Johnny
日本のギタリスト、歌手、実業家
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来歴・人物
子どもの頃は野球やサッカーが得意なスポーツ少年だった[2][3]。しかし、小学5年のとき、溶連菌感染症で約3カ月間の入院を余儀なくされる大病を患う[2][3]。中学卒業まで体育の授業は見学だったという[3]。病室のベッドのラジオで『American Top 40』(当時のFEN)や『全米トップ40』(ラジオ関東)を聴き、キャロル・キングやカーリー・サイモン、ビリー・ジョエルといった洋楽と出会う[2][4]。病気がなかったら、音楽と巡り合わなかったかもしれないと述べている[4]。退院後は当時世に出始めだった吉田拓郎や泉谷しげるを聴き[4]、フォークギターを手にする[2][4]。中学2年のとき、『リブ・ヤング!』(フジテレビ)で演奏する矢沢永吉率いるキャロルをテレビで見て、「俺もこういうバンドをやりたい!」と夢を抱き[2][4]、神奈川県立柏陽高等学校進学後、アルバイトでお金をためて中古のエレキギターを買い、同じクラスだった翔と1974年にロックバンドを結成[4]。これが横浜銀蠅の大元で[4]、神奈川大学進学後に横浜銀蠅を結成[2]。
1979年、大学在学中の20歳の時に、TCR横浜銀蝿RSにリードギター担当の「Johnny」という芸名で参加する。1981年、自ら作詞・作曲した『ジェームス・ディーンのように』でソロデビュー。この曲は、ドラマ『茜さんのお弁当』(TBS系列)の主題歌となり、オリコン年間チャート16位となった。いわゆる「ツッパリ」スタイルの横浜銀蝿は、リートボーカルの翔のハスキーで荒々しい〝ダミ声〟が特長だったが、Johnnyは優しく〝甘い声〟で歌い、メンバーの中で唯一口髭も生やしていなかった。このため女性からの人気が高かった[2]。その後、ソロで『$百萬BABY』などもヒットする。1983年末に横浜銀蝿が解散した後も、横山みゆきとのデュエットで『太陽のツイスト』などを発売してソロ活動を続けるが、銀蝿時代ほどのヒットにはならなかった[2]。
1988年に、ミュージシャンとしての活動に終止符を打ち、キングレコードに制作者として入社[2]。ディレクターとして、中山美穂、的場浩司、高橋良明、HOT LEGSらの作品作りを支える。2002年からベルウッドレコードのプロデューサーとなり、フォークソング創成期のEP版レコードのCD-BOX化などの他、Sound Horizonの後見人としてメジャーデビューを手掛ける。その後、キングレコードのJ-popセクションの制作宣伝部部長などを経て、2009年1月、キングレコード執行役員に就任。2013年7月キングレコード上席執行役員と兼務で関連会社のベルウッドレコード代表取締役社長に就任した[2]。
キングレコード入社後は、実質的にミュージシャンとしての活動はしていない。1998年に銀蝿が再結成した際には、復活第一弾アルバム『ぶっちぎりVII』のレコーディングとCD・ライヴパンフレット用の写真撮影には参加したものの、ライブ活動は本業が多忙なために加わらなかった。以後は銀蝿の活動には参加していなかったが、2019年に「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL 40th」で、オリジナルメンバー4人揃って、2020年までの期間限定でメンバーとして復帰することを発表した。一方、2007年1月までインディーズバンドを支援する『YOKOHAMA FACTORY』を展開していた。
エピソード
ディスコグラフィ
シングル
| # | 発売日 | タイトル | B面 | 規格 | 規格品番 |
|---|---|---|---|---|---|
| キングレコード / Johnny Johnny 名義 | |||||
| 1st | 1981年11月18日 | ジェームス・ディーンのように | 人生をかたるには | EP | K07S-248 |
| 2nd | 1982年6月23日 | $百萬BABY | 土曜の夜はHighwayDanceで | K07S-305 | |
| 3rd | 1983年5月18日 | みにくいアヒルの子 | 恋のOne Scene | K07S-404 | |
| キングレコード / Johnny Johnny & みゆき 名義 | |||||
| 4th | 1983年12月21日 | 太陽のツイスト | たそがれ | EP | K07S-490 |
| キングレコード / Johnny Johnny 名義 | |||||
| 5th | 1985年4月23日 | ジュリエットの幻影 | 魅惑のカーチェイス | EP | K07S-10010 |
| 6th | 1985年9月21日 | いろあせて蜃気楼 | 鏡の中自分(おまえ) | K07S-10050 | |
アルバム
オリジナルアルバム
ベストアルバム
その他アルバム
参加アルバム
- YOKOHAMA FACTORY (2001年11月25日)
ビデオ
タイアップ一覧
| 曲名 | タイアップ | 収録作品 |
|---|---|---|
| ジェームス・ディーンのように | TBS系ドラマ『茜さんのお弁当』主題歌[5] | シングル「ジェームス・ディーンのように」 |
楽曲提供
- 嶋大輔
- 紅麗威甦
- めちゃんこ愛してRock'n Roll(1982年1月20日)- 作詞/作曲:Johnny/編曲:Johnny、若草恵
- HIGHWAY STAR(1982年9月21日)- 作詞:嵐ヨシユキ/作曲:Johnny/編曲:横浜銀蝿
- YUKIKO(1982年9月21日)- 作詞:嵐ヨシユキ/作曲:Johnny/編曲:横浜銀蝿
- 杉本哲太& LONELY-RIDERS
- On The Machine (翔と桃子のロックンロール)(1982年5月21日)- 作詞:牧野和子/作曲:Johnny/編曲:横浜銀蝿
- 麗灑
- Saturday Night(1982年9月21日)- 作詞:嵐ヨシユキ/作曲:Johnny/編曲:後藤次利
- あんたにOK(1982年9月21日)- 作詞:嵐ヨシユキ/作曲:Johnny/編曲:後藤次利
- 岩井小百合
- 矢吹薫
- 渚より愛をこめて(1983年11月1日)- 作詞:翔/作曲:Johnny/編曲:アキ&イサオ
- アキ&イサオ
- 宗谷物語(1984年5月)- 作詞:翔/作曲:Johnny/編曲:若草恵
- BLACK SATAN
- 夏のままサンセット(1985年10月)- 作詞:桃太郎/作曲:Johnny/編曲:田口オサム
- 別れのベイサイドストリート(1985年10月)- 作詞:高橋研/作曲/編曲:Johnny
- 杉本哲太
- 九鬼谷温泉(1986年2月)- 作詞:畑中純/作曲/編曲:Johnny
- WALTHER
- KICK AND RUSH(1986年)- 作詞:今村未仁/作曲:Johnny/編曲:上村イサオ
- 山瀬まみ
- 桃太郎
- SHONAN FEELING(1987年4月)- 作詞:今村未仁/作曲:Johnny/編曲:上村イサオ
- 麻生真美子
- 翔
- YOKOHAMA(1994年1月21日)- 作詞:翔/作曲:Johnny/編曲:板倉雅一
出演(浅沼正人名義を含む)
映画
- 微熱少年(1987年) - カミナリ族のリーダー役
音楽番組・バラエティ
ラジオ
- セイ!ヤング21スペシャル(2002年1月19日、文化放送)
- YOKOHAMA MUSIC AWARD(2002年1月25日、FMヨコハマ)