マグヌス・マクシムス
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マグヌス・マクシムスは、ヒスパニア北西部のガリシアで生まれた。368年頃から大テオドシウスのブリタンニア遠征に従い活躍を示し、373年には大テオドシウスによるマウレタニアでのフィルムス討伐にも参加した[2]。大テオドシウスが処刑された376年以降はブリタンニアでサクソン人やピクト人、スコットランド人らを相手に戦功を重ねた。
383年頃、マクシムスはブリタンニアのローマ軍団によって皇帝として宣言された[1]。皇帝となったマクシムスは息子フラウィウス・ウィクトル(英語版)を共同皇帝とし、ブリタンニアの軍団を引き連れてガリアへ侵攻すると、ルグドゥヌムにて西帝グラティアヌスを捕らえて処刑した[2]。
マクシムスによってグラティアヌスが殺害されると、グラティアヌスによって帝国東方へ派遣されていたフランク人の将軍バウトが東帝テオドシウス1世の軍団を率いてイタリアへと引き返し、マキシムスと対陣した。しかし大テオドシウスの子であるテオドシウス1世にはマクシムスと争う意思がなかったようで[3]、テオドシウスはミラノ司教アンブロシウスを調停役としてマクシムスと和議を結んだ。さらに翌384年にはテオドシウス自らイタリアへと赴き、マクシムスを共同皇帝と認めるようグラティアヌスの異母弟ウァレンティニアヌス2世を説得した[3]。
マクシムスはテオドシウス1世とウァレンティニアヌス2世からブリタンニア、ガリア、ヒスパニア、アフリカの統治権を認められたが、それに飽き足らず、387年に突如としてウァレンティニアヌス2世をイタリアから追放して強引にイタリアをも支配下に置いた。ウァレンティニアヌス2世はテッサロニキのテオドシウス1世のもとへと逃亡し、当時15歳前後であった妹のガッラ(英語版)をテオドシウスに差し出すことでテオドシウスにマクシムスと戦うことを約束させた。
翌388年にテオドシウスがリコメルやアルボガストらを率いて侵攻してくると、マクシムスはテオドシウスをパンノニアで迎え撃ったが立て続けに敗れてアクイレイアへと逃亡し、間もなく捕らえられて8月28日に処刑された。トリーアにいたウィクトルもアルボガストによって捕らえられ、ほぼ同時期に処刑された。
マクシムスの処刑後、元老院ではマクシムスに対するダムナティオ・メモリアエが決議された。マクシムスが妻を持っていたことはトゥールのマルティヌスの記録により確実視されているが、彼女の名前や、彼女がどうなったのかは不明である。マクシムスの娘たちと母親とは助命されたようであり、彼女達の子孫からはペトロニウス・マクシムスやオリブリオスが出たとされる[1]。
脚注
参考文献
- 尚樹啓太郎『ビザンツ帝国史』東海大学出版会、1999年。ISBN 4486014316。
- 南川高志『新・ローマ帝国衰亡史』岩波書店、2013年。ISBN 9784004314264。
- 松原國師『西洋古典学事典』京都大学学術出版会、2010年。ISBN 9784876989256。
| テオドシウス朝 | ホノリウス393-423 / コンスタンティヌス3世409-411 / コンスタンス2世409-411 / プリスクス・アッタルス409-410 / コンスタンティウス3世421 / ヨハンネス423-425 / ウァレンティニアヌス3世424-455 |
|---|---|
| テオドシウス朝断絶後 | ペトロニウス・マクシムス455 / アウィトゥス455-456 / マヨリアヌス457-461 / リウィウス・セウェルス461-465 / アンテミウス467-472 / オリブリオス472 / グリケリウス473-474 / ユリウス・ネポス474-475.8,対立皇帝475-480 / ロムルス・アウグストゥルス475.10-476.9 |
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| アイネイアースの子孫 | |
|---|---|
| ブレンヌスの一族 | |
| マーシャ女王の一族 |
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| 欠史の時代 |
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| カッシウェラウヌスの一族 | |
| セウェルス朝 | |
| 簒奪帝の時代 | |
| コンスタンティヌス大帝の一族 | |
| ローマ支配の終焉 |
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| アーサーの一族 |
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| アーサー後の諸王 |
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| テューダー朝の祖 | |
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