イルフプラザ
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歴史
おかや東急百貨店の開業
岡谷市の市街地再開発事業の一つである中央町A地区第一種市街地再開発事業(施工面積:約1.9ha、総事業費:約124億円)[2]でララオカヤ・アピタ岡谷店と並ぶ岡谷市の核となる商業施設として整備され、1997年(平成9年)9月26日にながの東急百貨店が子会社として設立したおかや東急百貨店を核店舗として開業[5]。
東急撤退と市による改装
おかや東急百貨店は、商圏規模の小ささなどが影響[6]して売上高が目標の45億円を大きく下回る32-33億円[2]と伸び悩み、年4億円程度の赤字が2・3年続いた結果、累積赤字が約15億円に膨らんでいた[6]為、東急グループの不採算店閉鎖の一環[6]で進出からわずか4年7ヶ月の2002年(平成14年)4月30日に撤退した[2]。
東急撤退に伴う中心市街地の空洞化や市民生活への悪影響を懸念した岡谷市が2002年(平成14年)3月に建物の取得を決定し[1]、他の百貨店や大手スーパーなどに後継テナントとしての出店を依頼したが実現せず[7]、2002年(平成14年)6月[4]に近隣にあった地元の老舗衣料品店のカネジョウが本店を移動させる形で入居して新たな核店舗となり[7]、食品売場は商業施設のコンサルタントを使って招致した食品スーパーが後継となり[1]、従来からのテナント共に再スタートを切った[2]。
そして土地と建物の大半を2002年(平成14年)11月に岡谷市が約1億1580万円で取得して、中心市街地商業等活性化総合支援事業費補助金(約3.73億円)などを受けて総事業費約18億5431万円で整備し、2003年(平成15年)3月に全館開業した[2]。
この改装後は3階に生涯学習センター(カルチャーセンター)、4階に子育て支援施設こどものくにという市の施設を開いて空きフロア対策と集客を兼ね、4階の一部を飲食フロアとした[7]。
改装後の低迷と核店舗・準核店舗の変化
核店舗のカネジョウの売場面積が開業当初で2,494.75m2[4]でおかや東急百貨店(約10,000m2[6])の約4分の1と小さく、3・4階の多くを公共施設に転用して商業施設としての面積も半分近い5,814m2[3]になったため、それに比例して売上高は開業当初から月1-2階合計で1.3億円[2]と東急時代の約半分に留まり、賃料も周辺の半額としたものの採算スレスレ[2]の厳しい状況が続いた。
その結果、2005年(平成17年)7月3日に食品売場の後継で準核店舗である食品スーパーの「岡谷わいわい旬鮮市」が親会社の経営悪化に伴い閉店して撤退することになったため[8]、出店に伴う改装費用のうち躯体に関連する分を大家分として負担するとの名目[8]で岡谷市が改装費1億3900万円のうち4900万円を負担[9]すると共に、出店に伴って退去するテナントや隣接する売場に移転するために一時売場を閉鎖するテナントへの保証も岡谷市が負担する条件で[8]、同年9月23日に後継として別の食品スーパーさえき岡谷食品館を5年契約で招致して開業させ[10]、食品売場の消滅を一時的なものにとどめた。
しかし、2010年(平成22年)には6月と8月に核店舗のカネジョウが合計で売場面積の12%(316.68m2)を市に返却して縮小し[4]、9月には準核店舗のさえきが、目標売上を年1000-2000万円下回っていることや地盤である関東圏から離れた出店で輸送費などのコストが嵩んでいる等の理由で、契約を1年に短縮するよう求めたのを説得して2年間の契約延長にようやく漕ぎ着ける[9]など、商業施設の中核である2店が共に経営的に厳しい状況にあることが相次いで表面化した(さえきは契約満了後に撤退し、跡地には「イルフ岡谷食品館」が入居している)。

