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ユニオン映画

日本の東京都中央区にある映像制作会社 From Wikipedia, the free encyclopedia

ユニオン映画株式会社(ユニオンえいが、: UNION TV & MOTION PICTURE CO., LTD.)は、東京都中央区に本社を置き、放送番組、映画、舞台演劇等々のコンテンツ製作、コンテンツ事業展開を主な事業内容とする日本の企業。日本テレビ第一興商の関連会社を経て、タクミ商事の子会社

本社所在地 日本の旗 日本
104-0061
東京都中央区銀座7丁目17番2号
アーク銀座ビルディング5F
北緯35度39分59.7秒 東経139度45分59.2秒
設立 1970年昭和45年)2月10日
概要 種類, 本社所在地 ...
ユニオン映画株式会社
UNION TV & MOTION PICTURE CO., LTD.
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
104-0061
東京都中央区銀座7丁目17番2号
アーク銀座ビルディング5F
北緯35度39分59.7秒 東経139度45分59.2秒
設立 1970年昭和45年)2月10日
業種 情報・通信業
法人番号 2010001069734 ウィキデータを編集
事業内容
  • テレビ番組の企画・製作および販売
  • 映画、演劇等の企画、製作および演出
  • インターネット配信コンテンツ・テレビコマーシャル等の企画、製作および販売 など
代表者
  • 代表取締役社長 梅原高実
  • 代表取締役 椋忠治郎
資本金 1億円
純利益
  • 1億3292万9000円
(2026年3月期)[1]
純資産
  • 6億3257万7000円
(2026年3月期)[1]
総資産
  • 13億7005万1000円
(2026年3月期)[1]
決算期 2月末日
メインバンク
主要株主
主要子会社 株式会社ネクストユニオンmp
外部リンク www.unioneiga.co.jp ウィキデータを編集
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概要

日本テレビの番組を優先的に制作する制作会社として、日本テレビを筆頭株主として7社の共同出資で1970年2月10日に設立された[2][3]。設立時に取締役になった日本テレビの保田宋一は「日本テレビの参加は遠い将来の話」と述べており[4]、設立時の主目的は日本テレビの番組ではなく、劇映画の制作であった[4][5][6]

資本金は1億2,500万円[4][5]、そのうち日本テレビは3,000万円を出資し[4]電通大日本印刷が各2,000万円[5]日本クラウンが1,800万円を出資[5]。その他、三菱電機出光興産ブリヂストンタイヤと、元日活専務の江守清樹郎と元東映常務の今田智憲が個人で出資した[3][4]授権資本5億円、払込み1億2500万円[7]。仮事務所は永田町東京ヒルトンホテル323号に置かれ[7]、1970年3月6日から六本木5丁目の六本木ベニービルに移転した[7]

発足時の社長はクラウンレコード社長兼任で若築建設(当時の若松築港会社)の有田一壽、副社長は元日活専務の江守が、専務には元東映常務の今田が就任した[7][8]。出光興産が設立時に出資して2万株保有していたのは有田の人脈によるものである[9]。1978年時点では日本テレビが3000万円を出資して23%の5万株を保有して引き続き筆頭株主で、その他に大日本印刷と電通がそれぞれ4万株、クラウンレコードが3万株を保有し、会長は有田、江守が社長だった[10][11]

