カールシュタイン・アム・マイン
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| 紋章 | 地図 (郡の位置) |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 連邦州: | バイエルン州 |
| 行政管区: | ウンターフランケン行政管区 |
| 郡: | アシャッフェンブルク郡 |
| 緯度経度: | 北緯50度02分48秒 東経09度01分27秒 / 北緯50.04667度 東経9.02417度座標: 北緯50度02分48秒 東経09度01分27秒 / 北緯50.04667度 東経9.02417度 |
| 標高: | 海抜 110 m |
| 面積: | 12.67 km2 |
| 人口: |
7,590人(2024年12月31日現在) [1] |
| 人口密度: | 599 人/km2 |
| 郵便番号: | 63791 |
| 市外局番: | 06188 |
| ナンバープレート: | AB, ALZ |
| 自治体コード: |
09 6 71 114 |
| 行政庁舎の住所: | Am Oberborn 1 63791 Karlstein |
| ウェブサイト: | www.karlstein.de |
| 首長: | ペーター・クレース (Peter Kreß) |
| 郡内の位置 | |
| 地図 | |
![]() | |
カールシュタイン・アム・マイン(ドイツ語: Karlstein am Main、ただし公式な表記は Karlstein a.Main である)は、ドイツ連邦共和国バイエルン州アシャッフェンブルク郡に属す町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)である。
位置

カールシュタイン・アム・マインは、その名が示すとおり、マイン川沿いに位置している。グロースヴェルツハイムはバイエルン州の最西端にあたる。
自治体の構成
この町は、デッティンゲン地区(4,328人)とグロースヴェルツハイム地区(4,322人)からなる(人口は、2010年現在)[2]
隣接する市町村
カールシュタイン・アム・マインは、北西はカール・アム・マイン、北はアルツェナウ、東はヨハネスベルク、南はクラインオストハイム(以上いずれもアシャッフェンブルク郡)、南西はマインハウゼン、西はゼーリゲンシュタット(ともにヘッセン州オッフェンバッハ郡)と境を接している。
地名
歴史
バイエルン州の行政改革に基づき、1818年の市町村例に従って、2つの自治体グロースヴェルツハイムとデッティンゲン・アム・マインが成立した。
1862年7月1日、ベツィルクスアムト・アルツェナウが創設され、両村はその行政管区に含まれた。1939年、ドイツ国全体にラントクライス(郡)という名称が使用されることとなった。グロースヴェルツハイムとデッティンゲンは、アルツェナウ・イン・ウンターフランケン郡 (ALZ) の42市町村に包含された。アルツェナウ郡は、1972年7月1日に廃止され、両村は新たなアシャッフェンブルク郡 (AB) に編入された。
市町村合併
バイエルン州の地域再編に伴い、グロースヴェルツハイムとデッティンゲンは1975年7月1日合併した。住民投票により、新たに成立した自治体の名前は「カールシュタイン」に決定した。この名称は1000年頃からアシャッフェンブルクの森林管理区として用いられており、デッティンゲンとグロースヴェルツハイムとのかつての村境付近を指していた。
原子力発電所
現在のカールシュタイン町内には一連の歴史的な原子力発電所があった。
- カール原子力発電所
- グロースヴェルツハイム原子力発電所
- カールシュタイン研究用原子炉
行政
町議会
2014年3月16日の町議会選挙以降、カールシュタイン・アム・マインの町議会は、首長を除き、20議席からなる[4]
紋章
図柄: 波状に青地と銀地に上下二分割。上部は銀のデッティンゲンの十字、下部は赤い核を持つ青い原子模型図。
紋章の歴史: 紋章が波状に分割されていることは、町名にもなっているとおり、マイン川沿いのこの町の地理条件を表している。この町は、1975年にそれまで独立した町村であったデッティンゲンとグロースヴェルツハイムから形成された自治体である。紋章は、かつての両村の紋章の一部を採ってデザインされた。上部の独特な形の十字は「デッティンゲンの十字」と呼ばれており、カール大帝と関係がある。皇帝の菱形の中に、デッティンゲンの古い地名テッティンゲンの頭文字である「T」が配されている。これは、ゴシック後期の時代にデッティンゲンの聖ヒッポリート教会に掲げられた。紋章下部の原子模型図は、かつてのグロースヴェルツハイム村の紋章から採られた。この地区には、ドイツ初の原子力発電所が研究用原子力発電所として建設された。その完成後、1961年から送電が開始された。この原子炉は1985年に運転を停止し、2010年末までに完全に解体された。
この紋章は、1977年10月13日に認可された[5]。
