アルトワ家
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1302年にロベール2世が死去したのち、ロベール2世の娘マオーと孫ロベール3世とが継承権を争った。パリ議会はマオーの伯領継承を支持し、ロベール3世はボーモン=ル=ロジェを相続したが、のちロベールは文書を偽造した罪で領地を没収され、イングランドへと逃亡した。ロベールにとって義兄にあたるフランス王フィリップ6世はイングランド王エドワード3世にロベールの引き渡しを要求したが、エドワード3世はこれを拒否し、このことがフランスとイングランドとの関係をさらに悪化させ、百年戦争の一因ともなった[1]。ロベール3世の息子ジャンは20年後の1350年にウー伯を与えられたが、同家は1472年に男子後継者なく断絶した。
マオーが継承したアルトワ伯位は、アンスカリ=シャロン家、カペー家を経て、フランドル家からヴァロワ=ブルゴーニュ家へと渡り、ブルゴーニュ公国の一部となった。また、アルトワ家が男系で相続したウー伯位はヴァロワ=ブルゴーニュ家を通してクレーフェ公家が継承した。