アキル・ミッチェル

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ポジション PF/C
生年月日 (1992-06-27) 1992年6月27日(33歳)
アキル・ミッチェル
Akil Mitchell
ブローゼ・バンベルクでのミッチェル(2022年)
長崎ヴェルカ  No.25
ポジション PF/C
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1992-06-27) 1992年6月27日(33歳)
出身地 ノースカロライナ州シャーロット
身長 206cm (6 ft 9 in)
体重 106kg (234 lb)
キャリア情報
高校 Charlotte Christian
(ノースカロライナ州シャーロット)
大学 バージニア大学 (2010–2014)
NBAドラフト 2014年 / ドラフト外
プロ選手期間 2014–現在
経歴
2014–2015アメリカ合衆国の旗リオグランデバレー・バイパーズ
2015–2016フランスの旗アンティーブ・シャークス
2016–2017オーストラリアの旗ニュージーランド・ブレイカーズ
2017–2018アメリカ合衆国の旗ロングアイランド・ネッツ
2018–2019フランスの旗ブーラザック・バスケット・ドルドーニュ
2019–2020イタリアの旗パラカネストロ・トリエステ
2020イスラエルの旗ハポエル・ギルボア・ガリル
2020–2021イスラエルの旗マッカビ・リション・レジオン
2021トルコの旗カルシュヤカSK
2021–2022ドイツの旗ブローゼ・バンベルク
2022–2023ギリシャの旗AEK BC
2023プエルトリコの旗グリセス・デ・ウマカオ
2023–2024中華人民共和国の旗寧波ロケッツ
2024プエルトリコの旗クリオージョス・デ・カグアス
2024中華人民共和国の旗青島イーグルス
2024–2025フィリピンの旗メラルコ・ボルツ
2025プエルトリコの旗クリオージョス・デ・カグアス
2025-現在日本の旗長崎ヴェルカ
受賞歴
選手情報 ウィキデータを編集 B.LEAGUE.jp
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com

アキル・アンソニー・ミッチェル (Akil Anthony Mitchell[1]1992年6月26日 - )は、アメリカ合衆国のプロバスケットボール選手。ポジションはパワーフォワード/センターB.LEAGUE長崎ヴェルカに所属している。 大学ではバージニア大学でプレーした。

個人成績(学生時代)

バージニア大学時代(2013)

ノースカロライナ州シャーロットにあるシャーロット・クリスチャン・スクールから、ネイビージョージ・ワシントン大学からのオファーがあったもののバージニア大学に進学する[2]

1年目の2010-11シーズンは目立った活躍はなかったが、主力選手のマイク・スコットが負傷したことで出場機会が増えた[3]

2011–12シーズンの中盤には、スコットおよび同期のジョー・ハリスとともに先発メンバーに加わり、このトリオはチームを22勝10敗の成績と、5年ぶりとなるNCAAトーナメント出場に導いた。

3年次のシーズンには、平均13.1得点・8.9リバウンドを記録し、ACC(アトランティック・コースト・カンファレンス)のサードチームに選出された[4]

4年次にはチームの戦力が増えたことで個人成績はやや減少したものの、チームは30勝7敗という近年で最高の成績を収め、ACCレギュラーシーズンとトーナメントの両方で優勝、2014年のNCAAトーナメントでは第1シードを獲得した。 ミッチェルはACCオールディフェンシブチームおよびACCトーナメントセカンドチームにも選出された[2]

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
2010–11 Virginia 29115.1.338.125.5173.0.8.6.22.4
2011–12 Virginia 321522.0.505.000.5094.4.8.7.34.1
2012–13 Virginia 353530.5.545.000.6938.91.51.3.413.1
2013–14 Virginia 373625.7.561.000.4277.01.2.8.66.8
Career 1338723.8.519.090.5706.01.1.8.46.9


プロキャリア

2014 NBA draftで指名されなかった後、ヒューストン・ロケッツの一員として2014 NBA Summer Leagueに参加した。2014年9月26日、ロケッツと契約したが[5]、 同年10月23日にチームから解雇された[6]。 その後2014年11月2日には、NBA Gリーグに所属するリオグランデバレー・バイパーズに、ロケッツの提携選手として加入した[7]。 2014–15シーズンにはバイパーズで49試合に出場し、平均9.8得点、9.0リバウンド、1.6アシスト、1.0スティールを記録した[8]

