ぶどう山椒

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ぶどう山椒(ぶどうさんしょう)は、和歌山県有田郡有田川町が発祥のサンショウ栽培品種である。和歌山県は日本国内で生産・流通するサンショウの6~7割を占める一大産地であり、有田川町がその最大産地である[1]

乾燥実の状態

大粒の実が連なったぶどうの房のような山椒で、一般的な山椒よりも香り高く辛味も強いことから、以来ぶどう山椒として栽培されるようになった。山椒の中でも最高級品とされる[2][3][4]

アサクラザンショウから派生した系統とされ、枝にトゲがあるが、トゲは小さめ[5][6]。大きく肉厚の実をぶどうの房状に多く付ける豊産性の品種である[6]。香りはさわやかで、香辛料のほか薬用にも用いられる[6]

歴史

発祥

ぶどう山椒とは、天保年間(1830年~1844年)に紀伊国有田郡遠井村(後の和歌山県有田郡清水町、現在の有田川町)の医要木勘右衛門の庭に自生していたものが発祥とされており、元々は現在の兵庫県養父市八鹿町朝倉で栽培されていたアサクラザンショウから派生したと言われ、その後、近隣の地域でも広く栽培されていった[7]。当時は主に薬として重宝され、医要木家の屋号は「医用の木」と呼ばれるようになった[7]。のちにこの屋号が岩脇姓となり、昭和期以降も遠井地区に残る岩脇家はその末裔である[7][8]

昭和期

第二次世界大戦後の食生活の変化をうけて、1955年(昭和30年)くらいから香辛料としての需要も増え、漢方薬の原料としても重宝された[9]。需要の増加に合わせ清水町(現在の有田川町清水地区)でも栽培が本格化し、1960年(昭和35年)頃から出荷量が増えた[9]。しかし、当時は商人との直接取引であったため買いたたきや買い取り価格に格差が生まれるなど生産者にとって不利な状況が続いた[10]。生産者を守るためにも1964年(昭和39年)に遠井の農家白藤佳秀、保田重太郎、保田輝之進の3名が組合を発足し、以後組合員が増え、1968年(昭和43年)に「清水町山椒生産組合」が設立され、初代組合長は白藤佳秀が就任した[10]。当時は約200名の組合員が在籍し[10]、市場の開拓や販売ルートの確立、栽培技術の向上を目指した[9]

当初、ぶどう山椒の成木は遠井から他へ移植すると数年で枯死してしまい、栽培に適していなかった[11]。そのため組合では根の強い苗木を20年余り研究した結果、フユザンショウを台木とする栽培法が適していることを突き止めた[11]。この栽培方法が確立した1980年代以降に遠井以外の地域でもぶどう山椒の栽培が可能になったと推察できることから、長峰山系の近隣地域など、もともとは朝倉山椒を生産していた地域でも、より特産品として価値が高いぶどう山椒を栽培するようになったと考えられている[11]

平成・令和期

平成期以降は、山椒の利用法やレシピをパンフレットなどでPRするなどぶどう山椒の魅力を広めたり、東京都衛生研究所の生薬品質検査で、輸入物に比べて清水産の山椒は成分の含有量が高いという評価を得たことで、1994年(平成6年)全国農業協同組合中央会主催の第24回日本農業賞を受賞した[12][13]

ぶどう山椒の廃棄物を活用する新たな商品開発等で持続可能な産地の育成をめざし、2019年(平成31年)から有田川町と龍谷大学が連携し主導する「ぶどう山椒の発祥地を未来へつなぐプロジェクト」は、2022年(令和4年)12月3日に環境省による第10回グッドライフアワードで実行委員会特別賞を受賞し[14]、2023年(令和5年)には和歌山県主催の「わかやま環境賞」を受賞した[15][16]

また、農林水産省による第9回「ディスカバー農村漁村(むら)の宝」全国優良事例に認定され、奨励賞を受賞した[17]

産地

おもに和歌山県有田郡有田川町および紀美野町などで生産されている[9]。和歌山県は日本国内で生産・流通するサンショウの6~7割を占める主要産地であり[1]、有田川町がその生産量で日本一を誇る[6]。標高が500~600メートルに位置する有田川町の遠井地区(旧清水町遠井地区)はサンショウ栽培に適した風土があり、古来サンショウ生産が行われていた[6]。天保年間(1830年~1844年)にぶどう山椒が発見された勘右衛門宅もこの遠井地区(遠井村)にあり、ぶどう山椒発祥地として語り継がれている[6]

