イリニ (ギリシャ王女)

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続柄 パウロス1世王女
全名 Ειρήνη της Ελλάδας και Δανίας
イリニ・ティス・エラザス・ケ・ザニアス
称号 ギリシャ及びデンマーク王女
身位 Πριγκίπισσα(王女)
イリニ・ティス・エラザス
Ειρήνη της Ελλάδας
グリクシンブルグ家
2018年
続柄 パウロス1世王女

全名 Ειρήνη της Ελλάδας και Δανίας
イリニ・ティス・エラザス・ケ・ザニアス
称号 ギリシャ及びデンマーク王女
身位 Πριγκίπισσα(王女)
出生 (1942-05-11) 1942年5月11日
南アフリカの旗 南アフリカ連邦ケープタウン
死去 (2026-01-15) 2026年1月15日(83歳没)
スペインの旗 スペインマドリードサルスエラ宮殿英語版
埋葬 2026年1月19日
ギリシャ共和国タトイ宮殿王族墓地
父親 パウロス1世
母親 フリデリキ・トゥ・アノヴェル
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ギリシャ王室


イリニ・ティス・エラザス・ケ・ザニアスギリシア語: Ειρήνη της Ελλάδας και Δανίας, 1942年5月11日 - 2026年1月15日)は、ギリシャパウロス1世とその妃フリデリキ(フリーデリケ・フォン・ハノーファー)の末娘。スペイン王フアン・カルロス1世の妃ソフィア、最後のギリシャ王コンスタンティノス2世の妹。「ギリシャ王女およびデンマーク王女」の称号を有する。

イリニは1942年5月11日にギリシャ王室の亡命先の南アフリカのケープタウンで生まれた[1]。ピアニストのジーナ・バッカウアーの弟子であり、一時期はプロのコンサート・ピアニストだったこともある。また1965年に兄コンスタンティノス2世の長女アレクシアが生まれるまで、ギリシャ王位推定相続人であった。

イリニはオルレアニストのフランス王位請求者パリ伯アンリの三男エヴルー伯ミシェルフランス語版と交際していたが、ミシェルは1967年11月17日に彼の父の承認を得ずにモロッコカサブランカでフランス貴族のベアトリス・パスキエ・ド・フランリューフランス語版と結婚した[2]。イリニはその後も結婚することはなかった。

1967年末にクーデターによって兄コンスタンティノス2世達の王室が亡命を余儀なくされると、イリニは母フリデリキ王太后とともにインドマドラスに亡命した[1]。1981年に母が死んだ後は、姉ソフィアが王妃となっていたスペインに移住し、フアン・カルロス1世とソフィア夫妻が住むマドリードサルスエラ宮殿英語版の一角を住居として与えられている[1]

イリニは「world in harmony」という組織の設立者兼代表である[3]

2018年3月16日、スペイン国籍を取得しギリシャ国籍を放棄した[4][5]

晩年は健康状態が良からず、2026年1月15日、サルスエラ宮殿英語版で83歳で逝去した。生涯独身で子供もいない。依願により死後はマドリードでの葬儀が終わった後、ギリシャのタトイ宮殿英語版に移され、両親と兄の隣に埋葬される予定である[1]

系譜

脚注

関連項目

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