エクアドル人

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エクアドル人
Ecuatorianos
総人口
約1700万人
(Ecuadorian citizenship and ancestry worldwide)
居住地域
エクアドルの旗 エクアドル 1614万人 (2015年の推定)[1]
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国564,631人[2]
スペインの旗 スペイン359,076人[3]
カナダの旗 カナダ20,120人[4]
チリの旗 チリ16,357人[5]
コロンビアの旗 コロンビア11,404人[6]
イギリスの旗 イギリス9,422人[7]
ドイツの旗 ドイツ4,907人[8]
言語
スペイン語、複数の先住民族言語
宗教
主にローマ・カトリック。その他プロテスタント[9]
関連する民族
他のラテンアメリカ人インディオ

多くのエクアドル人は1つないし3つ以上の地域から移住してきた人である。エクアドル人は、1万5千年以上前にエクアドルにやって来たスペイン人に征服される前の先住民、5世紀以上前にやってきたヨーロッパ人(主にスペイン人)、同じく5世紀以上前にやって来たサハラ砂漠黒人アフリカ人などからなる。それらの人種同士の結婚によって2つないしそれ以上のグループができ、それがまた新たな人種となった。

ヨーロッパ人とアメリカ先住民混血によるグループであるメスティーソが圧倒的に1番多い民族グループであり、現在の人口の71.9%を占める。白人が6.1%を占めていると言われていて、そのほとんどが純粋なヨーロッパ人である[10]。多くの白人エクアドル人が植民地支配後のスペイン系で、その人たちはクリオーリョという名前でも知られている(クリオーリョとはもともと地元生まれのスペイン人という意味で、イベリア半島で生まれたスペイン人であるペニンスラールとは異なる)。

白人エクアドル人にはイタリア系ドイツ系フランス系など他のヨーロッパ諸国出身の人たちもいる。3番目に多いグループはアメリカ先住民で、エクアドル全人口の約7%である。残りの多くはアフリカ系エクアドル人が占めムラート(ヨーロッパ人とサハラ砂漠以南のアフリカ人の混血)やサンボ(先住民とサハラ砂漠以南のアフリカ人の混血)などである。

ベネディクト・アンダーソンは、自著『想像の共同体』で「南アメリカの新生共和国が、かつてはそれぞれ、一六世紀から一八世紀にかけて行政上の単位」であり、イベリア半島出身者によって形成された南アメリカにおける行政単位は偶然的・恣意的なものであったが、それでもやがてエクアドル人もベネズエラ人コロンビア人も、自国に愛着を寄せるようになったことを指摘している[11]

国勢調査によるデータ

人口推移
人口±%
1950 3,202,757    
1962 4,467,007+39.5%
1974 6,521,710+46.0%
1982 8,060,712+23.6%
1990 9,648,189+19.7%
2001 12,156,608+26.0%
2010 14,483,499+19.1%
2017 16,554,812+14.3%
Source: [12]

INEC(スペイン語: Instituto Nacional de Estadisticas y Censos)という制府機関による国勢調査を行い、その国勢調査は10年ごとに実施され、エクアドル国内の人口を調べる目的で行われる[13]。現在は世帯情報も調査しており、もっとも最近(2011年時点)行われた調査では特に田舎や人里離れた地域の人口を正確に測ることに力を入れた。2010年の国勢調査は11月と12月に行われ、2011年1月27日に調査結果が公表された。

総人口数

以下の表は、最近行われた国勢調査のデータであり、総人口数が表示されている。

Recent Ecuadorian censuses
Date Population Density Change since
previous census
1Census 200112,156,60853.8
2Census 201014,306,87655.8+14%[13]

人口増加率

以下の表は、人口増加率である。

Percentage of population growth (census periods)
Time lapse Growth percentile
11950–19622.96%
21962–19743.10%
31974–19822.62%
41982–19902.19%
51990–20012.05%
62001–20101.52%[14]

国連によるデータ

The World Population Prospectsによる2015年の改訂版によると、2015年の総人口は16144,000人で、それと比較できるデータは1950年の3470000人のみである。2015年のデータでは15歳以下の子供の割合は29.0%で、15歳~65歳の人の割合は63.4%で、65歳以上の年齢の割合は6.7%である[15]

Total population
(x 1000)
Proportion
aged 0–14
(%)
Proportion
aged 15–64
(%)
Proportion
aged 65+
(%)
1950 3 47039.555.25.3
1955 3 95741.653.54.9
1960 4 54643.352.04.7
1965 5 25044.551.04.5
1970 6 07344.351.54.3
1975 6 98743.752.24.1
1980 7 97641.854.14.1
1985 9 04640.055.94.1
1990 10 21838.257.54.3
1995 11 44136.359.14.6
2000 12 62934.760.35.0
2005 13 73532.662.45.5
2010 14 93530.763.46.1
2015 16 14429.063.46.7

人口の構成[16]

人口の構成(2013年1月7日時点、推定値-インド系遊牧民は数字に入っていない。2010年国勢調査のデータに基づいた情報)

Age Group Male Female Total %
Total 7,815,935 7,958,814 15,774,749 100
0–4 864,669 826,731 1,691,400 10.72
5–9 854,691 816,503 1,671,194 10.59
10–14 815,838 783,725 1,599,563 10.14
15–19 756,376 737,082 1,493,458 9.47
20–24 685,997 682,849 1,368,846 8.68
25–29 620,881 635,987 1,256,868 7.97
30–34 559,055 593,148 1,152,203 7.30
35–39 495,340 538,054 1,033,394 6.55
40–44 437,744 476,215 913,959 5.79
45–49 387,618 419,090 806,708 5.11
50–54 336,267 360,935 697,202 4.42
55–59 279,746 298,503 578,249 3.67
60–64 223,411 238,973 462,384 2.93
65–69 172,623 187,448 360,071 2.28
70–74 128,033 142,255 270,288 1.71
75–79 89,929 101,191 191,120 1.21
80–84 57,585 64,467 122,052 0.77
85–89 31,289 34,891 66,180 0.42
90–94 13,655 15,370 29,025 0.18
95–99 4,898 5,145 10,043 0.06
100+ 290 252 542 0.03
Age group Male Female Total Percent
0–14 2,535,198 2,426,959 4,962,157 31.46
15–64 4,782,435 4,980,836 9,763,271 61.89
65+ 498,302 551,019 1,049,321 6.65

生命に関するデータ

エクアドルの人生上のさまざまな出来事に関する情報は未完成である。国連にある人口を調査している部署には以下のデータがある[15]

Period Live births
per year
Deaths
per year
Natural change
per year
CBR* CDR* NC* TFR* IMR* Life expectancy
total
Life expectancy
males
Life expectancy
females
1950–1955169,00071,00098,00045.619.226.46.7514048.447.149.6
1955–1960190,00071,000119,00044.816.728.16.7512951.450.152.7
1960–1965214,00071,000143,00043.614.529.16.6511954.753.456.1
1965–1970239,00073,000166,00042.213.029.26.4010756.855.458.2
1970–1975258,00074,000184,00039.611.428.25.809558.957.460.5
1975–1980270,00071,000199,00036.29.526.75.058261.459.763.2
1980–1985285,00068,000217,00033.58.025.54.456964.562.566.7
1985–1990302,00064,000238,00031.46.724.74.005667.565.369.9
1990–1995311,00063,000248,00028.75.822.93.554470.167.672.7
1995–2000316,00064,000252,00026.35.420.93.203372.369.775.2
2000–2005313,00068,000245,00023.85.218.62.882574.271.377.3
2005–2010323,00074,000249,00022.55.217.32.732175.072.178.1
2010–2015329,00080,000249,00021.25.216.02.591776.473.679.3
2015–2020330,00085,000245,00019.75.114.62.441477.674.980.4
* CBR = crude birth rate (per 1000); CDR = crude death rate (per 1000); NC = natural change (per 1000); IMR = infant mortality rate per 1000 births; TFR = total fertility rate (number of children per woman)

出生と死亡[16]