設立経緯

週刊文春』1970年2月23日号には「政財界の大ものをバックに元日活専務江守清樹郎、元東映常務今田智憲の両氏がクラウンレコードの有田一寿社長をかつぎあげ、ユニオン映画を設立した」と書かれている[6]。最初は「不振の日本映画界の殴り込み、最後のカツドウ屋ついに起つ」などと勇ましいキャッチフレーズが付けられ[6]、「大企業とタイアップしたスケールの大きな産業映画を一年に数本、世界の文学作品のテレビ映画化、劇団を組織して定期的な公演を行う」と目標の発表もあったが[6]、映画テレビ関係者は撮影所を持っていないことが致命的な弱さと評価し、映画の凋落ぶりが止まらないこの時期の動きとしては遅すぎたと見ていた[6]日本テレビが四分の一の相当する3000万円を出資していたため[6]、日本テレビを中心とした下請け専門になるのではという予想もあった[6]渡哲也を引き抜くという噂もあったが[6]、いつの間にか立ち消えになり[6]、スターはヘタに動いて既存の映画会社にニラまれるような真似はしないだろうと見られた[6]。ただいい作品さえ作れば江守の関係で、東急レクリエーション配給を引き受ける可能性もあるのではという見方もあった[6]大川博東映社長は今田をずっと育ててきただけに[12]、東映を出て行った今田に対する怒りが抑えきれず、定例の昼食会で陪席の岡田茂常務と池田静雄取締役を労るような目で見て、「映画界全体に対して道義を知らぬ行為だ。少なくとも東映社員は一人も行かせない」などと今田をコキおろした[12][13]。江守はユニオン映画で日活再建に乗り出し、上手くいけば日活への復帰を目論んでいたとされるが[12]、日活は江守を呼び戻す気持ちはさらさらなかった[12]

日活と東映をそれぞれ退社していた江守と今田は有田の誘いで専務取締役に迎えられ[14]大映出身の竹内源三郎も東映を経て社長を務めるなど、映画会社の出資は受けていなかったが映画人が経営に参加。実際に映画を製作した経験がある映画人は江守と今田に二人だけだった[4]。事業目的には劇場映画の製作も掲げられた[2][15]。その他、PR映画やビデオソフトも扱うとされていた[3]

歴史

設立会見

1970年1月19日、東京ヒルトンホテルで発起人会と続いて記者会見が開かれた[5]。発起人会には有田、江守、今田の他、日比野恒次電通社長、福井近夫日本テレビ社長、石橋幹一郎ブリヂストンタイヤ社長、出光計助出光興産社長、大久保謙三菱電機社長らが出席し[4]、その強力なバックアップの威容を示した[4][5]。記者会見では有田クラウン社長が「昨年(1969年)8月ごろから設立を考えていた。業界のベテランである江守氏、今田さんには実務をやってもらう」などと述べた[5]。江守は「私には映画しかできない、私が特に狙っているのは、大企業とタイアップする産業映画で、劇場用映画としてはこれに一番力を入れていくつもりだ。製作スタッフは作品単位に集めるつもりで、合理性を持った映画作りをやりたい」と述べ[5]、製作方針として「テレビ映画(テレフィーチャー)、劇場用映画、CM製作、カセットテープなどの製作を行うほか、将来はタレント斡旋などを目的としている」などと発表された[4][5]。これは既存の映画会社はどこもやっていることだった[4]。今田も江守を映画のプロデュースを専門とする人のため、当初は社名通り、映画の製作を第一目的としての会社設立であった[4][5]。設立の裏に東急グループの総帥・五島昇がいると業界では囁かれた[4]。東急グループを離れた大川博への面当て、敵愾心ともいわれ[4]、江守には1967年に日活を辞めさせられてからも、五島は毎月生活費を出していた[4]。また大川に逆らって東映を飛び出した今田を買っていた[4]。今田は五島の弟分にあたる岡田茂の親友という関係もあった[4]。今田は岡田と並んで早くから大川の有力な後継者と見なされ[16]、大川も今田を可愛がっていたため、今田の辞表を受理せず[4]、何時でも東映に帰れるよう非常勤取締役の待遇を処していたが、ユニオン映画設立の発表はあった翌日、辞表を受理した[4]。大川にとっては「飼い犬に手を噛まれた」状況だった[4]。ユニオン映画の設立は、江守にとっては日活の堀久作に、今田にとっては東映の大川の面当てのため、発起人の顔ぶれを豪華にして作り上げた映画会社といえた[4]。岡田も設立発表の前日に今田から電話で知らされたほどで、隠密行動が実を結んだ形[4]。計画が事前の洩れたらかつての日映事件のように潰される可能性があった[4]五社の政治的圧力で発起人が手を引けば発足しても影が薄い[4]。五社の首脳陣も一時は驚いたが、日が立って内情を聞き、問題にする程ではないと安心した[4]。大川博は「映画産業が底をついている時に製作の新会社を今更作るなんて気が知れない。江守さんも今田も映画の現状をよく知っている筈だ。五社の首脳部でも相当に考えて苦境を乗り切るかと知恵を絞っている時にだ」などと述べた[4]。今田は大川に挨拶に行った際、「僕は君を少し早く偉くしすぎた。思い上がるなよ」などとこんこんと説教されたが「社長のことは一生忘れません」と男泣きする芝居を打ち、大川にユニオン映画の邪魔をさせまいという計算上のことと見られた[4]