2015年7月、ブルックリン・ネッツの一員として2015 NBA Summer Leagueに参加した[9]。 同年8月13日、アンティーブ・シャークスと契約し2015–16 LNB Pro A seasonをプレーした[10]。アンティーブ・シャークスでは34試合に出場し、平均9.2得点、7.2リバウンド、1.6アシストを記録した[11]

2016年7月、ニューヨーク・ニックスの一員として2016年のNBAサマーリーグに参加した[12]。同年8月30日、ニュージーランド・ブレイカーズと契約し、2016–17年のNBLシーズンを戦った[13][14]。2017年1月26日、ケアンズ・タイパンズ戦の第4クォーター序盤、リバウンド争いの際にNnanna Egwuと接触し顔を突かれたことで、左目の眼球が眼窩から飛び出す重傷を負った[15]。この事故後オークランド病院に搬送され、専門医の診断により眼に損傷はあるものの、当初懸念されていたほど深刻ではないとの見解が示された[16]。その日のうちに退院し、視力に異常がないことが報告された[17]。2017年2月7日、負傷した目のさらなる専門的な治療を受けるため、アメリカへ帰国した[18]。ブレイカーズでは25試合に出場し、平均9.5得点、7.2リバウンド、2.1アシストを記録した。 2017年2月24日、NBAデベロップメント・リーグロングアイランド・ネッツに加入した[19]。ロングアイランドでは4試合に出場し、平均8.3得点、6.8リバウンド、2.8アシストを記録した[20]

2017年9月24日、ブルックリン・ネッツと契約した[20]。同年10月11日、ネッツから解雇された[21]

2018年8月4日、フランスのLNBプロAに所属するブーラザック・バスケット・ドルドーニュと契約した[22]

2019年7月30日、イタリアのLegaバスケット・セリエA(LBA)に所属するパラカネストロ・トリエステと契約した[23]が、新型コロナウイルスのパンデミックの影響によりイタリアの2019–20シーズンは途中で打ち切られた。しかし、イスラエルの2019–20シーズンではリーグが再開され、シーズン終盤の2020年5月26日にハポエル・ギルボア・ガリルと契約した[24]

2020年8月16日、イスラエルのマッカビ・リション・レジオンに加入[25]。1試合平均で15.6得点、8.8リバウンド(イスラエル・バスケットボール・プレミアリーグで3位)、2.8アシスト、1.6スティール(同9位)、フィールドゴール成功率は59.9%(同8位)を記録した[26]

2021年7月14日、トルコ・スーパーリーグカルシュヤカSKと契約した[27]。1試合平均で4.3得点、5.3リバウンド、2.0アシストを記録した[28]

同年11月25日、バスケットボール・ブンデスリーガ(BBL)のブローゼ・バンベルクと契約した[28]

2022年8月2日、ギリシャのクラブAEKアテネと契約した[29]。国内リーグ22試合に出場し、1試合平均12.6得点、8リバウンド、2.6アシスト、1試合約26分の出場時間だった。さらに、BCLでは、1試合平均14.5得点、8.5リバウンド、2.9アシストを記録し、チームは準々決勝まで進出した[30]

2023年4月29日、プエルトリコのバロンセスト・スペリア・ナシオナル所属のグリセス・デ・ウマカオと契約した[30]

2023年9月7日、中国プロバスケットボールリーグ(CBA)の寧波ロケッツと契約した[31]。2024年1月14日に契約が解除された[32]

2024年3月11日、クリオージョス・デ・カグアス(バロンセスト・スペリオール・ナシオナル)と契約した[33]

2024年7月5日、横浜ビー・コルセアーズBリーグの契約を結んだ[34]。しかしその直後の9月1日、本人の申し出による契約解除が発表された[35]

2024年9月19日、青島イーグルスとCBAの契約を結んだ[36]。11月5日、ジョーダン・ミッキー英語版と交代で青島イーグルスを退団した[37][38]

2024年11月10日、メラルコ・ボルツPBAの契約を結び、2024–25 PBAコミッショナーズカップおよび2024–25イーストアジア・スーパーリーグでプレーした[39]

2025年7月9日、長崎ヴェルカへの加入が発表された[40] [41]

代表歴

脚注

外部リンク

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