ロベルト・ボナーノ
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|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| 本名 |
ロベルト・オスカル・ボナーノ Roberto Oscar Bonano | |||||
| 愛称 | Tito (ティト、空飛ぶ猫) | |||||
| ラテン文字 | Roberto BONANO | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1970年1月24日(56歳) | |||||
| 出身地 | ロサリオ | |||||
| 身長 | 185cm | |||||
| 体重 | 82kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | GK | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1991-1996 |
| 110 | (0) | |||
| 1996-2001 |
| 104 | (1) | |||
| 2001-2003 |
| 51 | (0) | |||
| 2003-2004 |
| 11 | (0) | |||
| 2004-2008 |
| 56 | (0) | |||
| 通算 | 332 | (1) | ||||
| 代表歴 | ||||||
| 1989 |
| 4 | (0) | |||
| 1996-2000 |
| 13 | (0) | |||
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ロベルト・オスカル・ボナーノ(Roberto Oscar Bonano, 1970年1月24日 - )は、アルゼンチン・ロサリオ出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。
地元のCAロサリオ・セントラルからデビューし、1996年に移籍したCAリーベル・プレートでは、ブルゴスとレギュラーを争ったが、プリメーラ・ディビシオンで5度、コパ・リベルタドーレスで1度、スーペルコパ・スダメリカーナで1度の優勝を果たした。1996年日本開催のインターコンチネンタルカップ、ユベントスとの対戦においては、ボクシッチなどの決定機をファインセーブで再三防いだが[1]、デルピエーロにゴールを許し、1-0で敗れた。
2001年夏、31歳にして初の海外挑戦を決意し、スペイン・リーガ・エスパニョーラのFCバルセロナに移籍した。すぐにポジションを獲得し、8月26日のセビージャFC戦 (2-1) でデビューしたが、攻撃偏重のプレースタイルへの適応に苦しみ、周囲からの批判にさらされた。下部組織からビクトル・バルデスが台頭すると余剰戦力とみなされ、2003年夏にはレアル・ムルシアへの移籍を余儀なくされた。2004年夏にはセグンダ・ディビシオン(2部)のデポルティーボ・アラベスに移籍し、プリメーラ・ディビシオン(1部)昇格に一役買ったが、2005-06シーズンは同郷のフランコ・コンスタンソにポジションを奪われ、シーズン終了後にセグンダ・ディビシオンへの降格が決まった。2007-08シーズンはチームメイトのルイス・カレラスと喧嘩し、クラブの代表でありオーナーであり経営者であるディミトリ・ピテルマンに出場禁止処分を下されるという散々なシーズンだった[2]。シーズン終了後に現役引退した。
代表経歴
世代別アルゼンチン代表を経て、1996年12月28日のユーゴスラビアとの親善試合 (2-3) でアルゼンチンA代表デビューした。2002年にはFIFAワールドカップに出場するメンバーに選ばれた。正ゴールキーパーを務めていた時期もあり、通算13試合に出場した。
代表歴
出場大会
- アルゼンチン代表
- 2002 FIFAワールドカップ (グループリーグ敗退)
試合数
- 国際Aマッチ 13試合 0得点(1996年-2000年)[3]
| アルゼンチン代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 1996 | 1 | 0 |
| 1997 | 0 | 0 |
| 1998 | 0 | 0 |
| 1999 | 3 | 0 |
| 2000 | 9 | 0 |
| 通算 | 13 | 0 |