江守が会見で話した大企業とタイアップする産業映画というのは、三船プロダクション石原プロモーション関西電力と組んで制作した『黒部の太陽』や、東映と鹿島建設と組んで制作した『超高層のあけぼの』のような映画を指し[4]、発起人に一流企業の代表者を集めているのもこのため[4]。製作方針として発表されたタレント斡旋は、所謂芸能事務所のような業務で、今田が直前まで俳優のマネジメントを行う東映芸能の社長だったため、経験があった[17]

今田は盟友の岡田茂が大川の急逝で東映の二代目社長に就任したためユニオン映画を退職し、1973年に東映ビデオ社長として東映に復帰[16][18][19]。翌1974年から東映動画(東映アニメーション)代表取締役社長兼タバック代表取締役社長を兼任し、いずれも長く社長を務めた[16][18][20]

主要株主だった日本テレビからは、野崎一元(野崎元晴)が社長に[21][22]、松本紀彦[10]や小坂敬が専務を務め、日本テレビの番組を中心に制作していたが[2]、2000年頃に株式売却により日本テレビとの資本関係を解消[23]。大株主の日本クラウンが第一興商の資本系列下に入り、ユニオン映画も第一興商グループ入りし、2004年3月現在には日本クラウンが15万1千株で筆頭株主、続いて第一興商が14万株、電通が4万株の株主構成に[24]、2009年には株主5名のうち、第一興商が29万株で筆頭株主に電通が4万株という構成で[25]、第一興商の子会社となった[26]


1970年代に人気になった作品には『気になる嫁さん』『パパと呼ばないで』『雑居時代』『気まぐれ天使』など石立鉄男主演の一連のホームコメディドラマ(石立ドラマシリーズ)や[27][28][29][30]、『俺たちの旅[31][32][33]、『ゆうひが丘の総理大臣』などの中村雅俊主演の青春ドラマがある。

また『子連れ狼』『伝七捕物帳』、火曜8時の里見浩太朗主演シリーズなど日本テレビの時代劇路線を担い[2][34]東映松竹など9社からなる時代劇コンテンツ推進協議会の一員となっている[35]。時代劇では、1985年の『忠臣蔵』に始まる大晦日放送の日本テレビ長時間時代劇(年末時代劇スペシャル)はNHKの『紅白歌合戦』に視聴率民放が一矢報いたとして大いに話題になった[36][37]

一方では『火曜サスペンス劇場』など現代劇も手掛けてきた[2]。フィルムによるテレビ映画などテレビドラマ制作を中心に据えていたが、徐々にスタジオVTR番組も増やして『笑点』『日曜ビッグスペシャル』『火曜ゴールデンワイド』などバラエティー番組の制作も手掛けている[2][10]

2021年2月からYouTube公式チャンネルの「フィルドラチャンネル」を運営開始した。フィルム撮影されたテレビドラマをフィルドラと命名し、ユニオン映画の旧作ドラマとオリジナルの新作コンテンツを配信している[38]

2024年3月1日付で、第一興商が保有している87.92%の株式が半導体・電子部品、音響機器及び測定装置などを扱う商社「タクミ商事」へ譲渡されたと同時に、ユニオン映画は第一興商グループから離脱した[39]

沿革

  • 1970年2月設立
  • 2006年ネクスト・プロデュースを吸収合併

製作作品

テレビドラマ

日本テレビ

ほか

TBS

ほか

フジテレビ

テレビ朝日

ほか

テレビ東京

ほか

関西テレビ

ほか

読売テレビ

ほか

※当時子会社のネクスト・プロデュース作品を含む

時代劇

映画

情報・バラエティ番組

関連項目

出典

外部リンク

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