ウェイン・テイラー・レーシング

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関係者 トラビス・フージ (副社長、ゼネラルマネージャー)
ブライアン・ピラー (テクニカルディレクター)
活動期間 2004年-
アメリカ合衆国の旗 ウェイン・テイラー・レーシング
2023年デイトナ24時間レース
本拠地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
チーム代表 ウェイン・テイラー
関係者 トラビス・フージ (副社長、ゼネラルマネージャー)
ブライアン・ピラー (テクニカルディレクター)
活動期間 2004年-
カテゴリ IMSA スポーツカー選手権
ドライバーズ
タイトル
3 ('05, '13グランダム・シリーズ, '17 IMSA)
公式サイト waynetaylorracing.com
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2005年、ライリー・ポンティアックデイトナ・プロトタイプ
2011年、ダラーラシボレー

ウェイン・テイラー・レーシング(WTR)は、元レーシングドライバーの、ウェイン・テイラーによって2004年に設立されたレーシングチームである。2023年、チームはアンドレッティ・オートスポーツとのパートナーシップを開始し、ウェイン・テイラー・レーシング・ウィズ・アンドレッティ・オートスポーツWTR Andretti)と名称も変更された[1][2]

チームは2004年に、銀行の持株会社であるサントラストからのタイトルスポンサーを得て、ライリー・テクノロジーズワークスチームとしてレーシングドライバーの、ウェイン・テイラーによって設立された。その年のロレックス・スポーツカー・シリーズに参戦。ウェイン・テイラーとマックス・アンジェレッリのラインナップは、デイトナ・プロトタイプ(DP)クラスで2位となった。

2005年、DPクラスのチーム、ドライバーのダブルタイトルを獲得した。

2007年ライリーとウェイン・テイラーは別れ、新たにウェイン・テイラー・レーシングは、#10 サントラスト・レーシングとして参戦を開始した[3]

2008年、ウェイン・テイラーは同年限りでドライバーを引退し、マイケル・ヴァリアンテとセカンドドライバーとして契約した。またチームはマシンを、ダラーラに切り替えた。

2009年フォードエンジンが採用され、ブライアン・フリッセルがセカンドドライバーとなった。ランキング3位となった。

2010年、チームはアンジェレッリとウェイン・テイラーの息子である、リッキー・テイラーが加わった。1回の優勝と7回の表彰台を獲得し、ランキング2位になった。

2011年、エンジンをシボレーに変更。3レースで優勝し、8回の表彰台を獲得、ランキング2位になった。

2012年コルベット・デイトナ・プロトタイプを採用し、シーズン3勝を挙げ、ドライバーズランキングで6位になった。

2013年、チームはサントラストのスポンサーシップを失った。リッキー・テイラーがチームを去り、弟であるジョーダン・テイラーが加入した。アンジェレッリとジョーダン・テイラーは、グランダムとアメリカン・ル・マン・シリーズが合併する最後のシーズンで、3連勝を含む5回のレースで優勝。DPクラスでシリーズチャンピオン獲得した。

2014年、ユナイテッド・スポーツカー選手権となった初年度、アンジェレッリは長距離の耐久レースのみ参加となった。リッキー・テイラーがチームに復帰し、弟のジョーダンと共にフルタイムでドライブし、ランキング2位になった。

2017年コニカミノルタのスポンサーで、最高峰クラスがデイトナ・プロトタイプ・インターナショナル(DPi)に変更となったこの年、チームはマシンを、キャデラック・DPi-V.Rに変更。開幕5連勝を達成、ドライバーズ、チームのダブルタイトルを獲得した。

2019年、デイトナ24時間レースでは、小林可夢偉フェルナンド・アロンソが参戦し、総合優勝した。小林可夢偉は翌年もデイトナ24時間に同チームから参戦し、2連覇を達成した。

2021年、チームはマシンをキャデラックから、アキュラに乗り換え、アキュラ・ARX-05で参戦[4]デイトナ24時間で総合優勝、デイトナ3連覇を果たした。

2023年、ウェイン・テイラー・レーシング・ウィズ・アンドレッティ・オートスポーツとして[5]、新たに始まったGTPクラスに、LMDh規定のアキュラ・ARX-06で参戦。

2025年、再びキャデラックへと変更。キャデラック・ウェイン・テイラー・レーシングとして、GTPクラスに、LMDh規定のキャデラック・Vシリーズ.Rを使用し参戦[6]

レース結果

脚注

外部リンク

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