U256 (潜水艦)
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| U-256 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 建造所 | ブレーマー・フルカン造船所、ブレーメン・ヴェゲザック |
| 運用者 |
|
| 艦種 | 潜水艦 |
| 級名 | UボートVIIC型 |
| 艦歴 | |
| 発注 | 1939年12月23日 |
| 起工 | 1941年2月15日 |
| 進水 | 1941年10月28日 |
| 就役 | 1941年12月18日、1943年8月16日 |
| 最期 | 1945年5月、ノルウェーのベルゲンで捕獲、その後解体 |
| 除籍 | 1942年11月、1944年10月23日 |
| 改名 | U-256→U-flak2→U-256 |
| 要目 | |
| 基準排水量 | 769t |
| 水中排水量 | 871t |
| 全長 | 67.1m(耐圧殻50.5m) |
| 最大幅 | 6.2m(耐圧殻4.7m) |
| 吃水 | 4.74m |
| 高さ | 9.6m |
| 主機 | ディーゼルエンジン2基 |
| 電源 | 電動モーター |
| 電力 | 750PS |
| 出力 | 2800 - 3200PS |
| 推進 | 2軸 |
| 速力 | 水上17.7ノット、水中7.6ノット |
| 航続距離 | 8500海里(水上10ノット)、80海里(潜航4ノット) |
| 潜航深度 | 230m、圧壊深度250 - 295m |
| 乗員 | 将校4名、士官40~56名 |
| 兵装 |
533mm魚雷発射管(前方4門、後方1門)、魚雷14またはTMA機雷26 8.8 cm SK C/35 艦載砲 1門 2cmC/30対空火器2機 |
U-256は第二次世界大戦中のナチス・ドイツ海軍のVIIC型Uボートであり、短期間対空潜水艦U-flak2として活動した。活動中、U-256は5回の哨戒を完遂し、1,300トンの軍艦1隻を撃沈した。
U-256は1941年2月15日にブレーメン・ヴェゲザックのブレーマー・フルカン造船所で建造番号21として起工された。10月28日に進水し、12月18日にオド・レーヴェ中尉の指揮下で就役した。
第1哨戒
1942年7月28日、U-256はドイツのキールから占領下のフランスにあるブレストの第9潜水隊群へ移動中、初の哨戒を開始した。
哨戒中、U-256はSC94船団の追跡に失敗し、8月25日の朝にノルウェーのフラワー級コルベットのエグラティンのレーダーにON122船団の後方で探知された。U-256は閃光弾に照らされて急速潜航し、コルベットから爆雷攻撃を受けた。U-256は最終的にコルベットが船団護衛任務に戻らざるを得なくなっため脱出したが、哨戒を中断せざるを得ないほどの損傷を受けた。
帰路、9月2日の朝にU-256はビスケー湾でイギリス空軍第77飛行隊に所属するホイットレイ爆撃機の攻撃を受けた。爆撃機は機銃掃射を行い、爆弾を数発投下したが、U-256の高射砲が爆撃機に命中し、機体は海に墜落した。翌日、U-256はなんとかロリアンに入港したが、2度の攻撃による深刻な損傷のため、1942年11月に前線から退いた[1]。
第2哨戒
大規模な修理を含むオーバーホールの間、1943年5月にU-256は対空Uボート(Flak boot)に改装された。この改装を受けた4隻のUボートの一つとして、対空砲が増強され、他の改装を受けたドイツ潜水艦同様に敵機を撃退しやすくなった。1943年8月16日、U-256はU-flak2として再就役した。
10月4日、U-flak2はウィルヘルム・ブラウエル中尉の指揮下で2回目の戦闘哨戒を開始した。ミルヒクー('乳牛'もしくは補給潜水艦)のU-488と合流して護衛することが任務であった。このような潜水艦は海上で複数の潜水艦への補給が可能であり、Uボート活動の妨害を試みる連合軍機の主要な標的となっていた。
10月8日、航行中のU-flak2はビスケー湾でイギリス空軍第612飛行隊所属のリー・ライトを装備したウェリントン爆撃機の攻撃を受けた。U-flak2は6発の爆雷を落とされたが損傷を受けず、急速潜航して脱出した。U-flak2の反撃が右側の昇降舵と後部砲塔に命中したが、爆撃機は無事基地に帰還した[2]。
10月31日、U-flak2は水上でアメリカ駆逐艦ボリーに捕捉された。U-flak2は脱出したが、爆雷により小破した。
11月16日、帰路のU-flak2はビスケー湾でイギリス空軍第502飛行隊に所属するハリファックスMk.II機に遭遇した。この機体は対空砲により損傷し、その場を立ち去った。ハリファックスがこの海域に戻った時、U-flak2は既に急速潜航で脱出していた[2]。
11月17日、U-flak2はブレストの基地に帰還した。対空改造は失敗だと思われ、U-fkak2は1943年から1944年の冬にかけて元の装備に戻され、U-256に改名した。
第3哨戒
1944年1月25日、U-256は第3哨戒を開始した。U-256はアイルランドの西と南西に向かい、2月20日に対潜スループのウッドペッカーに損傷を与え、ウッドペッカーはその後曳航中に沈没した[3]。3月19日、ビスケー湾を航行中、U-256はリー・ライトを装備したイギリス空軍第224飛行隊に所属するリベレーター機からの機銃掃射を受けた。リベレーターが爆雷を6発落とす前、ドイツ兵は200mm及び37mm対空砲を命中させ、その後爆雷は500m先で爆発した。この攻撃でU-256は損傷を受けず、22日にブレストに帰還した[4]。
第4哨戒
1944年6月6日(Dデイ)にU-256はブレストを出航したが、翌日、第224飛行隊に所属するの別のリベレーター機の攻撃を受けて大破し、8日にブレストに帰還した[5]。
第5哨戒
1944年9月4日、ハインリヒ・レーマン=ヴィレンブロック少佐の指揮下のU-256は連合軍に港を占領される前、最後にブレストを出港した。ブレストからノルウェーのベルゲンまでの移動がU-256にとって最後の哨戒となった。10月17日に目的地に到着し、10月23日にそこで退役した[6]。
ウルフパック
U-256は5つのウルフパックに参加した。
- スタインブリンク (1942年8月7日~11日)
- ロース (1942年8月11日~25日)
- イゲル2 (1944年2月3日~17日)
- ハイ1 (1944年2月17日~22日)
- プロイセン (1944年2月22日~3月13日)