高橋良明

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生年月日 (1972-09-02) 1972年9月2日
没年月日 (1989-01-23) 1989年1月23日(16歳没)
出生地 日本の旗 日本東京都
身長 167cm
たかはし よしあき
高橋 良明
生年月日 (1972-09-02) 1972年9月2日
没年月日 (1989-01-23) 1989年1月23日(16歳没)
出生地 日本の旗 日本東京都
身長 167cm
血液型 O型
職業 俳優子役)・歌手
活動期間 1984年 - 1989年
著名な家族 高橋知秀(弟)
主な作品
うちの子にかぎって2
オヨビでない奴!
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高橋 良明(たかはし よしあき、1972年昭和47年〉9月2日 - 1989年平成元年〉1月23日)は、1980年代後半に活動していた日本の俳優アイドル歌手である。

東京都目黒区で生まれ、神奈川県横浜市で育つ。1984年(昭和59年)、横浜市立嶮山小学校在学中に児童劇団東京宝映(宝映テレビプロダクションの前身)に入所し、子役として芸能界デビュー。

1985年横浜市立すすき野中学校在学中に出演したテレビドラマ『うちの子にかぎって2』(TBS系列)で人気を博し、1987年(昭和62年)には『オヨビでない奴!』(同)でドラマ初主演。また、同年11月21日には「天使の反乱」(キングレコード)でアイドル歌手としてもデビュー。同楽曲はオリコンランキングの9位にランクインした。歌手デビューから1年間で発表したレコードの総売上は81万枚に達した[1]

明治大学付属中野高等学校在学中であった、1989年1月5日夜、横浜市青葉区(当時は横浜市緑区)から川崎市麻生区にかけてオートバイ無免許で走行中、車道を横断していた女子中学生をはね、その際にバランスを崩して路上駐車の車両に激突し、重傷を負う[1]。直ちに救急搬送されるが、重症頭部外傷で全治3カ月との診断が下され、命に別条はないと家族や関係者に伝えられた[1]

4日後の1月9日には意識が戻り、会話ができる状態にまで回復していたが[1][2]、同月22日に容態が急変、意識不明となり、翌23日午前2時46分に死亡した[2]。死亡当日、某大学病院にて司法解剖が行われ、死因は頭部打撲による小脳くも膜下出血及び中脳出血と公表された[1][2]。しかし、医療事故ではないかと遺族の訴えがあり、バイク事故の外傷を死因とする病院側とで意見が対立した。高橋の遺体に病院の浴衣を着せることを高橋の家族が拒否したとの報道もあった[要出典]。また、この報道によって、病院側が高橋家を名誉棄損で訴えたが、結果は病院側の敗訴となった。

事故当時、高橋は250ccの中型バイクを運転していたが、原付免許の取得のみで普通自動二輪車の免許は取得していなかったため無免許運転であった[注 1]。被害者である中学生は大腿部を骨折して全治2か月の重傷を負っており、高橋の死後、被疑者死亡による不起訴処分とされた。しかし、不起訴とはいえ、高橋は道路交通法を犯していたため、事故前に収録されていた出演ドラマ『春日局』の「総集編」放送では、出演シーンが全て割愛された。

高橋の葬儀にはファンを含む5000人が訪れ[1]、その後の追悼集会では1万8000人のファンが集まった[1]。その後も追悼アルバムやベストアルバムなどが発売されている。

2026年4月15日、アルバム5作品(「もうちょっとでヒーロー」「夏物語へようこそ!」「Stay With Me」「夢で逢えるさ!」「YOSHIAKI FOREVER」)が各サブスクリプションサービスにて配信開始[3][4]

人物

家族

兄弟に2歳年下の弟(知秀)と4歳年下の妹がいる。

弟の高橋知秀は、シンガーソングライターとして活動。1998年から路上ライブを始め、2001年にベルウッド・レコードよりメジャーデビュー。2005年12月4日には兄のデビュー曲『天使の反乱』をカバー収録したオリジナルアルバム『希望の歌』をリリースしている。また、同日に行われた永田町・星陵会館での『高橋良明17回忌メモリアルライブ』にも出演している。2008年10月末、交通事故で重傷を負い、一命は取り留めたものの1年以上の長期入院を余儀なくされ、更に後遺症が残ったため、退院以降の音楽活動は休止状態となっている。

広島東洋カープなどに所属していた元プロ野球選手の高橋慶彦は従兄にあたる。

2013年8月16日放送の『爆報! THE フライデー』に母親と妹が出演した。

エピソード

初主演ドラマ『オヨビでない奴!』での演技が評価され、共演者である植木等所ジョージとの3ショットがきっかけで、「第二の植木等」「第二の所ジョージ」と評された[5]

『オヨビでない奴!』『五稜郭』などで共演した石川博之とは中学の同級生であり友人であった[6]。なお、石川もまた、高橋が事故死した翌1990年(平成2年)10月末、同じくバイク運転中にトラックと衝突し死亡した。

様々な番組で共演した松本留美を母親のように慕っており、笑っていいとも!の出演時の次回のゲスト紹介の時も松本を紹介した。さらに、生涯最後の出演作である『春日局』で共演したガッツ石松とは、親子盃を誓った仲と証言されている[5]

後に「純烈」のリーダー・プロデューサーとなる酒井一圭は、少年時代に高橋と同じ東京宝映に在籍しており、年上の高橋を兄のように慕っていたという。酒井は一時、学業専念のため芸能界から引退を決意したが、その際に高橋は酒井を引き留めたという[7][8]

実家は、鮮魚店を営んでいた[9]

出演

テレビドラマ

他にも『ツヨシしっかりしなさい』(1989年、日本テレビ)に、高橋の主演予定で全キャストが発表されていたが、高橋の死去により、主演は森且行に急遽変更された。

映画

バラエティ番組

CM

ラジオ

楽曲

シングル

  1. 天使の反乱/Let's Dance(1987年11月21日、キングレコード)オリコンチャート最高位 9位
  2. 恋の3.2.1/マドンナをおとせ(1988年4月21日、キングレコード)最高位 6位
  3. ヴィーナスの失敗/STAND UP!(1988年7月11日、キングレコード)最高位 7位
  4. 悲しきバッド・ボーイ/突然…KISS!(1988年10月21日、キングレコード)最高位 23位
  5. 抱きしめて…サンライズ/夢で逢えるさ(1989年1月1日、キングレコード)最高位 43位
  6. 夢で逢えるさ/抱きしめて…サンライズ(1989年2月25日、キングレコード)※追悼シングル 最高位 54位

アルバム

  • もうちょっとでヒーロー(1988年2月10日) - ミニアルバム
  • 夏物語へようこそ!(1988年7月11日)
  • Stay With Me(1988年12月16日) - 限定版
  • 夢で逢えるさ(1989年3月21日) - 追悼アルバム
  • YOSHIAKI FOREVER(1990年2月21日)
  • 高橋良明パーフェクトベスト(2010年7月7日) - ベストアルバム(ASIN B003I8WZMM

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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