アンソニー・ヤーコヴィック
From Wikipedia, the free encyclopedia
| アンソニー・ヤーコヴィック Anthony Yerkovich | |
|---|---|
| 別名義 | Tony Yerkovich |
| 出生地 | ニューヨーク州バッファロー |
| 国籍 |
|
| 職業 | 脚本家、プロデューサー、レストラン経営 |
| 活動期間 | 1981-2006 |
| 主な作品 | |
|
「ヒルストリート・ブルース」 「特捜刑事マイアミ・バイス」 | |
アンソニー・ヤーコヴィック(Anthony Yerkovich) は、アメリカ合衆国の脚本家、プロデューサー。Tony Yerkovichの名が使われることもある。
バッファロークラブ
1980年代にヒットし数々の賞を受賞した『ヒルストリート・ブルース』『特捜刑事マイアミ・バイス』の脚本家、プロデューサーとして知られる[1]。『ヒルストリート・ブルース』は7シーズンも続き、エミー賞を26回受賞した[2]。これは1999年に始まった『ザ・ホワイトハウス』が更新するまで最多記録だった。
『特捜刑事マイアミ・バイス』の誕生は、当時NBCの取締役であったブランドン・タルティコフが思い付いた"MTV Cops"という単語から生まれたと言う説があるが、ヤーコビックによるとタルティコフと出会う何年も前からマイアミを舞台にした”Gold Coast”(後のMiami Vice)という犯罪ドラマの構想を練っていたといい、誰かがあとから広めた噂に過ぎないとヤーコビックは明言している[3]。
しかしヤーコビックは最初の6エピソードの製作総指揮を務めただけで、それ以降は共同エグゼクティブプロデューサーであるマイケル・マンが全てを引き継いだ。マンは『マイアミ・バイス』に多様なアイデアを盛り込んでドラマを成功に導き彼の代表作になったが、実質的な功績はこのドラマを創造したヤーコビックにあると言える。
2006年の映画『マイアミ・バイス』ではクリエイターとして呼ばれ、再びエグゼクティブプロデューサーを務めた。
1994年からロサンゼルスのサンタモニカでレストラン経営を始めた[4]。
映画製作会社にオートバイで通っているとき、サンタモニカのオリンピック大通りにある「オリンピア」という寂れたバーの前をよく通っていた。店のたたずまいが気に入った彼は、経営者と交渉し1991年にその店を購入した。美しいアールデコ建築の外観を残しながら禁酒法時代に東海岸で流行した「スピークイージー」をイメージして、上流階級向けのクラブのように大改装を施した。
店名は彼が生まれ育ったバッファロー(NY州)にちなんで「ザ・バッファロー・クラブ」”The Buffalo Club”と名付けた。店の入れ替わりが激しいロサンゼルスで、ハリウッドの有名人も多く訪れる高級レストランとして現在(2022年時点)も続いている[5]。