Year Population Live births Deaths Natural increase Crude birth rate Crude death rate Rate of natural increase TFR
2009 215 906 59 714 156 192
2010 14 483 499 219 162 61 681 157 481
2011 229 780 62 304 167 476 2.737
2012 235 237 63 511 171 726 2.684
2013 220 896 63 104 157 792 2.634
2014 229 476 62 981 166 495 2.587
2015 273 280 64 790 208 490 16.8

CIA World Factbookによる人口調査

以下の人口統計データは、特に明記がなければCIA World Factbookによるものである。(人口:15007343人、2011年7月、推定)

年齢中央値

男女計:25.7歳
男性:25歳
女性:26.3歳(2011年推定値)

人口増加率

1.443%(2011年推定値)

純移動率

0.52人/1000人(2003年推定値)
0.81人/1000人(2009年推定値)

男女比

出生時:女性1人あたり男性1.05人
15歳以下:女性1人あたり男性1.04人
15~64歳:女性1人あたり男性0.97人
65歳以上:女性1人当たり男性0.93人
計:女性1人あたり男性0.99人

HIV/AIDS―成人の罹患率

0.3%(2007年推定値)

HIV/AIDS―HIV/AIDSを患っている人

26000人(2007年推定値)

HIV/AIDS―死者

1400人(2007年推定値)

国名

名詞:Ecuadorian(s)
形容詞:Ecuadorian

宗教

カトリック:約95%
プロテスタント:約4%
ユダヤ教:0.002%未満
東方正教会:0.2%以下
イスラム教:(スンニ派)約0.001%
仏教:0.15%以下
アニミズム:0.5%以下
無神論者不可知論者:1%

言語

スペイン語(公用語)、アメリカ先住民の言語(主にQuechua)
Achuar-Shiwiar語 2000人 Pastaza地区 別名:Achuar、Achual、Achuara、Achuale
Chachi語 3450人 Esmeraldas地区 Cayapas川水系 別名:Cayapa、Cha’ Palaachi
Colorado語 2300人 Santo Domingo de los Colorados地区 別名:Tsachila、Tsafiki
Quechua語 多くの地域で9つの方言を話す、合わせて1460000人
Shuar語 46669人(2000年 WCD) Morona-Sanitago地区 別名:Jivaro、Xivaro、Jibaro、Chiwaro、Shuara
Waorani語 1650人(2004年)Napo、Morona-Santiago地区 別名;Huaorani、Waodani、Huao

識字率(15歳以上の者が読み書きをできるかどうか)

全人口の91%
男性:92.3%
女性:89.7%(2003年推定値)

地理

19世紀終盤まで海沿いの地区でマラリア黄熱病が流行したため、エクアドルの人口はSierra地区の高地や渓谷にかなり集中した。現在の人口は以前よりはSierra地区とCosta地区(海沿いの低地)に均等に分布している。

全ての地区において、特に大都市などの都市部への移住によって都市部の人口は55%増えた。

Oriente地区はアンデス山脈東部へ続くアマゾン川流域にある低地からなり、エクアドルの陸地の約半分を占め、全人口の3%と以前から人口が少なく、メスティーソや白人移住者とは距離を置いている先住民が多く住んでいる。

Oriente地区には9つもの種類の先住民が住んでいる。それは、Quichua、Shuar、Achuar、Huaorani、Siona、Secoya、Shiwiar、Cofanなどであり、そこの人たちは Confederation of Indigenous Nationalities of the Ecuadorian Amazon、つまりCONFENIAEの政治的代表を務めていた。

17世紀から18世紀前半にかけてエクアドル東部の油田開発に伴う、石油採掘やインフラ設備の開発のために、開発の盛んだった地区で国内での移動が盛んな時期があり、この移動の多くは3年続いた干ばつによって影響を受けた南部地区Lojaからである。この石油産業によるブームはLago Agrio(Nueva Loja)でにわか好景気を生むだけでなく、湿地や湖での森林伐採公害も生んだ。

人種と民族

エクアドルには5つの主要な民族グループがある。メスティーソ、白人、アフリカ系エクアドル人、アメリカ先住民、モントゥーノである。メスティーソがエクアドル全人口の70%を占める。

