アメリカン・タイプ・ファウンダーズ
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現地語社名 | American Type Founders Co. |
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| 業種 | 活字鋳造所 |
| その後 | 解散 |
| 設立 | 1892年2月8日 |
| 解散 | 1993年 |
| 本社 |
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主要人物 | リン・ボイド・ベントン、モリス・フラー・ベントン、ジョセフ・W・フィニー、ウォッズワース・A・パーカー |
アメリカン・タイプ・ファウンダーズ(American Type Founders、略称:ATF)は、アメリカ合衆国にかつて存在した書体会社。同国の活字鋳造所23社の統合によって設立された企業体であり、1930年代まで世界最大級の書体メーカーの一つとして知られた。ATFの書体展開において中心的な役割を担ったのは、著名な書体デザイナーのモリス・フラー・ベントンであった。代表的な書体には、Franklin Gothic、Hobo、Century Schoolbook、Goudy Old Styleなどがある。20世紀前半にはすでに市場の変化によって経営難に陥り、1993年に会社は解散した。
ATFは1892年、主に東海岸および中西部に拠点を置く23の活字鋳造所が合併して誕生した。その後数十年の間にさらに多くの企業がこの連合に加わり、またATFと販売契約やライセンス契約を結ぶ企業も現れた。この統合の主な背景の一つは、特にライノタイプ社やモノタイプ社が推進した組版機の普及により、手組み活字の売上が減少したことにあった。ATFの設立に参加した企業は以下の通りである[1]。
- ニューヨーク市:James Conner's Sons、P. A. Heinrich、A. W. Lindsay
- フィラデルフィア:MacKellar, Smiths, & Jordan Co.、Collins & M'Leester、Binny & Ronaldson
- ボストン:Dickinson Type Foundryおよびその子会社Phelps, Dalton, & Co.
- バッファロー:Lyman & Son
- ボルチモア:Charles J. Carey & Co.、The John Ryan Co.、J. G. Mengel & Co.、Hooper, Wilson & Co.
- シンシナティ:Allison & Smith、Cincinnati Type Foundry
- クリーブランド:Cleveland Type Foundry of H. H. Thorpe
- シカゴ:Marder, Luse, & Co.、Union Type Foundry
- ミルウォーキー:Benton, Waldo & Co.
- カンザスシティ:Kansas City Type Foundry
- サンフランシスコ:Palmer & Rey

最初の書体見本帳は1895年に発行された。1903年にはニュージャージー州ジャージーシティに本社を開設した[2]。製品群に関しては、統一された企業体となった連合の経営陣は、既存の製品を整理統合し、差別化を図る方針を採った。合併した各鋳造所の多様な製品群に起因する重複した書体の生産は中止され、一方で成功した書体は集約され、まとまった書体ファミリーとして新たに市場に投入された。この企業の創造的中心人物であり、アートディレクターとして書体展開の責任者を務めたのがモリス・フラー・ベントンであった。モリス・フラーが主にATFの創造的な側面を担った一方、彼の父であり、ATFの設立にも関与したタイポグラファー兼発明家のリン・ボイド・ベントンは、パントグラフ技術に関するいくつかの革新をもたらし、それによって個々の文字サイズの視覚的な品質と可読性を最適化した[3]。

ATFの成功、ひいてはその名声は、販売された書体の質の高さと、タイポグラフィ責任者たちの評価に大きく支えられていた。1900年以降、モリス・フラー・ベントンは書体展開の責任者を務めた。彼はその4年前に父の助手として入社していた[4]。モリス・フラーはATFのために数々の書体をデザインし、その多くは今日に至るまでアメリカのタイポグラフィの標準となっている。Franklin Gothic、Alternate Gothic、Bank Gothic、Cheltenham、Century Schoolbook、Hobo、そして古典書体であるGaramondとBodoniの独自バージョンなどがその例である。他の大手メーカーのGaramondと同様、ATFのバージョンもフランスの活字彫刻師ジャン・ジャノンの書体見本に基づいていたが、この誤りが判明したのは1920年代になってからのことであった。フレデリック・ガウディ、ウォーレン・チャペル、オズワルド・クーパー、ジョセフ・W・フィニーといった他の書体デザイナーもATFの品揃えを拡充した。中には、ガウディがデザインしたCopperplate GothicやGoudy Old Styleなど、今日でもアメリカタイポグラフィの古典として数えられる書体も含まれている[2]。

ATFは数十年にわたり、アメリカ市場で準独占的な地位を築いた。その広範な事業展開により、この企業はアメリカ国内における活字書体の需要の約85%をカバーするに至った[1]。ATFが一時的に達成した市場支配的地位を象徴するのが、1923年に発行された書体見本カタログである。これは1,100ページを超え、全ページがカラーで印刷された威信を示す出版物であった[5]。しかし、1929年からの世界恐慌で会社の売上は急激に落ち込んだ。書体の売上が大幅に減少した上、設備規模が過大になっていたことも明らかになった。1933年、ATFは破産を申請した。その後、抜本的な合理化策によって、ATFは大恐慌時代を乗り切ることができた。もう一つの変化として、共同設立者のリン・ボイド・ベントンとその息子モリス・フラー・ベントンが1930年代に会社の経営から身を引いた[6]。
1930年代の経営再建にもかかわらず、同社がかつての地位を取り戻すことはなかった。ベントン父子とATFの発展に関する本の著者であるパトリシア・コストは、1994年に業界誌『ALPHA』に寄稿した長文の専門記事で、ATFの緩やかな衰退には内部的な原因もあったと指摘している。不利な経済状況に加え、経営陣の高齢化、後継者育成の欠如、そしてそれに伴う構造改革への消極性がこの衰退を加速させたとされる[6]。1959年、ATFは機械メーカーのWhitin Machine Worksに買収された。台頭しつつあった写真植字機の市場に参入しようとする試みも、会社の衰退を止めることはできなかった。1986年、同社は箔押し機メーカーのKingsleyの所有となり、その後Kingsley-ATFのブランド名で事業を行った。1993年に生産は完全に停止され、活字鋳造用の母型を含む在庫の一部がオークションで売却された[7]。
アナログとデジタルの遺産
ATFの初期の関連部門の一つに、ATFライブラリ&ミュージアムがあった。同社の活字史料を保管していたヘンリー・ルイス・ブレンの指導のもとで、印刷物、書体見本、原稿や記録物を収集・保管していた。1933年までニュージャージー州ジャージーシティの本社に拠点を置き、同社の参照コレクションとして、また印刷文化を育む文化施設として機能した。1933年の倒産後、売却されることになったが、その所蔵品は1941年にニューヨークのコロンビア大学に引き取られ、大学独自のコレクションとして引き続き利用されている[8]。
ATFの書体は、すでに20世紀のうちにライノタイプ、モノタイプ、アドビ、ドイツのメーカーであるURWといった様々な販売代理店によってライセンス供与され、販売されてきた[7]。ATFの書体の多くは20世紀の古典と見なされており、例えば書体販売会社FontShopが2007年に行った「ベスト書体100」ランキングには、ATFのFranklin Gothic、Bank Gothic、Copperplate Gothic、News Gothicが挙げられている[4]。Franklin Gothicは、最も有名なアメリカのサンセリフ体であり、書体分類のサブグループであるアメリカン・グロテスクの代表例とも考えられている。ATFの書体資産のデジタル化や再展開には、P22やRed Rooster Collectionといったアメリカの小規模な書体販売会社もいくつか取り組んでいる。カリフォルニア州バークレーの企業が運営する書体レーベル「The ATF Collection」は、ATFの古典書体の復刻を専門としている[9][10]。