カドヴァン・アプ・イアゴ
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カドヴァン・アプ・イアゴはグウィネズ王イアゴ・アプ・ベリ(Iago ap Beli)の息子。パウィス軍がノーサンブリアのエセルフリス(Æthelfrith of Northumbria)に敗北したチェスターの戦い(Battle of Chester)の直後、おそらく615年頃にグウィネズ王に即位した[2]
カドヴァンは一般に賢明かつ公平な統治者であったと考えられている。とくに、法の維持と、ブリテン史の中で敵がますます増えつつあった時代にあっての平和の手腕が特筆に値する。アングルシー島のLlangadwaladr教会にあるカドヴァンの墓石には、「Catamanus rex sapientisimus opinatisimus omnium regum(賢明かつすべての王の中で最も名高いカドヴァン王)」と言及されている。カドヴァンの死後、王位はカドワスロン・アプ・カドヴァン(Cadwallon ap Cadfan)に継承された。
カドヴァンはジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王史』の伝説のブリタニア王の中に加えられている。ジェフリーはカドヴァンを「カドウァヌス」(ラテン語。英語表記はCadvan)と呼び、北ウェールズの王から後に全ブリトンの王となったことにした[3] 。テューダー家の家祖オウエン・テューダーはカドヴァンの子孫であるため、テューダー朝を開いたイングランド王ヘンリー7世を通じて現イギリス王室の系図にも連なることになる。
脚注
- ↑ Cannon, John; Ralph Griffiths (1997). The Oxford Illustrated History of the British Monarchy. Oxford University Press. pp. 8. ISBN 0-19-822786-8
- ↑ イギリスの歴史家チャールズ・プラマーがチェスターの戦いは616年に起きたと主張し、一般にはそれが受け入れられている。しかし、当時の年代記の記述はまちまちである。その戦死者の中にイアゴがいたらしい記述もあるが、イアゴの没年は一般に613年と考えられている。詳細はBattle of ChesterとIago ap Beliを参照。
- ↑ ジェフリー・オブ・モンマス『ブリタニア列王史』11巻13章、12巻
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