ハイゲンブリュッケン
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| 紋章 | 地図 (郡の位置) |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 連邦州: | バイエルン州 |
| 行政管区: | ウンターフランケン行政管区 |
| 郡: | アシャッフェンブルク郡 |
| 市町村連合体: | ハイゲンブリュッケン行政共同体 |
| 緯度経度: | 北緯50度01分43秒 東経09度22分34秒 / 北緯50.02861度 東経9.37611度座標: 北緯50度01分43秒 東経09度22分34秒 / 北緯50.02861度 東経9.37611度 |
| 標高: | 海抜 274 m |
| 面積: | 6.73 km2 |
| 人口: |
2,207人(2024年12月31日現在) [1] |
| 人口密度: | 328 人/km2 |
| 郵便番号: | 63869 |
| 市外局番: | 06020 |
| ナンバープレート: | AB, ALZ |
| 自治体コード: |
09 6 71 126 |
| 行政庁舎の住所: | Hauptstraße 7 63869 Heigenbrücken |
| ウェブサイト: | www.heigenbruecken.de |
| 首長: | ヨーヘン・ドレヒスラー (Jochen Drechsler) |
| 郡内の位置 | |
| 地図 | |
![]() | |
ハイゲンブリュッケン (ドイツ語: Heigenbrücken) は、ドイツ連邦共和国バイエルン州ウンターフランケン行政管区のアシャッフェンブルク郡に属す町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)で、ハイゲンブリュッケン行政共同体の本部所在地である。
位置
ハイゲンブリュッケンは、バイエルンのウンターマイン、シュペッサルト山地内のロールバッハ川の谷に位置している。
地質学
地質学上、のこの町はブンター統初期の地盤に位置している。1894年にヴィルヘルム・フォン・グリュンベルは発掘地にちなんでこの地盤をハイゲンブリュッケナー砂岩と名付けた。19世紀には、キメの細かい白い砂岩は建設資材として採掘された。その採石場は町の北部、州道2317号線沿いのポラッシュ記念碑の南側にある。
自治体の構成
ハイゲンブリュッケンは2つの地区からなる[2]。
- ハイゲンブリュッケン
- ヤーコプスタール
隣接する町村
ハイゲンブリュッケンは、北西と北東は市町村に属さないハインリヒスタールの森、その間の北はハインリヒスタール、東はノイヒュッテン、南は市町村に属さないハイン・イム・シュペッサルトの森、西はやはり市町村に属さないザイラウフの森と境を接している。マイン=シュペッサルト郡に属すノイヒュッテンを除き、いずれもアシャッフェンブルク郡に属す。
地名
語源
元々の地名 Heygerbruck は、中高ドイツ語で「アオサギ」を意味する Heiger と「橋」を意味する brücke が結合したものである。これにより「たもとにアオサギが棲む橋」を意味している[3]。brücke ではなく、「沼地」を意味する bruch が語源であるとする説は、16世紀の …zur Heygerbrucken という記載に基づくもので、現在では否定されている。
歴史的表記
歴史的な資料や文献に登場するこの町の表記には以下のものがある[3]。
- 1477年 Heygerbruck
- 1518年 Haigersbrücken
- 1526年 Heygerbrucken
- 1551年 Heyger Brucken
- 1633年 Haigenbrücken
- 1819年 Heigenbrücken
歴史
Heygerbruch として最初の記録がなされたのは、1477年であった。ハイゲンブリュッケンはマインツ選帝侯領として世俗化され、新たに創設されたアシャッフェンブルク侯領に属し、1814年にはフランクフルト大公国の一部としてバイエルン王国領に移された。バイエルンの行政改革に伴う1818年の市町村令によって、自治体ハイゲンブリュッケンが成立した。
1862年7月1日にベツィルクスアムト・アシャッフェンブルクが創設され、ハイゲンブリュッケンはその管轄下に置かれた。1939年、ドイツ国全土で「郡」の呼称が使われることとなった。ハイゲンブリュッケンは、当時のアシャッフェンブルク郡を構成する33市町村の一つとなった。この郡は、1972年にアルツェナウ・イン・ウンターフランケン郡と合併し、新たなアシャッフェンブルク郡が成立した。
町村合併
1972年7月1日にヤーコプスタールが合併した[4]。
住民
行政
議会
ハイゲンブリュッケンの町議会は、首長を含めて 15人で構成されている[6]。
首長
町長はヨーヘン・ドレヒスラー (Aktiver Bürgerverein) である。彼は2020年3月29日の町長選挙決選投票で 51.55 % の票を獲得して町長に選出された[7]。
紋章
ハイゲンブリュッケンは、1977年6月から独自の紋章を使用している。
