サニーズヘイロー

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原語表記 Sunny's Halo
性別
サニーズヘイロー
原語表記 Sunny's Halo
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1980年2月11日[1][2]
死没 2003年6月23日[1]
Halo
Mostly Sunny
母の父 Sunny
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 David Foster[1][2]
馬主 David Foster[1][2]
調教師 David Cross Jr.[1][2]
競走成績
生涯成績 20戦9勝[1][2]
獲得賞金 1,247,791ドル[1][2]
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サニーズヘイローSunny's Halo1980年2月11日 - 2003年6月3日)は、カナダ生産のサラブレッド競走馬種牡馬。1983年のケンタッキーダービーで優勝した[3]。1986年にカナダ競馬殿堂入り[4]

トロントの株式仲買人であるデイヴィッド・J・フォスターがオンタリオ州オシャワに持つ牧場で生産されたサラブレッドの牡馬である。母モストリーサニーは同じくフォスターが所有し、デイヴィッド・クロス・ジュニア調教師のもと6勝を挙げた牝馬で、同馬とヘイローとの配合を勧めたのもクロスであった。サニーズヘイローもまたフォスター所有、クロス調教のもと競走馬となった[5]

経歴

  • 特記がない限り、競走はすべてダートコース。

サニーズヘイローは2歳時の1982年5月9日、ウッドバイン競馬場でデビュー、アタマ差で初勝利を飾った[2][5]。2歳時で11戦して7勝。両前肢に疲労骨折が見られたため予定より早くシーズンを切り上げたが、それでもなお同年のソヴリン賞最優秀2歳馬部門を受賞した。飛節の治療には、当時最新だったハリウッドパークにあった屋内プールでの療養が行われている[1][5]

3歳時、休養明けのサニーズヘイローはケンタッキーダービーを目指し、オークローンパーク競馬場でのレベルハンデキャップとアーカンソーダービーに登録された。3月26日のレベルハンデキャップは3馬身差で勝利し、エディー・デラフーセイ騎手を鞍上に乗せたアーカンソーダービーでは終始先頭に立って4馬身差の連勝を挙げた[5]。デラフーセイとのコンビはケンタッキーダービーにも出走し、当日134,444人の観衆から単勝オッズ3.5倍の4番人気支持を受けていた[5]。レースがスタートすると1番人気の1頭トータルディパーチャーが先手を奪い、その後ろにサニーズヘイローが控えてマーク、その後ろにデザートワインが控えて道中を進めていった。バックストレッチからコーナーにかけてのところでサニーズヘイローが先頭に立ち、デザートワインもその後ろに追走してきた。2頭はともに最後の標識を越え、そこでデラフーセイが鞭を入れるとサニーズヘイローはさらに伸び、2着デザートワインに2馬身の差をつけて優勝した[5]。勝ちタイムは2分02秒20。カナダ産馬としてはノーザンダンサー以来の2頭目の快挙で、またアーカンソーダービー優勝馬がケンタッキーダービーも勝ったのは史上初めてのことであった[6]

しかしダービーの後、サニーズヘイローは発疹を発症し、飛節の痛みも再発して競走能力に影響を及ぼしだした。プリークネスステークスでは6着、アーリントンクラシックでは4着に終わっている。またカナダ産馬ながら1983年6月26日のクイーンズプレートにも出場できなかった。

9月17日、サニーズヘイローはスーパーダービーを12馬身差で優勝、この時のタイムはルイジアナダウンズ競馬場10ハロンのレコードタイ記録であった[7]。その後、11月のメドウランズカップをラストランにする予定であったが、飛節の問題が再発して引退に至った。

種牡馬入り後

血統表

出典

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