インターボロー・ラピッド・トランジット
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| インターボロー・ラピッド・トランジット Interborough Rapid Transit Company | |
|---|---|
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IRTの低電圧制御電動車(モショル・パークウェイ駅) | |
| 基本情報 | |
| 国 | アメリカ合衆国 |
| 所在地 | ニューヨーク州ニューヨーク市 |
| 種類 | 地下鉄、高架鉄道 |
| 開業 | 1903年 |
| 廃止 |
1940年 (ニューヨーク市運輸委員会が承継) |
| 詳細情報 | |
| 路線数 | 8 |
| 軌間 | 4 ft 8+1⁄2 in (1,435 mm) |
| 電化方式 | 直流600ボルト、第三軌条方式 |
| 通行方向 | 右側通行 |
| 備考 | 路線網の大部分は現在もニューヨーク市地下鉄の一部として営業中。 |
インターボロー・ラピッド・トランジット(英語: Interborough Rapid Transit Company、略称IRT)は、1903年から1940年にかけてニューヨーク市で地下鉄、高架鉄道などの都市鉄道を運営していたアメリカ合衆国の鉄道会社[1]。
1940年にニューヨーク市によって買収され、もう1つの民間鉄道事業者だったブルックリン・マンハッタン・トランジット (BMT) および市営の地下鉄事業者インディペンデント・サブウェイ・システムと統合され、ニューヨーク市地下鉄になった。かつてのIRTの路線群は、現在のニューヨーク市地下鉄において系統記号が数字で表される各路線となっており、AディビジョンあるいはIRTディビジョンと呼ばれている。
最初のIRTの地下鉄は、ブロードウェイの地下をシティ・ホール駅と145丁目駅の間に1904年10月27日に開通した。地下鉄と既存の高架鉄道網の間で利点を巡って、そしていくつもの提案経路を巡って、20年以上に渡る議論を経て開通したものであった。
オーガスト・ベルモント・ジュニアとジョン・マクドナルドのラピッド・トランジット・コンストラクション社がアンドリュー・オンダーロックよりも高い値段を付けて、1900年に鉄道路線建設権を獲得したことを受けて、ニューヨーク最初の地下鉄道網を建設するために、ベルモントが1902年5月6日にIRTを設立した[2]:20–22。IRTの最初の地下鉄が開業するより1年以上前の1903年4月1日に、IRTは既存の高架鉄道であるマンハッタン鉄道をリースで傘下に収め、マンハッタンにおける都市鉄道の独占を確立した。マンハッタン鉄道は、マンハッタンにおいて4本の高架鉄道を運営しており、ブロンクス区にも伸びていた。IRTは、地下鉄と高架鉄道の間で一部の運行を調整して組み合わせたが、後にマンハッタン鉄道由来の路線網はすべて廃止された。
都市の大々的な拡大の結果、1913年にIRTはブルックリン・ラピッド・トランジットとの間で地下鉄網の拡大のためのデュアル・コントラクトに調印した[3]:2–3。
IRTは、1940年6月12日に保有する資産と列車の運行をニューヨーク市に買収されて、民間企業としての機能を終えた。
こんにち、IRTの路線網はニューヨーク市地下鉄のAディビジョンとして運営されている。運営されている路線はマンハッタンで地下を走っており、例外はマンハッタンの北側でハーレムの125丁目駅付近の短い区間だけである。ブロンクスにおける路線網は、大部分が高架線で、一部が地下線、そして廃止となったニューヨーク・ウェストチェスター・アンド・ボストン鉄道から購入した線路敷を利用した地上走行区間があり、この区間は現在はIRTダイアー・アベニュー線となっている。ブルックリン区の路線は、地下を走り一部高架による延長線でニューロッツ・アベニュー駅へ達するもの、および地下のIRTノストランド・アベニュー線でフラットブッシュ・アベニュー-ブルックリン・カレッジ駅へ達するものがある。クイーンズ区を走る唯一の路線であるIRTフラッシング線は、ほとんど高架線であり、スタインウェイ・トンネルに入る一部とフラッシング-メイン・ストリート駅へ至る一部のみが地下である(IRTフラッシング線のマンハッタンの全区間は地下である)。IRT2番街線が廃止となった1942年以降、IRTフラッシング線は他のIRTの路線と線路が接続されていない。IRTフラッシング線は、クイーンズボロ・プラザ駅の上層階でBMTアストリア線を通じて他の地下鉄網につながっている。