農林水産省の特産果樹生産動態等調査による1986年(昭和61年)以降の全国的な傾向に拠れば、サンショウの栽培面積は1980年代から1990年代初めにかけて急増し、その後2000年代まで200ヘクタール前後で安定期に入る[1]。その後2010年(平成22年)に353ヘクタールに達するまで再び増産するが、その後は減少に転じ、2016年(平成28年)には334ヘクタールまで減少。その後は300ヘクタール台で安定を示し、やや微増傾向にある[1]。そのうち和歌山県の栽培面積は約50パーセントを占め、2007年(平成19年)頃から170ヘクタール前後で安定している[1]

栽培方法

冬のぶどう山椒

北海道から九州まで生育し、低い山地の湿り気のある林地を好む[18]。樹高が低いため栽培に適し、実は大粒でブドウの房のように沢山の果実が実る[5]。 収穫時の肉体的負担も少なく、高齢化が進む農業の救世主になるのではと期待されている[19]

苗木は接ぎ木により作られ、台木にはフユザンショウイヌザンショウ、カラスザンショウが使われるが、有田川町では主にフユザンショウを台木として増殖している[20]。接ぐ時期については冬期、少なくとも3月までに行うのが適期とされるが、気温が氷点下を下回る地域についてはそれを上回る気温になってからの方が良い[21]。これは穂木が落葉して休眠状態になり、台木からの水分を吸わないためと考えられている[21]

果実は定植後10年目ぐらいから収穫し、平均寿命は接木してから15年とされる[22][4]。雌雄異株の植物で4月頃に発芽開花を迎え、5月に実山椒、7〜8月頃に乾燥山椒が手摘みにより収穫される。実はきれいな緑色で「緑のダイヤ」とも言われる[4]

利用方法

サンショウの活用法はほぼ同じであるが、和歌山県では普及のために味噌・醤油・だし・香味油などの調味料や、ビール・ジンなどの酒類、カレー・ラーメンなどの料理、ジャム・チョコレートなどの菓子類にも加工されている[23]

日本国外では、スパイス文化のあるヨーロッパでも、ぶどう山椒は高い評価を得て、高級スパイスメーカー、トップレストランや有名シェフを中心に認知度が高まっている[23]。和食だけでなくカクテルの素材やスイーツの隠し味にも使われるなど、活用の幅が広がっている[23]

効果

ぶどう山椒の葉を乾燥させたもの。山椒の香りがする。

山椒は古くから食用および薬用として利用されてきた。弘化4年(1847年)の小野蘭山の『重訂本草綱目啓蒙』に「野洲日光山の産、辛味多くして優れり。いわゆる山椒皮なり。その実漱熟ともに食用に供す」とあるように、スパイスなどの食用としてはもちろん、防腐剤としても使われていた[24]。薬用としては、果皮や実を煎じたり、粉にして服用すれば健胃、食欲増進、食中毒予防、回虫駆除に、さらに濃く煎じたものを塗布、マッサージすればひび、しもやけに効く。また葉を粗くきざんで布袋にいれたものを浴槽に入れることで、血液循環を促して代謝を良くし、リウマチ、神経痛、腰痛、肩こりなどに効果がある。生薬の汁は虫刺されや切り傷に効くとも言われている[25]

現代でも漢方薬などに使用されており、和歌山で生産されるぶどう山椒の約4割は製薬メーカーに納入されている。近年ではポリフェノールによる抗酸化作用をはじめ、口腔ケアに重要なガンジタ真菌抑制作用、抗MRSA作用、抗がん作用があることが見つかっており、さらには山椒精油の香りに抗肥満作用があることもみとめられ、香りの効果についても研究が続けられている[4]

俗信・伝承

清水町(2006年以降は有田川町)遠井地区の白藤佳秀によると、山椒は根が浅く枝も弱く折れやすいため古くから山椒の木に登って歌ったり踊ったりしてはいけないと言い伝えられてきた。またカイコの虫は山椒を嫌うため、クワの木も育たないようなところへ山椒は植えられたという。ほかに地元の人によると、戦前は「山椒は番傘一本」と言い傘の影になるほどの山椒の木1本で番傘が1本買えるほど値打ちがあったとされる[26]

脚注

参考文献

外部リンク

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