Ethnic composition of Ecuador[17]
MestizoWhiteAmerindianMontubio[18][19][20][21][22][23]Afroecuadorianother
71.9%6.1%7.0%7.4%7.2%0.4%

エクアドル人はスペインからの移民、南アメリカのインディアン、16世紀に海岸沿いのプランテーションでの労働目的でやってきた混血の黒人奴隷の子孫であり、これらのグループ同士が結婚してメスティーソチョロという民族が生まれた。

国勢調査にはどうやって現在のエクアドルにいる民族が出来たのかという記録は残っておらず、いろいろな情報が錯綜しているので、それぞれの民族グループが何人いるかという情報はおおよその値になっているが、1980年代はインディアンとメスティーソがエクアドルの人口の多くを占めそれぞれ全人口の約40%を占めていた。白人は10~15%いて、黒人は5%という数字になっている[24]

1989年に書かれたKluckの情報によるとエクアドルの民族グループには以前から白人、メスティーソ、黒人や他の民族との間に階層制度があり、Kluckはこの階層制度は植民地主義と植民地支配国による法の支配だとみている[25]。スペイン生まれの人はNew Worldといわれるところに住み、階層のトップに位置していた。それに続く地位として植民地でスペイン人の両親から生まれたクリオーリョがいた。19世紀、メスティーソという人種はインディアンと白人の両親から生まれた人を指し、チョロはインディアンとメスティーソの両親から生まれた人を指したが、20世紀までメスティーソとチョロはよく同じような意味で用いられた。Kluck社会における関係、職業、慣習、服装などは全て民族の歴史から由来しているとみており、Kluckは「もし嫁ぎ先のグループの慣習に合わせる必要が出てきたら彼らの慣習に合わせることになるだろう、そうなった時は言い逃れできないだろう」と述べている[25]

民族グループの特徴は民族によってかなり違い、民族の特徴を説明する際、地位の相当高いメスティーソと白人が使う言葉によっていろいろな社会的、生物学的特徴が組み合わされるので、民族の特徴は絶えず変化している。インディアンの人たちはよくメスティーソに民族を変更する。そして、その地位の高いメスティーソは白人に迫る勢いでさらに地位を上げていく。民族の個性によって彼らの特徴がたくさん見えてくる、例えば、身体の特徴、衣装、言葉コミュニティー、自己表現などである[24]

1950年代に大移動があったが、それまでは民族の地理的分布は分かりやすいものであり、白人は主に大都市に住んでいた。メスティーソは小さな町にいて地方の至る所に住んでいた。メスティーソもいたが、インディアンの多くはSierra地区の田舎に住んでいた。多くの黒人はEsmeraldas地区に住んでいた。そことはやや離れたCarchi地区、Imbabura地区にも住んでいた。Sierra地区の資源を獲得しようという圧力とハシエンダという大規模農場が消滅するということがあったが、多くのインディアンが沿岸地域、エクアドル東部や市部にやってきた。

1980年代までにSierra地区のインディアンまたはメスティーソから民族を変更したインディアンは、Quito、Guayaquilの沿岸部やエクアドル東部や沿岸部の植民地でプランテーションをして生活をした。

1980年代後半、アナリストはCayapa族とColorado族は約4000人しかいなかったとみている。

エクアドルとコロンビアの国境のある地区から少し離れたEsmeraldas市へ移動した黒人もいる[24]

アフリカ系エクアドル人

アフリカ系エクアドル人は、インカ帝国がエクアドルを征服している時にスペイン人が連れてきたアフリカ奴隷の子孫からなる民族グループである。彼らはエクアドルの人口の3~5%を占めている[26][27]

エクアドルにはアフリカ人の子孫が約112万人いる。アフリカ系エクアドル人の文化は主にエクアドル北西部で見られ、Esmeraldas地区ではアフリカ人が70%を占め、Imbabura地区のValle del Chotaでも多くのアフリカ人が住んでおり、QuitoやGuayaquilも同様にかなりのアフリカ人が住んでいる。

先住民

Sierra地区のインディアン

1980年代前半、Sierra地区のインディアンは推定150~200万人いて、アンデス山脈の山間で生活している。スペインによる侵略のために長い間ヒスパニック文化と接していたので、Sierra Indians特有の文化は薄れてしまった[28]

