アウンコーウィン
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アウンコーウィンは元学校の教師で、その後家庭教師に転じた。そのためサヤー・チャウン(学校の先生、ビルマ語: ဆရာကျောင်း)とも呼ばれている。ちなみに、妻のナンタントゥエも元教師である[1][2]。
1990年代初頭、アウンコーウィンは、国家法秩序回復評議会(SLORC)(のちに国家平和発展評議会〈SPDC〉)副議長だったマウンエイが所有していたタチレクのシャン・ヨーマ・ショッピングセンターで購買業務を担当していたほか、シャン州モンスーの金・宝石鉱山の管理にも関与していたとされる[1]。
こうしてマウンエイの知遇を得、さらにSLORC/SPDC書記長だったウィンミンの姪と結婚したことにより、SLORC/SPDCおよび国軍関係者と親密な関係を築いたアウンコーウィンは、シャン州のタウンジーで衣料品小売業を始めた。やがて、サファイアやルビーなどの宝石業で巨額の利益を上げ、1994年にはタウンジーでカンボーザ銀行を設立した[1][3]。
その後、アウンコーウィンは、農業、鉱業、製造業、通信、航空、不動産、銀行、保険、証券、ヘルスケア、ガソリンスタンドなど、さまざまな分野に事業を拡大し、「クローニー」あるいは「タイクーン」と称されるミャンマー有数の富豪の1人となった[4][3]。
国軍関係者と親密な関係を築き、翡翠・宝石採掘における数々の人権侵害に関与しているという批判に晒されているのにもかかわらず、2026年1月現在まで欧米諸国の経済制裁の対象になったことがない。2026年1月、アウンコーウィンがプライベートで訪英し、ゴルフを楽しんでいる様子が映った画像と映像が拡散し、人権活動家の間から彼の入国を許可したイギリスに対する失望の声が上がった[5]。
慈善活動
2008年のサイクロン・ナルギスの際、カンボーザ・グループは9,800万米ドル以上の寄付を行った[6]。
また、人身売買の対象となった数百人のミャンマー人漁師に対して、無償の帰国便を提供したこともある[6]。
シャン州南部では、清潔な給水システムを提供するための資金援助および技術支援にも取り組んでいる[6]。
2015年7月と8月に国内の大部分を浸水させた洪水の被災者に対しても巨額の寄付を行った[6]。
栄誉
2021年1月、国家に対する模範的な貢献に対して連邦政府から授与される最高の勲章・ピッタウンスー・シットゥ・ティンガハの中の、4番目の階級であるタイェシットゥを授与された[7]。