評価する議論に警鐘を鳴らし、こう述べている。「グレートブリテン以外では、バスカヴィル派の直接的な影響はほとんど認められない(実際のバスカヴィル活字が用いられた例は別として)。ディドーは『ロマン・デュ・ロワ』から出発しており、もしバスカヴィルが印刷をしていなかったとしても同じ方向に進んだだろう。イギリス国内でさえ、タイポグラフィに“バスカヴィル期”が存在したものの、モダンフェイスはフランスから到来したものであり、バスカヴィルの延長線上にあるとはいえない。」[8]
一方で、バスカヴィルの活字と印刷のスタイルは、イギリスでは当初必ずしも主流とはいえなかったが、18世紀後半から19世紀初頭にかけての短い時期に大きな影響力を持っていたことが確認されている。影響を受けた例として、ジョセフ・フライや、彼のパンチカッターであった可能性が高いアイザック・ムーア、そしてグラスゴーのウィルソンなどが挙げられる。バスカヴィルの職長の兄弟が彫ったブルマーの書体も、その影響下にあるデザインであり、リチャード・オースティンが彫ったベル体も同様である[7][28]。
オースティンの伝記作家アラステア・ジョンストンは、この時期を「イギリスにおける革新的活字デザインの、栄光に満ちつつも短命だった時代」と評し、「『ロマン・デュ・ロワ』のような大きく見えるプロポーションを備え、バスカヴィルの造形を引き継ぎながら、より繊細で豊かなセリフを持つ調和の取れた書体」が特徴と述べている[35]。
フィリップ・ガスケルは、この時期の成功例として、グラスゴーのウィルソン鋳造所が1760年に制作したイングリッシュサイズ(14ポイント)のローマン体を挙げている。これはバスカヴィル初版(1757年)から数年後に作られたもので、そのポイントサイズの割に非常に大きく彫られていることが特徴である。ガスケルは「バスカヴィルの影響は明らかだが、幅・太さ・大きさの点でウィルソンはバスカヴィルを上回っている。大きなエックスハイトや広い字幅、そしてクリーンな仕上がりによって、このエレガントなフォントはバスカヴィル自身よりも彼の理念をよく体現している」と評価している[36][37][11]。
しかし、この後に大陸のディドー家やボドニの作品に代表されるディドニ様式の影響が強まり、バスカヴィルのスタイルは19世紀初頭には姿を消していった。ダニエル・バークレー・アップダイクによれば、この転換は1815年頃から1820年のあいだに起こったとされる[28]。イギリスとアメリカで人気を博した「スコッチ・ローマン」は、ディドニ様式とバスカヴィルの影響を併せ持つ中間的な存在である。
こうした歴史的経緯により、バスカヴィルは長く「ディドニ様式へ至る途上の、過渡的な存在」として位置づけられてきたが、もちろんバスカヴィル自身は、自らのデザインをそのように捉えることはなく、完成された到達点として考えていたと推測される[6][5]。
オリジナルのバスカヴィル活字(一部の文字は後に置き換えられたものを含む)は、1917年にブルース・ロジャースによってハーバード大学出版局のために復刻され、フランス・パリのG・ペニョ・エ・フィス社からもリリースされた[21]。現代のリバイバル版には、オリジナルには存在しなかった特徴——スワッシュの有無を選択できるイタリック体や、ボールドのウェイトなど——が追加されている。
バスカヴィルは現在でも広く使用されており、イギリスのバーミンガム大学や、アメリカ・バーモント州のキャッスルトン大学が発行する文書に採用されている[38]。カナダ政府のコーポレート・アイデンティティ・プログラムでも、特に「Canada」のワードマークにバスカヴィルの改訂版が目立って用いられている[39]。また、アメリカのノースイースタン大学や、英国王立音楽検定(ABRSM)でも別の改訂版が使用されている。
特徴
バスカヴィルの書体には、いくつかの明確な特徴が見られる。たとえば、大文字のEでは下のアームが上部より長く張り出し、Wの中央にはセリフがない。また、小文字gは下部のループが開いており、多くの字形では明瞭なボール・ターミナルが付いている。これは、それ以前の書体に見られるくさび形のセリフとは対照的である。
さらに、バスカヴィルのために制作されたフォントには、Rのレッグが直線的なものと曲線的なものの両方が存在する。最も特徴的なのはイタリック体であり、大文字Jにセンターバーが付くもの、あるいは他のイタリック大文字に装飾的なスワッシュが加えられるものまで多様である。また、小文字pにはペンの筆致を思わせる左上からの入りのストロークが見られ、wは中央に明確なループと左側にスワッシュを備えている。
総じて、バスカヴィルの活字は、先行する書体より「丸みを帯び、より鋭く彫られている」と評される[40]。ただし、この特徴の一部は後世の復刻版には継承されていない場合がある。
また、当時一般的に使用されていたアラビア数字の形式はテキスト数字(小文字数字)であり、大文字に揃える必要がある場合にはローマ数字が用いられた[18][28]。大文字は非常に太く(カスロン書体同様)、大きなサイズでの表示では小文字とのバランスが悪いと批判されることもある。
バスカヴィルはギリシア語活字も制作しており、その一部は現在オックスフォード大学に所蔵されている[41][42][43][44]。ただし、このギリシア語活字は伝統的なギリシア語の書体様式から逸脱しているとして批判されることもあり、広く普及するには至らなかった[45][46][注釈 7][47][48]。
また、装飾用オーナメントも制作しており、多くはハールレムのエンスヘデ活字鋳造所によるオーナメントの複製、あるいはその影響を受けたものだったとみられる[49]。
金属活字版