Sierra Indiansは地位の違いから白人やメスティーソとは隔離されていました。彼らは地位が低いために、差別を受けていた。多くのインディアンは貧しく、読み書きもできず、国家機関への関与も制限され、地位の高い人たちとは違い、社会的、経済的配慮を受けることもほとんどなかった。

インディアンは髪型、服装、言語などが違うので、他の民族から孤立するようになり、インディアンは1970年代後半までには以前よりも機械的に生産された服を着るようになったが、それでも彼らの服装は他の原住民たちとは明らかに違うように映り、もっぱら賃金労働による収入に依存していましたインディアンは、インディアンらしさを保ちつつも、欧米風の服装も取り入れていった[28]

インディアンの多くはQuechua方言のQuichua語と第2言語としてスペイン語を話し、スペイン語の能力は人それぞれであり、1980年代後半までにはQuichua語を学ぶ若者はほとんどいなくなった[28]

エクアドル東部のインディアン

16世紀になって初めてエクアドル東部のインディアンは白人と接する機会が出てきたが、他の先住民と比べるとその機会は少ないものであった。

19世紀までにエクアドル東部へやって来たインディアン以外の民族の多くは貿易業者宣教師であった。

1950年代初めに政府が道路を作ってSierraの住民にアマゾン川流域へ移動するように勧めました。それによってエクアドル東部のインディアンは他の民族と接するようになり、インディアンと他の地域からやってきた人たちが接することにより、先住民の生活に大きな影響を与えることになる[29]

1970年代後半には、およそ3万人のQuichua語を話す人たちと1万5千人のJívaros族がエクアドル東部のインディアンたちと生活していた。Quichua語を話す人たち(この人たちはYumbosと呼ばれることもある)はスペインによる侵略の後、自分たちのグループを抜けだした。

Quichua語を話す宣教師や貿易業者の影響を受けて、Yumbosが話す言葉も変わっていき、次第に以前話していたYumbos特有のQuichua語を話さなくなった。Yumbosはエクアドル東部の至る所に散らばり、Shuar族とAchuar族に分かれたJívarosはエクアドル南東部に集中し、ペルー北東部で生活する人もいた。YumbosもJívarosも地域内での争いを回避し、焼畑農業による熱帯雨林の破壊を最小限にするために昔から移住に依存した生活をしている。両者は原始的な手段で農業をして生計を立てており、Maniocという主要作物はたくさんの果物や野菜と共に生産を伸ばしていった。Yumbosの男性は賃金労働者としても働いて生活必需品が必要な時はそこで稼いだお金で購入した。

1970年代中ごろまでに多くのQuichua語を話す人たちがエクアドル東部の町や教会のある場所へ移住してきた。インディアンの人たちはキリスト教徒のインディアンとジャングルに住んでいるインディアンを区別するようになり、キリスト教徒のインディアンは都会の人たちと商取引をする。キリスト教徒でQuichua語を話す人たちとは違い、Jívarosはもっと人里離れた地域に住んでおり、Jívarosは農業だけではなく狩りや家畜でも生計を立てていたが、 彼らの園芸のやり方は、キリスト教徒ではないYumbosのやり方と似ていた[29]

Shamans(curanderos)族はYumbosやJívarosと重要な社会的関係を築いた。地域で争いが起きた時は先頭に立って解決に努め、1980年代に敵対関係のあるShamans同士の争いが発展して多くの死者がでた[29]

エクアドル東部に住んでいたインディアンの人口は、外部の人たちと会う機会が多くなったことによって急激に減少し、メスティーソが先住民の土地を横取りしたことによって作物が取れなくなり、先住民が免疫を持っていなかった病気にかかり、また、社会が混乱していたのもあって死亡率が増え、出生率が下がった[29]

1950年代のShuar族に関する研究では、10代の人口は思っていたよりも少ないことがわかり、この10代の人たちとは外部の人たちと関わることが増えた世代の中では一番若い人たちであり、その約10年後、人口増加率は持ち直してきた[29]

文化

移民の傾向

脚注

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