ウォリック・ダン

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ポジション ランニングバック
生年月日 (1975-01-05) 1975年1月5日(50歳)
身長: 5' 9" =約175.3cm
ウォリック・ダン
Warrick Dunn
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基本情報
ポジション ランニングバック
生年月日 (1975-01-05) 1975年1月5日(50歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ルイジアナ州バトンルージュ
身長: 5' 9" =約175.3cm
体重: 187 lb =約84.8kg
経歴
大学 フロリダ州立大学
NFLドラフト 1997年 / 1巡目全体12位
初出場年 1997年
初出場チーム タンパベイ・バッカニアーズ
所属歴
1997年-2001年 タンパベイ・バッカニアーズ
2002年-2007年 アトランタ・ファルコンズ
2008年 タンパベイ・バッカニアーズ
受賞歴・記録
NFL 通算成績
ラン獲得ヤード 10,967ヤード
平均ラッシングヤード 4.1ヤード
TDラン 49回
レシーブ 462回
レシーブ獲得ヤード 4,339ヤード
TDレシーブ 15回
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR

ウォリック・ダン(Warwick Dunn 1975年1月5日- )はルイジアナ州バトンルージュ出身のアメリカンフットボール選手。NFLタンパベイ・バッカニアーズアトランタ・ファルコンズで1997年から2008年までプレーした。ポジションはランニングバックプロボウルに3回選ばれている[1]

プロ入りまで

6人兄弟の長男として生まれた。警官であった彼の母親はシングルマザーであり女手1つで6人の子供を育てていた。

高校時代はクォーターバックコーナーバック、ランニングバックとしてプレーした。高校3年次にはUSAトゥデイよりオールアメリカンに選ばれた。

ウォリックが18歳の誕生日を迎えた2日後の1993年1月7日に母親が強盗の凶弾に倒れた。この事件では2人に死刑判決が、3人が刑務所に送られた。その後バトンルージュの慈善団体から家族が支援を受けたことがダンがチャリティーに力を注ぐ大きな要因となった[1]。2007年にダンは刑務所に収監された犯人の1人と面会している[2]

母親を亡くした直後に彼に会ったボビー・ボウデンフロリダ州立大学ヘッドコーチは彼を気に入り、彼は同大学に進学した[3]。1995年には大学記録となる1,418ヤードを走ってサミー・スミスが1987年に作った1,230ヤードの大学記録を更新した[4]。また通算3,959ヤードの大学ラッシング記録を作った。3年連続でシーズン1000ヤードラッシングを記録したのも同大学で唯一の記録となっている。アトランティック・コースト・カンファレンスのオールチームに3回選ばれた。陸上競技でも活躍し、AP通信により400メートルリレー走のオールアメリカンに選ばれている。

1995年1月2日のフロリダ大学とのシュガーボウルではランで58ヤード、9回のレシーブで51ヤード、73ヤードのタッチダウンパスを投げて23-17の勝利に貢献した[5]

NFL

1997年NFLドラフトで背の低い彼はそれほど高い評価を受けていなかったがトニー・ダンジーヘッドコーチのタンパベイ・バッカニアーズ に1巡全体12位で指名された[6]。トレーニングキャンプを5日間ホールドアウトし7月24日、6年886万ドル(350万ドルのサインボーナスを含む)で契約を結んだ[7]

開幕戦のデトロイト・ライオンズ戦で130ヤードを走り、バッカニアーズの選手としては前年9月15日のレジー・ブルックス以来の100ヤードラッシングをマークした[8]。この年バッカニアーズのチーム記録となる76ヤードのランを記録した[9]NFL攻撃部門最優秀新人選手に選ばれると共にプロボウルにも選ばれた。バッカニアーズ在籍中、1998年2000年に1,000ヤードラッシャーとなり[10]、2000年には2度目のプロボウルに選ばれた。

2002年フリーエージェントとなった彼はアトランタ・ファルコンズと6年2850万ドルの契約(650万ドルのサインボーナスを含む)を結んだ[11]

2003年11月、左足を痛めて故障者リスト入りした。シーズン絶望となる前、11試合に出場しチームトップの672ヤードを走るとともにレシーブで336ヤードを獲得、5タッチダウンをあげていた[12]

2004年にはT・J・ダケットと併用され1,106ヤード、9タッチダウンをあげて、チームをNFCチャンピオンシップゲームに導いた[13][14]

2005年には1,416ヤードを走り、自身3度目のプロボウルに選出された。2006年10月15日のニューヨーク・ジャイアンツ戦ではファルコンズ記録となる90ヤードのタッチダウンランを決めた[15]

2006年にはマイケル・ヴィックと共に1,000ヤード以上を走った[16]

2007年にエースQBのバイロン・レフトウィッチが足首の故障で戦線離脱した際にはジョーイ・ハリントンクリス・レッドマンに次ぐ第3QBとしてもロースターに連なった。11月22日のインディアナポリス・コルツ戦でNFL史上22人目となる通算ラッシング10,000ヤードを達成した[17]。この年チーム成績は不振を極め、12月に彼はこのまま引退したくないと語った[18]

ファルコンズでは2004年から2007年まで4年連続チームのリーディングラッシャーとなったが、2008年3月3日、前日にサンディエゴ・チャージャーズの控えRBマイケル・ターナーを獲得したファルコンズに解雇を希望し[19]、同月11日、推定2年600万ドルで古巣のタンパベイ・バッカニアーズと契約を結んだ[20]。2008年シーズンはアーネスト・グラハムと併用されていた彼は[21]、グラハムがシーズン絶望となった後のデトロイト・ライオンズ戦で14回のランで90ヤードを獲得、1タッチダウンをあげて17点差からの逆転勝利に貢献した[22]。この年チームトップの786ヤードを走り、チーム2位の47レシーブをマーク

このシーズン平均4.2ヤードを走ったものの[23]ラヒーム・モリスヘッドコーチが就任し若返りを目指すチームの方針から[24]、2009年2月25日、デリック・ブルックスケイト・ジュンらと共にチームから解雇された[25]

ランで10,967ヤードを走ると共にレシーブでも4,339ヤードを獲得している。NFL史上6人しかいないラン10,000ヤード以上、レシーブ500回以上を達成した選手の1人である[1]

現役引退後

2009年6月にはアフガニスタンバグラム空軍基地を慰問のため訪問した[26]。同年12月17日、アトランタ・ファルコンズのオーナーシップの一部を獲得した[27]

人物

脚注

外部リンク

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