IRT9番街線脱線事故
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事故
1905年9月11日の朝ラッシュ時間帯、6番街線列車の続行であった9番街線列車に対し、信号扱掛が誤って6番街線への進路を設定した[4]。6番街線方面へは制限速度9mph (14km/h) の急カーブとなっていたが、列車は制限速度を大幅に超過した30mph (48km/h) で進入した[2][1][5]。進路の異常に気が付いた運転士ポール・ケリーは非常ブレーキを使用したが間に合わず、先頭車両は辛うじて線路上に留まったものの、2両目は脱線し、片側が高架下の通りに転落、もう片側が高架橋に残る形となった。また、2両目はサードレールに車体が接触したため、火災も発生した[6]。
車両の屋根が引きちぎられたため、多くの乗客は下の通りへ転落した。また数名が3両目の車体から脱落したモーターなどの下敷きとなった。なお、数名の乗客は窓から脱出することができた[6][7]。2両目より後方の車両も脱線したが、全車両とも転落することはなく高架橋上に留まっていた。
この事故で発生した死者・重傷者は全て2両目の乗客であり、死者は13人、重傷者は48人であった[1]。また、下の通りで勤務していた警察官も負傷している[8]。