以下の活字鋳造所が、バスカヴィルの金属活字版を提供した。
- バスカヴィルのオリジナルのパンチは、彼の死後、未亡人サラによって売却され、ボーマルシェを介して最終的にG・ペニョ・エ・フィス社の所有となった。1953年にはシャルル・ペニョによってケンブリッジ大学出版局へ寄贈されている[51][52]。
- オリジナルの機材がフランスにあったため、ブリストルのフライ活字鋳造所は18世紀後半に独自のバスカヴィル版を制作した。この版は活字鋳造師アイザック・ムーアが彫ったものと広く考えられており、ムーア自身の見本帳にもこの書体が掲載されている[50][53][注釈 8]。大きいサイズでは字形が微妙に異なり、とりわけaの形状が変化している点で知られる。この特徴は、その後多くのバスカヴィル復刻版に受け継がれた[54]。モズリーはこのデザインについて、「大きいサイズでは、これまで作られた活字の中で最もエレガントなものの一つであり、決して単なる模倣ではない。小文字のカーブはバスカヴィルよりやや平坦で、セリフはわずかに先細りしている」と評している[11]。フライ版は、ジョン・スミス[注釈 9]による1787年版『印刷文法』(The Printer's Grammar)の付録見本帳にも掲載された。この中で「最初の計画は、バーミンガムの故バスカヴィル氏の活字を改善することであった」と述べられているが、人気が十分でなかったためか、同時にカスロン活字の復刻も制作している[28][12]。
- フライ社の後継者が事業を閉じると、そのバージョンはスティーブンソン・ブレイク社に買収され、「Baskerville Old Face」の名称で発行された。多くの模倣書体がこのデザインを基にしており、アメリカの印刷で一般的だった「スタンダード・ライン(共通基線)」規格に合わせるため、ライニング数字の追加やディセンダーの短縮が施されることも多かった[14]。
- アメリカン・タイプ・ファウンダーズもまた、フライ鋳造所のバージョンをコピーした。ただし同社はムーアによるイタリック体を十分とは見なさず、リチャード・オースティンが彫ったやや後期のベル書体を基にしたイタリック体を追加している[56]。
- イギリスのモノタイプ社は1923年、自社の鋳造・植字システム向けにバスカヴィルの復刻版を製作し、1924年の『ペンローズ・アニュアル』で発表した。これは20世紀イギリスの出版物で絶大な人気を博した[57][58]。他のモノタイプ復刻版と同様、現在では「Baskerville MT」と呼ばれることがある。またmacOSには、これよりやや細めにデジタル化されたバージョンがバンドルされている[59][60][61]。
- ドイツのD・ステンペル活字鋳造所は1926年に「Original-Baskerville」の名で復刻版を発表した。
- マーゲンターラー・ライノタイプ社のドイツ法人(Linotype AG)は、1927年にステンペル社の版をラインキャスター向けに改作した[62]。
- ライノタイプ社によるバスカヴィルは、1923年にジョージ・W・ジョーンズが原版を彫り、1936年に再刻された。ボールド版は1939年にチョーンシー・H・グリフィスが手掛けている。これは「Baskerville LT」と呼ばれる。
より広義には、トランジショナル体に属するスコッチ・ローマンという書体ジャンルが、バスカヴィルの影響を受けたものと位置づけられている。Georgia書体もこのジャンルに影響を受けたものである。19世紀初頭以降、大陸ではディドニ様式の影響が強まる一方、活字時代には、バスカヴィルの名声にあやかって全く無関係のデザインに「Baskerville」と名付けられることもあった[63][64]。
写真植字版

