アラン・フェルテ

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JMB レーシングチームのフェラーリ・458イタリア2012年のル・マン24時間レースフィリップ・イリアーノマニュエル・ロドリゲスとドライブ。

アラン・フェルテ: Alain Ferté1955年10月8日 - )は、フランスファレーズ出身のレーシングドライバー。レースキャリアは1978年から2012年の30年に及んだ。

同じくレーシングドライバーのミシェル・フェルテは実弟。

エルフアカデミー

1978年、フランスで若手レーシングドライバー育成に力を入れていたエルフ石油の特待生としてアラン・プロストと共にエキュリー・エルフチームの一員に選抜され、プロストはフォーミュラ3、フェルテはフランス・フォーミュラ・ルノーにフル参戦する体制となった。フェルテは初年度にランキング6位を獲得。翌1979年はBPレーシングよりフォーミュラ・ルノー2年目を戦い、全14戦で9回優勝とシリーズを制圧しチャンピオンを獲得する。

フォーミュラ3

1980年はフランスF3選手権で4勝を挙げてパスカル・ファブルフィリップ・ストレイフジャン=ルイ・シュレッサーフィリップ・アリオーなどを破ってタイトルを獲得。1981年よりフランスの名門オレカに移籍し、ヨーロッパF3選手権にフル参戦するなど、フランス出身レーサーのエリートコースを歩んだ。各国のF3トップ選手が集う1981年モナコグランプリF3ではハットトリックを達成する強さでオスカー・ララウリクルト・ティームを抑え制覇した[1]

フォーミュラ2 / F3000

1982年よりドイツのマウラー・モータースポーツに移籍、ヨーロッパF2選手権へとステップアップする。しかしF2ではF3時代のような大きな成功を残せず、最高成績5位、年間ランキング12位に沈み、かつて打ち負かしていたストレイフ(ランキング4位)やアリオーに並ばれ、彼らがその後F1レギュラー参戦を果たした一方で、フェルテはF1シートを得ることが出来なかった。

1985年からは2年間国際F3000選手権に参戦。1987年と1988年はフランスF3選手権に参戦。1989年に国際F3000に復帰しランキング16位となったのを最後にフォーミュラレースへの参戦を終了した。なお、1989年はF3000と並行してドイツ・ツーリングカー選手権 (旧DTM)へも参戦。DTMでは3勝を挙げ、ランキング18位であった。

スポーツカーレース

ル・マン24時間レースには1983年の初出場から2012年まで14回出場。1986年大会では、ブルン・モータースポーツポルシェ・956でベルギーのティエリー・ブーツェン、ディディエ・セイスと組んで参戦。1989年トム・ウォーキンショー・レーシングジャガー・XJR-9でル・マン24時間レースのファステストラップを記録。1991年ザウバーメルセデス・ベンツ・C11で首位を走っていたが、開始から21時間後、フィニッシュの3時間前にリタイアし勝利を逃した。その後、1994年にはクラージュ・C32LMを駆りポールポジションを獲得している。

ツーリングカーカテゴリーでは、1988年フォード・シエラRS500でRACツーリストトロフィーを獲得し、その後1990年にシルバーストーン500kmでの優勝、1994年のスパ・フランコルシャン24時間レースで2位などの成績を残した。

日本のレース界とも縁があり、日産・R86Vでのル・マン挑戦や、1996年の全日本GT選手権でトヨタ陣営のサードと契約し、ワイン・ガードナーとのコンビでトヨタ・スープラをドライブした[2]

1998年にはカテゴリーを移し、トラックレーシングに参戦。オランダのトラック製造業者DAFの車両で83ポイントを獲得。1999年にヨーロッパのスーパーレーストラックの準チャンピオンの地位を獲得し[3]、2000年と2001年にドイツの製造業者MANへの移籍を経て、2002年にチェコのメーカーTatraで参戦した。

ル・マン24時間レースは1997年を最後に遠ざかっていたが、2008年にモネガスクのチーム JMB(ジャン=ミシェル・ブーレッシュ)レーシングと契約し、11年ぶりに復帰した。成績はフェラーリ・F430 GTで51位だった。

レース戦績

脚注

外部リンク

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