サニーズヘイロー
From Wikipedia, the free encyclopedia
| サニーズヘイロー | |
|---|---|
| 原語表記 | Sunny's Halo |
| 品種 | サラブレッド |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 栗毛 |
| 生誕 | 1980年2月11日[1][2] |
| 死没 | 2003年6月23日[1] |
| 父 | Halo |
| 母 | Mostly Sunny |
| 母の父 | Sunny |
| 生国 |
|
| 生産者 | David Foster[1][2] |
| 馬主 | David Foster[1][2] |
| 調教師 | David Cross Jr.[1][2] |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 20戦9勝[1][2] |
| 獲得賞金 | 1,247,791ドル[1][2] |
サニーズヘイロー(Sunny's Halo、1980年2月11日 - 2003年6月3日)は、カナダ生産のサラブレッドの競走馬、種牡馬。1983年のケンタッキーダービーで優勝した[3]。1986年にカナダ競馬殿堂入り[4]。
経歴
- 特記がない限り、競走はすべてダートコース。
サニーズヘイローは2歳時の1982年5月9日、ウッドバイン競馬場でデビュー、アタマ差で初勝利を飾った[2][5]。2歳時で11戦して7勝。両前肢に疲労骨折が見られたため予定より早くシーズンを切り上げたが、それでもなお同年のソヴリン賞最優秀2歳馬部門を受賞した。飛節の治療には、当時最新だったハリウッドパークにあった屋内プールでの療養が行われている[1][5]。
3歳時、休養明けのサニーズヘイローはケンタッキーダービーを目指し、オークローンパーク競馬場でのレベルハンデキャップとアーカンソーダービーに登録された。3月26日のレベルハンデキャップは3馬身差で勝利し、エディー・デラフーセイ騎手を鞍上に乗せたアーカンソーダービーでは終始先頭に立って4馬身差の連勝を挙げた[5]。デラフーセイとのコンビはケンタッキーダービーにも出走し、当日134,444人の観衆から単勝オッズ3.5倍の4番人気支持を受けていた[5]。レースがスタートすると1番人気の1頭トータルディパーチャーが先手を奪い、その後ろにサニーズヘイローが控えてマーク、その後ろにデザートワインが控えて道中を進めていった。バックストレッチからコーナーにかけてのところでサニーズヘイローが先頭に立ち、デザートワインもその後ろに追走してきた。2頭はともに最後の標識を越え、そこでデラフーセイが鞭を入れるとサニーズヘイローはさらに伸び、2着デザートワインに2馬身の差をつけて優勝した[5]。勝ちタイムは2分02秒20。カナダ産馬としてはノーザンダンサー以来の2頭目の快挙で、またアーカンソーダービー優勝馬がケンタッキーダービーも勝ったのは史上初めてのことであった[6]。
しかしダービーの後、サニーズヘイローは発疹を発症し、飛節の痛みも再発して競走能力に影響を及ぼしだした。プリークネスステークスでは6着、アーリントンクラシックでは4着に終わっている。またカナダ産馬ながら1983年6月26日のクイーンズプレートにも出場できなかった。
9月17日、サニーズヘイローはスーパーダービーを12馬身差で優勝、この時のタイムはルイジアナダウンズ競馬場10ハロンのレコードタイ記録であった[7]。その後、11月のメドウランズカップをラストランにする予定であったが、飛節の問題が再発して引退に至った。