図柄: 基部に緑の山。その中に銀の壁、黒い目地のトンネルの入り口。トンネル内は黒である。その上は銀地に首の長い赤いアングスター(首がねじれたフラスコ型容器)。その両側に直立に配された緑のオークの葉。
紋章の歴史と解説: 黒いトンネルは、ルートヴィヒ西鉄道のトンネルである。このトンネルは、特別な技術が用いられ、この町の象徴的建造物となっており、紋章のデザインに採用された。オークの豊富なシュペッサルト山地に位置するこの町の地理的環境を緑のオークの葉が示している。アングスター(クッターオルフとも呼ばれるガラスフラスコ)は、19世紀まで使用され、この町で重要なガラス産業の製品であった。さらに、銀と赤の配色はマインツ選帝侯領の紋章から採られたものである[8]。
文化と見所

教会
- ハイゲンブリュッケンは、中世にはヴィースタール教区に属し、1916年に初めて独自のカトリック教区となった。教会の初代教会堂(聖ヴェンデリン教会)は、1730年に建設され、1821年に教会墓地が設けられた。このバロック教会は老朽化し、1892年から1893年にネオゴシック様式の新しい教会堂に建て替えられた。1935年にこの建物に翼廊が増築された。内部の改造や、修復が1954年、1972年、1998年、2001年に行われた。調度の中心は、教会創建時からのマリア祭壇で、両側に聖母マリアと聖ヴェンデリンの像がある。ヴァルリング夫妻(ビショフスハイム・アン・デア・レーン)による祭壇アーチの新しいキリスト十字架像(ネオロマネスク様式)は2003年に創られた。
- 福音主義教会は、1969年に初めてディートリヒ・ボンヘッファー教会堂を獲得した。この建物は2001年/2002年の冬に内部の改造がなされた。祭壇画とステンドグラスのデザインはラウファッハのアーティストであるコルドゥラ・シュタインによるものである。
世俗建築

- ハイゲンブリュッケンの異質な建造物として、2棟の木組み建築が挙げられる。古い方の建物は、破風と装飾を施された軒を持つ建物で現在はカフェが入居している(ハウプト通り 8番地、16-17世紀)。新しい方の建物は私邸である(イェーガー通り 5番地、1800年頃)。
- リンデンアレーの駅の近くに、採石場所有者で建築業者のダニエル・ハイターが19世紀中頃にデザインした後期古典主義様式の邸宅が2棟建っている。トンネルの入り口近くの、庭園付きのこの邸宅(リンデンアレー 31番地)を、彼は自分自身のために1854年に建造した。彼の死後、妻はこの建物をバイエルンの営林署に売却した。ハイゲンブリュッケン営林署(2005年の行政改革以後はバイエルン州有林 AöR の森林管理・専門教育機関)は、この建物に本部を置いている。もう一つのロールバッハ川沿いの庭園付き邸宅は道の反対側に建っている。ダニエル・ハイターはこの屋敷を商人ルドルフ・マールブルクが休暇を過ごす館として1884年に設計した。マールブルク邸は2002年から2007年にヴェルナー・ヴェンツェルによって4つ星のウェルネスホテルに改築された。
- 駅舎と鉄道施設は、やはり19世紀中頃に建設された。
記念碑
- ポラッシュに、第一次世界大戦で亡くなったホーホシュペッサルト愛好会ローテンブーフ e.V. フランクフルト・アム・マインの会員 140人に対する記念碑が建っている。この碑は、ハイゲンブリュッケンの石工ゲオルク・リッパートが1927年に地元の赤色砂岩を使って創作した。2009年にポラッシュに展望台に現在の形で設置された。営林監察官にちなんでクリスティアン・ヴォーディアンカと名付けられた山小屋が、州道2317号線を挟んでこの記念碑の向かい側に建っている。この小屋は、州道が遊歩道であった当時と変わらず、記念碑や展望台とアンサンブルを形成している。展望台からは、遠くラウファッハを超えその谷の奥まで見渡すことができる。
- 展望台の麓にあるヒルシュヘーマー駐車場に第一次対仏大同盟(1793年-1797年)時代の風化した記念碑シュタインハイマーの十字がある。風化して、文法的に間違った銘文は1980年に修復された。「1796年にマインツ選帝侯配下のハイゲンブリュッケンの森林監査官ハインリヒ・シュテルンハイマーとその忠実な従者ヤーコプはここで4人のフランス兵と司令官を射殺した。彼らは村全体を掠奪して、建物をアシャッフェンブルクへの行軍に利用としている分遣隊であった。」この出来事は地方史上、証明されていない。
- テオ・クンケルは、ポラッシュの北斜面で起きた事故を記念して、砂岩の彫像群「オリーブ山のキリスト」を私的な記念碑として創作した。この記念碑は、2007年の聖木曜日に祝福を受け、散策者や住民たちの追悼の場とした。
博物館
クリスタル=シュトゥーベ(ボルナッカーヴェーク 19番地)は民営の鉱物博物館であった。ここには、あらゆる大陸から集められた1000点を超える標本を見学することができた。コレクションの目玉は、ドイツの民間のコレクションとしては最大のアメジスト(高さ 2 m)と、ドイツ最大のローズクォーツ(重さ 7.4 トン)であった[9]。
民営の小さなオートバイ博物館(「モペットショイネ」)がドルフ通り 14番地にある。2008年春に附属展示室が斜め向かいにオープンした。1930年代から70年代のオートバイとそのパーツが展示されている。
