KEIRINグランプリ'85
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競走内容
並びは、清嶋-尾崎-山口、佐々木-井上-中野、滝澤-伊藤-高橋。
ジャン前で中野が前団にいた東京勢を叩きに出たものの、ジャンで尾崎の牽制を受け一瞬浮いてしまう。しかし佐々木がうまく車間を開けて中野を迎え入れて、中野は4番手に。そして九州勢の並びは中野-佐々木-井上に変わる。
主導権は清嶋以下東京勢がそのまま握り、最終1センター付近から滝澤が捲っていくも、井上のブロックが利いて車が進まず、そして滝澤の捲りが不発と見るや、バックから中野がスパート。
中野は4角で完全に捲りきり、そのまま押し切って初代KEIRINグランプリ王者に。2着には中野と佐々木の間を突いてきた井上、3着は佐々木だった。
競走結果
エピソード
- この開催が決定したのは当年10月頃であった。準備不足もあり、場外発売を行った競輪場は僅か10場と非常に少なく、特に近畿地区の競輪場では全く場外発売が行われなかった。加えて当時はまだ競輪では電話投票はほとんど普及していなかった。またテレビ中継もレース当日にテレビ東京系列で30分番組として放送されることが急遽決まったものの、ネットされない地区が多かった。
- ちなみに、今では各公営競技においてしばし行われるようになった、選手のファンへのお出迎えサービスはこのKEIRINグランプリ'85が最初である[1](グランプリ出場選手9名が立川競輪場入場門口に勢ぞろいした)。
- 開催日が12月30日だったということも手伝った格好となったが、当日の入場者は約4万人を数え[2]、売り上げもグランプリ1レースで12億円超となったことから、競輪黄金時代が復活したと競輪評論家、関係者を大いに喜ばせた[3]。そして以後のグランプリにおいても、レース当日には3万人以上を集める、公営競技界の一大イベントとして君臨することになる(但し現在では2万人を超えることはほぼない)。
- この競走(レース)は他の公営競技にも多大な影響を与え、競艇では翌年の1986年から、優勝賞金3000万円の賞金王決定戦が行われ、オートレースでは翌々年の1987年の3月にスーパースター王座決定戦が開催されるなど、その年(年度)のグランドチャンピオンを決する大会が続々と誕生するようになった。
- 9選手は現在のS級S班のような赤いレーサーパンツを着用し、レースに臨んだ。