バスカヴィルは長年にわたって標準的な書体として扱われてきたため、コールドタイプ(写真植字)方式でも広く利用可能であった。アルファタイプ、オートロジック、ベルトルト、コンピュグラフィック、ダイモ、スター/フォトン、ハリス、マーゲンターラー、MGDグラフィック・システムズ、バリタイパー、ヘルAG、モノタイプといった多くのメーカーが、いずれも「Baskerville」の名称で書体を販売していた。
一方でグラフィック・システムズ社は、同系統のデザインを「Beaumont」(ボーモント)の名で提供していた[65]。
デジタル版

バスカヴィルは、太いストロークと細いストロークのコントラストが強調された精密なデザインであるため、現代のデザイナーはテキストサイズ・印刷方式・画面表示に応じて異なるリバイバルを使い分けることがある。これは、大きな文字サイズでは優雅に見える設計が、本文では細すぎて見える場合があるためである[9]。考慮される要素には、サイズやインクのにじみに対する補正の有無が含まれる(にじみの程度は印刷方式や紙質によって異なり、画面では発生しない)。数あるデジタル版の中でも、フランティシェク・シュトルムによるシリーズは、3種類のオプティカルサイズを備える点で特に高く評価されている。テキスト用サイズでは金属活字同様、可読性を高めるためストロークが太く調整されている[68][69]。一方、多くのマイクロソフト製品にバンドルされている一般的な「Baskerville Old Face」デジタル版は、細い部分と太い部分のコントラストが非常に強い。イタリック体も存在しないため、主に見出し用として適している[70][71]。
リバイバル書体が直面するもう一つの典型的課題として、イタリック体の「N」など特定の字形をどう扱うかがある。シュトルム版のような忠実なリバイバルではスワッシュが付くが、一般用途では注意を引きすぎたり、全大文字組で字間が整わない場合もある。そのため、多くのリバイバルではスワッシュなしの大文字を代替として提供している。
1980年頃、ベルトルト社でギュンター・ゲルハルト・ランゲとともにバスカヴィルのリバイバルをデザインしたディーター・ホーリヒターは次のように述べている。
我々はバーミンガムへ行き、バスカヴィルによるオリジナルの印刷物を見た。その見本の印刷のシャープさには非常に驚かされた。まるでカミソリのように鋭く、目にするのが痛いほどだった。とてもエレガントでハイコントラストだ! 彼はこの方法で、自身が何を達成できるかを示した。それがバスカヴィルの理想だったが、必ずしも現代に適しているわけではない。[72][73]
ライノタイプ、URW++、ビットストリーム、ソフトメーカーなど、多くの企業がバスカヴィルのデジタル版(古いリバイバルを含む)を提供している。これらにはスモールキャップスを欠くなど、機能面で違いがある場合も多い。Monotype BaskervilleはmacOSの一部としてプリインストールされている。一方、Windowsコンピュータでは、多くの場合URWによるデジタル版で、ムーアの翻案を基にした「Baskerville Old Face」(イタリック体やボールド体を持たない)が提供されている。
派生書体

特に個性的なバスカヴィルのリバイバル書体として知られるのが、ズザナ・リッコが1996年にデザインした「Mrs Eaves」である[74]。書体名は、バスカヴィルの家政婦から後に妻となった人物にちなんでいる。この書体は、ストロークの太さを変えずに紙面を明るく見せるため、エックスハイトが低めに設定されているのが特徴で、本文向きというよりは書籍タイトルや見出し用に使われることが多い[75][76][77]。また、多様な合字が用意されており、隣接する文字を連結させることで独特の視覚効果を生み出す[78]。後にリッコは、サンセリフ体のコンパニオン書体「Mr. Eaves」も制作した。
マシュー・カーターによる「Big Moore」は、アイザック・ムーアの初期の翻案(「Baskerville Old Face」とも呼ばれる)の大サイズを近年デジタル化したもので、イタリック体も含まれている[50][54][79][80]。
Okaytypeの「Harriet」は、19世紀アメリカの印刷物にインスピレーションを得た書体である[81]。
「Libre Baskerville」は、高めのエックスハイト、広めのカウンター、そして控えめのストロークコントラストにより、スクリーン表示での可読性に最適化された書体である[82]。

画像
バスカヴィルが出版した書物の例。
- 『ジョゼフ・アディソン著作集』第1巻(1761年)
- バスカヴィルの1763年版聖書の扉ページ(特注のレタリングが施されている)
- ロバート・アンドリュースによるウェルギリウスの英訳(1766年)
- バスカヴィルの1760年版『聖公会祈祷書』
- 同書の1766年版