ジェフ・フランシス

カナダの野球選手 (1981 - ) From Wikipedia, the free encyclopedia

ジェフリー・ウィリアム・フランシスJeffrey William Francis , 1981年1月8日 - )は、カナダ連邦ブリティッシュコロンビア州バンクーバー出身の元プロ野球選手投手)。左投左打。

国籍 カナダの旗 カナダ
生年月日 (1981-01-08) 1981年1月8日(45歳)
身長
体重
6' 5" =約195.6 cm
220 lb =約99.8 kg
概要 基本情報, 国籍 ...
ジェフ・フランシス
Jeff Francis
トロント・ブルージェイズ時代
(2015年5月11日)
基本情報
国籍 カナダの旗 カナダ
出身地 ブリティッシュコロンビア州バンクーバー
生年月日 (1981-01-08) 1981年1月8日(45歳)
身長
体重
6' 5" =約195.6 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2002年 ドラフト1巡目(全体9位)でコロラド・ロッキーズから指名
初出場 2004年8月25日 アトランタ・ブレーブス
最終出場 2015年10月4日 タンパベイ・レイズ
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム カナダの旗 カナダ
WBC 2006年
殿堂表彰者
選出年 2022年
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概要 獲得メダル, 男子 野球 ...
獲得メダル
男子 野球
カナダの旗 カナダ
パンアメリカン競技大会
2015野球
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経歴

プロ入り前

父親の影響を受け幼少時から物理学に興味を持っており、カナダの国技であるアイスホッケーより野球を好んだのも「野球は頭を使うスポーツ」だと考えていたためである[1]。地元のブリティッシュコロンビア大学でも物理学と天文学を専攻する一方、野球部でも活躍。

ロッキーズ時代

コロラド・ロッキーズ時代
(2007年6月30日)

2002年MLBドラフトコロラド・ロッキーズから1巡目(全体9位)指名され、プロ入り[2]

2004年、AA級タルサ・ドリラーズで球団史上初となる開幕からの10連勝を記録し、さらに昇格したAAA級コロラドスプリングス・スカイソックスとの合計で16勝3敗・防御率2.21・196奪三振・29与四球という成績を残す[3]。この年の8月に開催されるアテネ五輪では、フランシスはカナダ代表のエースとして期待されていたが[1]、ロッキーズがフランシスをメジャーへ昇格させることになったため五輪出場は見送られた。五輪の3位決定戦でカナダ代表が日本代表に敗れメダル獲得を逃した8月25日、フランシスはメジャー昇格を果たし、同日行われたアトランタ・ブレーブス戦でメジャーデビュー。5回で三振を8個奪うも6失点を喫し、敗戦投手になる[4]。メジャー初勝利を挙げたのは3度目の登板となった9月5日で、サンディエゴ・パドレス打線を5.1回無失点に抑えてのことだった[5]。この年は全て先発で7試合に登板し3勝2敗・防御率5.15を記録した。シーズン終了後にはマイナーリーグでの活躍が高く評価され、『ベースボール・アメリカ』と『USAトゥデイ』のマイナー最優秀選手賞をダブル受賞。2賞の同時受賞はアンドリュー・ジョーンズ1995年1996年)、リック・アンキール1999年)、ジョシュ・ベケット2001年)に次ぐ史上4人目・5度目である[3]

2005年ナショナルリーグ新人王の有力候補のひとりとして期待され、先発ローテーションに定着。防御率は5.68ながら、味方打線の援護に恵まれたこともあって14勝(12敗)を挙げた[6]。勝利数以外に128奪三振と14QSもチーム最多であったほか、勝利数・奪三振数・先発登板数・投球回数でリーグ新人選手中トップの数字を残している[7]。この活躍から新人王の投票では、受賞こそならなかったものの6位となった。

2006年開幕前の3月に同年から開催されることとなった国際大会であるワールド・ベースボール・クラシックカナダ代表に選出された[8]。同大会では、1次リーグ突破を賭けた9日のメキシコ戦で、ホルヘ・カントゥ本塁打を打たれるなど1.1回6失点の成績を残した[9]。試合は1-9で敗れ、この結果カナダとメキシコに加えてアメリカ合衆国の3チームが2勝1敗で並んだが、失点率が一番悪いカナダが1次リーグで敗退ということになった。

レギュラーシーズンでは2年連続2桁勝利となる13勝を記録し、防御率は前年の5.68から4.16に改善させた。この活躍を受けてロッキーズは11月21日、まだ年俸調停権も取得していないフランシスに4年総額1,325万ドル(5年目は球団オプション)という契約を与えた[10]

2007年は6月14日から8月8日にかけて球団新記録となる8連勝をマークするなど、リーグ4位・球団タイ記録となる17勝を記録[11]。ロッキーズは終盤の快進撃で12年ぶりのポストシーズン進出を果たし、地区シリーズリーグ優勝決定戦も無敗で勝ち上がって、球団創設15年目で初のワールドシリーズ出場を決める。フランシスは地区シリーズ初戦を6回2失点、リーグ優勝決定戦初戦を6.2回1失点と好投し、エースとしての役割を果たした。しかしボストン・レッドソックスを相手に先発したワールドシリーズ初戦では、4回6失点と結果を残せず敗戦投手になり、チームはその後も1勝もできないまま4連敗で世界一を逃した。

