Wikiwand AI

エバン・ガティス

アメリカの野球選手 (1986 - ) From Wikipedia, the free encyclopedia

ジェームズ・エバン・ガティス(James Evan Gattis, 1986年8月18日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州ダラス出身の元プロ野球選手(捕手、左翼手)。右投右打。愛称はブル(Bull)[1]。

生年月日 (1986-08-18) 1986年8月18日(40歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
230 lb =約104.3 kg
概要 基本情報, 国籍 ...
エバン・ガティス
Evan Gattis
アストロズ時代(2015年10月8日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 テキサス州ダラス
生年月日 (1986-08-18) 1986年8月18日(40歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
230 lb =約104.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手、左翼手、指名打者、一塁手
プロ入り 2010年 MLBドラフト23巡目(全体704位)でアトランタ・ブレーブスから指名
初出場 2013年4月3日 フィラデルフィア・フィリーズ戦
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
閉じる

メディアによっては「ギャティス」とも表記される。

経歴

プロ入り前

6歳から野球を始める。少年時代は大のテキサス・レンジャーズファンだった[2]。

高校時代に活躍し、テキサスA&M大学が獲得に動いたが、期待への重圧からアルコールやマリファナに手を出し、進学も諦めている[3]。その後、母親が更生施設に30日間入れた。退院後は、オクラホマ州にあるセミノール州立大学(英語版)に進学する。ここで、野球をするも膝を怪我して辞めてしまう。

セミノール州立大学中退後、長い放浪生活が始まる。まず、ダラスでバレットパーキングをする[4]。その後、コロラド州ボルダーにいる兄妹の家にしばらく泊まる。ここでは、スキーのリフトの係などをやっていた。その7ヶ月後に、ダラスに帰郷する。

2010年に野球を復帰する事を決意。義理の兄弟がテキサス・オブ・ザ・パージアン・ベイシン大学(英語版)で野球をしており、そこのコーチがエバンの高校時代をよく知る人物だった。そのコネで大学に入り、野球を復帰した。

ブレーブス時代

2010年のMLBドラフト23巡目(全体704位)でアトランタ・ブレーブスから指名され、プロ入り。1年目は傘下のアパラチアンリーグのルーキー級ダンビル・ブレーブス(英語版)でプロデビュー。35試合に出場して打率.288、4本塁打を記録した。

2011年5月にA級ローム・ブレーブス(英語版)に昇格した。

2012年は開幕をA+級リンチバーグ・ヒルキャッツで迎え、21試合で打率.385・9本塁打・29打点を記録し、4月中にAA級ミシシッピ・ブレーブスへ昇格した。オフにベネズエラのウィンターリーグに参加。53試合に出場して打率.303、16本塁打、長打率.595を記録した。ここで、"El Oso Blanco"というあだ名が付けられた。これは、スペイン語でシロクマを意味する。

2013年は開幕前にブライアン・マッキャンが負傷したため、初めて開幕ロースター入りを果たした。4月3日のフィラデルフィア・フィリーズ戦で、メジャーデビューを果たす。第2打席でロイ・ハラデイからメジャー初本塁打を放った[5]。4月は、打率.250・6本塁打・16打点・長打率.566・塁打43を記録し、4月のルーキー・オブ・ザ・マンスを受賞した。5月になるとマッキャンが復帰したが、故障者リスト入りしているジェイソン・ヘイワードに変わって左翼手を守るなどして、出場機会を得ている。5月も好調を維持し、打率.303、出塁率.362、長打率.683を記録し、2か月連続でルーキー・オブ・ザ・マンスを受賞した。しかし6月19日に故障者リスト入りした。9月3日に復帰し、8日のフィリーズ戦では飛距離486フィート (148 m)級のホームランを放った。これは、シチズンズ・バンク・パークで最長飛距離である[6][7]。この年は105試合に出場して打率.243、21本塁打、65打点を記録し、ナショナルリーグの新人王の投票では7位であった。

ブレーブス時代
(2014年6月13日)

2014年2月25日にブレーブスと1年契約に合意した[8]。この年はマッキャンがニューヨーク・ヤンキースへ移籍したため、開幕から正捕手として起用された。6月30日には椎間板ヘルニアで15日間の故障者リスト入りした[9]、7月21日に復帰[10]。この年は108試合に出場して打率.263、22本塁打、52打点を記録した。

アストロズ時代

2015年1月14日にマイク・フォルテネービッチ、リオ・ルイーズ、アンドリュー・サーマン(英語版)とのトレードで、ジェームズ・ホイトと共にヒューストン・アストロズへ移籍した[11]。アストロズではDHのレギュラーの座を手中に収め、自己最多の153試合でプレーして規定打席に達した。打率は.246ながら、自己最多且つチームトップの27本塁打を放ったほか、アメリカンリーグ3位タイの11三塁打も記録した。

2016年も指名打者のレギュラーで起用されたが、本職の捕手として起用される機会も増えた。128試合に出場し、打撃面では打率.251、32本塁打、72打点という成績を記録した。MLB4年目で通算100本塁打に達したほか、初めて30本塁打を超えた事もあって長打率は.500を超えた。また、メジャー初盗塁も決めた。

2017年は8月に脳震盪で故障者リスト入り[12]した影響もあり、84試合の出場に留まった。

2018年は128試合に出場して打率.226、25本塁打、78打点を記録した。捕手の守備に就いたのは2試合だけだった。オフの10月29日にFAとなった[13]。

2020年、元チームメートのエリック・オフラハティと共に現役引退を発表した[14]。

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
年

度
球

団
試

合
打

席
打

数
得

点
安

打
二
塁
打
三
塁
打
本
塁
打
塁

打
打

点
盗

塁
盗
塁
死
犠

打
犠

飛
四

球
敬

遠
死

球
三

振
併
殺
打
打

率
出
塁
率
長
打
率
O
P
S
2013 ATL 10538235444862102117065000321448110.243.291.480.771
2014 1084013694197171221825200022238979.263.317.493.810
2015 HOU 15360456666139201127262880105303311913.246.285.463.748
2016 1284994475811219032227722105436412712.251.319.508.826
2017 8432530041792201213755010318045010.263.311.457.767
2018 128451407499217025184781008332310113.226.284.452.736
MLB:6年 7062662244329960511612139116241033026167182657567.248.300.476.775
閉じる
  • 2019年度シーズン終了時

年度別守備成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...
年
度
球
団
捕手(C)一塁(1B)左翼(LF)
試

合
刺

殺
補

殺
失

策
併

殺
守
備
率
捕

逸
許
盗
塁
盗
塁
刺
阻
止
率
試

合
刺

殺
補

殺
失

策
併

殺
守
備
率
試

合
刺

殺
補

殺
失

策
併

殺
守
備
率
2013 ATL 423792620.9932168.333434012.9714863341.943
2014 937234952.99455313.197--
2015 HOU --115010.833
2016 554483424.99651513.464--
2017 494731492.9824354.103120001.000-
2018 220001.000000.-----
MLB 2411925123188.9911611938.242536012.9735968351.934
閉じる
  • 2019年度シーズン終了時

表彰

背番号

  • 24(2013年 - 2014年)
  • 11(2015年 - 2018年)

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks