アレハンドロ・ルイディアス
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| 名前 | ||||||
| ラテン文字 | Alejandro RUIDIAZ | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1969年9月3日 | |||||
| 出身地 | アベジャネーダ | |||||
| 没年月日 | 2006年3月??日 | |||||
| 身長 | 172cm[1] | |||||
| 体重 | 69kg[1] | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1986-1989 |
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| 1989-1990 |
| 11 | (4) | |||
| 1990-1991 |
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| 代表歴 | ||||||
| 1985 |
| 1 | (0) | |||
| 1989 |
| 2 | (0) | |||
| 1988 |
| 1 | (0) | |||
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アレハンドロ・ルイディアス(Alejandro Ruidiaz, 1969年9月23日 - 2006年3月)は、アルゼンチン出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
CAインデペンディエンテの育成組織出身[2]。15歳の時にアルゼンチンJrユース代表に選出されフェルナンド・レドンドやウーゴ・マラドーナらとともに中国で開催された1985 FIFA U-16世界選手権に参加[3]。グループリーグ第3戦のコンゴ共和国戦に出場した[2][4]。17歳の時にトップチームに昇格し、当時10番を背負っていたリカルド・ボチーニの後継者と目された[3][5]。
1988年にアルゼンチン五輪代表に選出され、韓国で開催されたソウルオリンピックに参加[3]。グループリーグ初戦のアメリカ戦に出場[6]。1989年にはアルゼンチンユース代表に選出され、ディエゴ・シメオネやロベルト・ボナーノらとともにサウジアラビアで開催された1989 FIFAワールドユース選手権に参加[3]。グループリーグ初戦のスペイン戦、準々決勝のブラジル戦の2試合に出場した[7][8]。
同年12月2日、日本サッカーリーグ (JSL) 1部の東芝サッカー部に加入[9]。翌12月3日に行われたJSL1部第11節のフジタ戦でデビューし[10]、1990年1月29日に行われた第12節の本田技研戦で初得点を決めた[10]。東芝ではリーグ戦11試合に出場し4得点1アシストを記録した[10]。
同年8月、インデペンディエンテに復帰したが、直後に交通事故に遭遇したため離脱を余儀なくされた[3][11]。さらに1991年12月以降は膝の怪我のため実戦から遠ざかった[3]。インデペンディエンテでの通算成績は30試合出場3得点[5]。退団後の1992年9月にCAリーベル・プレートとの間で契約寸前まで話が進んだが、運動能力テストの際に先天性の心臓の問題が見つかり破断[3][11]。23歳の若さで現役を引退した[3]。
個人成績
代表歴
- U-17アルゼンチン代表
- 1985年 - U-16世界選手権出場
- オリンピックアルゼンチン代表
- 1988年 - ソウルオリンピック出場
- U-20アルゼンチン代表
- 1989年 - FIFAワールドユース選手権出場