江戸時代の1644年(正保元年)に、五月山で中村屋・多田屋・板屋・丸屋の4人が火を灯したところ、その火を見た人々の間で「池田の地に火の神、愛宕が飛来した」と話題になり、多くの人が山に押し寄せたことが、愛宕火の起源であるとされる[4][7]。五月山の文字火に言及した史料のうち最も古いものは、1819年(文政2年)の史料である[4]。1928年(昭和3年)には、大松明を担いで市内を練り歩くようになる。この頃の大松明は 60 キログラム程度であった[4]。
第二次世界大戦の戦中や戦後は、愛宕神社に神火をもらいに行くだけというように、祭りの規模が縮小されていたが、1948年(昭和23年)には、戦前よりも規模が拡大され、大松明の数が1基から2基に増えた。しばらくの後に子ども松明が加わった[4]。1978年(昭和53年)10月21日には、池田市の重要無形文化財祭礼行事に指定されている[4]。2010年(平成22年)1月13日、「池田五月山の愛宕火(がんがら火)」として、大阪府の無形民俗文化財に指定された[1][13]。