サーサーン朝のエジプト征服
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エジプトの陥落
サーサーン朝のエジプト征服は617年か618年に始まったが、この征服の詳細についてはほとんど知られていない、 というのも、エジプトはローマ帝国本土から遠かったため、あまり資料がないのである[5]。サーサーン朝軍はアレクサンドリアに向かったが、ヘラクレイオスの従兄弟で地方総督であった東ローマ帝国軍将軍ニケタスは敗北してしまう。ニケタスはカルケドン派の正教会(ギリシャ正教)アレクサンドリア総主教ヨハネス5世エレモンとともにキプロスに逃れた[4]。『フーゼスターンの年代記』によると、619年6月、東ローマ帝国はペテロという人物に裏切られたとされている[6][7]。サーサーン朝軍は、アレクサンドリアから海岸沿いの道を西に9マイル離れたエナトンの修道院にも攻撃を行った[8]。
アレクサンドリア陥落後、サーサーン朝軍はナイル川に沿って南方に戦線を拡大した[5]。その後抵抗運動が勃発したため、鎮圧も幾度か行ったが、621年までに安定したサーサーン朝の支配が確立された[9]。