フィリップ1世 (ブルゴーニュ公)

From Wikipedia, the free encyclopedia

フィリップ1世Philippe Ier de Bourgogne, 1346年 - 1361年11月21日)は、フランスブルゴーニュ(在位:1349年 - 1361年)。ルーヴル城(現フランス東部)で生まれ、同地で没したことからフィリップ・ド・ルーヴルPhilippe de Rouvre)の通称で知られる[1]

若きブルゴーニュ公

オーヴェルニュフィリップオーヴェルニュ女伯ジャンヌの間の、唯一の男子。ブルゴーニュ公ウード4世の一人息子であった父が誕生と前後して早世したため、祖父の死後に4歳で公位を継承した。母ジャンヌは1349年にフランスジャン2世と再婚し、1360年9月に死去するまでブルゴーニュを統治し、フィリップの後見人をつとめた[2]

1349年に祖母ジャンヌ3世からブルゴーニュ伯領とアルトワを、1350年に祖父ウード4世からブルゴーニュ公領を、1360年に母ジャンヌからオーヴェルニュとブローニュを相続した。

加えて1357年5月14日にサン=ヴァーストにおいて又従妹に当たるフランドル女伯マルグリット・ド・ダンピエールと結婚したため[3]、さらにフランドルヌヴェールルテルアントウェルペンブラバント公国リンブルク公国を獲得するはずだった。

しかし1361年11月21日腺ペスト[4][1]もしくは乗馬の事故[5]のために15歳で早世した。逝去10日前の11月11日にフィリップは遺言を認めていたが、遺言書からは病状の深刻さはうかがえないという[1]

早世と相続

フィリップの死により、それぞれの遺領の継承の経緯(血縁)により、それぞれの縁者が継承した。

ブルゴーニュ公国
フィリップの継父でブルゴーニュ公ロベール2世(フィリップの曾祖父)の孫であるジャン2世が(実質的には息子シャルル5世が)獲得した[5]
ブルゴーニュ伯領とアルトワ
ジャンヌ3世の妹マルグリット[注釈 1]が獲得した。
オーヴェルニュ伯領とブローニュ伯領
母ジャンヌ1世の血筋に由来[6]。母方の大叔父であり、母の再婚相手フランス王ジャン2世の近親でもあるブローニュ伯ジャンが獲得した[6]

遺領の相続問題は、母の再婚相手でもあるフランス王ジャン2世と懇意[注釈 2]で、フィリップの大叔父のひとりであるブローニュ伯ジャンが担うこととなった[8]。ジャン1世は12月28日に、ブルゴーニュ公国の廷臣を集めた会議を招集した[9]。ここで「公領は公領として存続」する旨が了解された[10]。翌1962年1月16日、フランス王ジャン2世、ブルゴーニュ女伯マルグリット、そしてブローニュ伯ジャン1世の三者によりシトーで合意が成立した[11]。この取り決めは公的文書によるものではなかったが、事後になって同日付の証書が交わされている[11]

相続権を主張する者は他にもいて、ロベール2世の長女マルグリットの孫であったエヴルー伯シャルル(ナバラカルロス2世)は、長系相続者としてブルゴーニュ公位を要求した。しかし、ナバラ王は周囲の支持を全く得ることができず[12]、1363年に至りシャルル5世が差し向けた傭兵隊長ベルトラン・デュ・ゲクランの軍勢に敗れて要求を放棄した。

そして1363年1月15日、神聖ローマ皇帝カール4世との間にフランシュ・コンテをシャルル5世の弟フィリップ(豪胆公/ル・アルディ)に授封する密約が成立する[13]と、同年9月6日、ブルゴーニュ公位は新たにフィリップ豪胆公に与えられた(ヴァロワ=ブルゴーニュ家の成立)[14]

系譜

脚注

参考文献

関連項目

Related Articles

Wikiwand AI