イラン侵攻 (イラン・イラク戦争)
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| イラン侵攻 (イラン・イラク戦争) | |
|---|---|
| 戦争:イラン・イラク戦争 | |
| 年月日:1980年9月22日〜12月下旬 | |
| 場所:イラン・イラク国境地帯およびイランフーゼスターン州 | |
| 結果:イラクの勝利 | |
| 交戦勢力 | |
| 指導者・指揮官 | |
| 不明 | 不明 |
| 戦力 | |
| 10個師団150,000 | 少なくとも30,000 |
| 損害 | |
| 不明 | 不明 |
| |
攻撃
1980年9月23日払暁、イラク軍機甲・機械化師団4個約50,000人は一斉に中部・南部国境を突破。第1悌隊2個機甲師団、第2悌隊2個機械化師団はフーゼスターン州の占領を目指し進撃した。進撃方向は3つに分かれ、
助攻として1個師団を中部国境地帯のケルマーンシャー州カスレ・シリンに差し向け、1個師団をすぐ南のイーラーム州メヘラーンへ進撃させた。特にカスレ・シリンはアルジェ合意で返還が予定されており、さらにここから西へ180kmに首都バグダードがあり、イラク軍はなんとしてでも脅威を取り除くべく確保しなければならなかった。しかし、当時国交断絶寸前のシリア対策として1〜2個師団、首都防衛用に1個師団、さらにクルド人対策として1個師団を国内に拘置せざるを得ず、イラン侵攻には当初全計6個師団のみが投入された。
結果として、地上部隊は攻勢作戦としては戦力が不足し、航空攻撃も低調であった為(詳細はイラン・イラク戦争における航空戦を参照)に攻撃は遅々としたものであった。
イラン軍反撃
イラク軍進撃
それでも進撃速度こそ遅かったが、イラク軍は圧倒的物量を活かし着々と前進。
9月27日、アフヴァーズを制圧(実際は包囲しただけ)。ホッラムシャフルとアーバーダーンへの圧力を強めた。
中部戦線においても9月23日にカスレ・シリンと南100kmのスマールを確保、ここから先は山岳地帯で大規模部隊の進撃には適さず、イラン軍は防御手薄のまま過ごし、イラク軍はここで進撃を停止した。イーラーム州正面においても同様にメヘラーンとデフロナーンを占領して進撃を停止した。
10月6日に、ホッラムシャフルを占領。10月10日にはイラク軍はカールーン川を渡河した。(詳細は、ホッラムシャフル解放戦を参照。) この頃にはイラク軍は、航空機対策としてZSU-23-4を機甲部隊に随伴させ、イラン軍の対戦車ヘリに対抗した。
10月12日、アーバーダーンまで約14kmに到達。10月中旬にはイラク軍は南部戦線のみで5個師団90,000人、戦車700輌展開したが、フーゼスターン州の地形は平坦ではあったが地表に塩分が噴出した湿地帯が多く、機甲戦闘には適さなかった。
11月2日に、アーバーダーン攻略を開始。(詳細は、アーバーダーン包囲戦を参照)