2008年は6月終了時点で17試合に登板するも、3勝7敗・防御率5.67と不振に陥る。7月2日には左肩の炎症のため自身初の故障者リスト入り[12]。8月には復帰したものの、シーズン成績は4勝10敗と初の負け越しに加え防御率も5点台に終わった。

2009年2月、左肩の手術に踏み切る[13]。これにより、同年3月の第2回WBCではカナダ代表の試合が地元ロジャース・センターで開催されることになっていたが、フランシスは出場を辞退。さらにMLBレギュラーシーズンも棒に振った。

2010年5月16日のワシントン・ナショナルズ戦で復帰。勝利投手にこそならなかったものの7回1失点の好投を見せた[14]。その6日後、22日の試合では6.1回無失点で復帰初勝利を手にする[15]。ただ復帰3戦目となった28日の試合で5.1回5失点と打ち込まれると、それ以降はシーズン終了までの18登板中17試合で2失点以上と崩れた[16]。シーズン終了後の11月3日にFAとなった。

ロイヤルズ時代

カンザスシティ・ロイヤルズ時代
(2011年5月26日)

2011年1月14日にカンザスシティ・ロイヤルズと1年200万ドル+出来高で契約[17]

同年は、ほぼローテを守ったが、6勝16敗・防御率4.82と内容は伴わなかった。同年限りで、退団した。

レッズ傘下時代

シンシナティ・レッズ時代
(2012年3月20日)

2012年1月25日にシンシナティ・レッズとマイナー契約を結んだ。レッズではメジャーに昇格できず、6月1日に契約破棄条項を行使して退団した[18]

ロッキーズ復帰

コロラド・ロッキーズ時代
(2012年9月28日)

2012年6月8日に古巣のロッキーズと契約し、メジャー復帰を果たした。オフの10月29日にFAとなったが、12月19日に1年150万ドル(投球回数に応じた出来高が最大で150万ドル)でロッキーズと再契約した[19]

2013年10月31日にFAとなった。

レッズ復帰

2014年1月13日にレッズとマイナー契約を結んだ。AAA級ルイビル・バッツで開幕を迎え、8試合に登板。4勝3敗、防御率3.33の成績で、5月15日にレッズとメジャー契約を結んだ[20]。同日のパドレス戦で先発起用されたが、クリス・デノーフィアに本塁打を打たれるなど、5回を投げ5安打3失点で負け投手となり、5月16日にDFAとなった[21]

アスレチックス時代

オークランド・アスレチックス時代
(2014年6月15日)

2014年5月18日にウェイバー公示を経てオークランド・アスレチックスへ移籍した[22]。移籍後はリリーフとして9試合に登板したが、0勝1敗・防御率6.08と結果を残せず、7月3日にDFAとなった[23]

ヤンキース時代

2014年7月11日に後日発表選手とのトレードで、ニューヨーク・ヤンキースへ移籍した[24]。7月22日のテキサス・レンジャーズ戦で移籍後初登板し、延長14回から8番手として1回を無失点に抑えると、直後の14回裏にこの日から加入したチェイス・ヘッドリーがサヨナラ安打を放ち、勝利投手となった。2試合目の登板となった7月26日のトロント・ブルージェイズ戦では、9回1死から登板したが1安打1失点(1本塁打)と結果を残せず、7月28日にDFAとなった[25]。その後、8月5日に自由契約となった。

ブルージェイズ時代

2014年10月31日にブルージェイズとマイナー契約を結んだ[26]

2015年は開幕を傘下のAAA級バッファロー・バイソンズで迎えたが、4月19日に昇格[27]。同日のアトランタ・ブレーブス戦で移籍後初登板を果たしたが、この試合で捕手を務めたのはラッセル・マーティンだったため、球団初のカナダ人バッテリーが実現した[28]。5月18日にDFAとなり[29]、20日にAAA級バッファローに異動した[30]

6月17日に2015年パンアメリカン競技大会の男子野球カナダ代表に選出された[31]。同大会では2大会連続2度目の優勝を果たし[32]、金メダルを獲得した。

9月1日にメジャー契約を結び昇格した[33]。レギュラーシーズンでは14試合に登板したが、4年連続で防御率5.50以上となる6.14、自己最高の奪三振率8.6を記録した。同年11月2日にFAとなった[34]。12月16日に現役引退を表明した[35]

引退後

2015年12月、現役引退を表明した[36]

2022年2月、カナダ野球殿堂に表彰された[37]

投球スタイル

ツーシームとフォーシームの2種類の速球を87-91mph(約140.0-146.4km/h)の球速で上下左右にコントロールし、大きく斜めに曲がるカーブチェンジアップと組み合わせて、打者のバランスを崩す頭脳的なピッチングが持ち味[38]。肩の故障後は、85mph(約136.8km/h)程度まで速球の平均球速が落ちてしまった[39]

詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球団 ...




















































W
H
I
P
2004 COL 770003200.60016436.24281311322022215.151.50
2005 3333000141200.538828183.2228267058128201191165.681.62
2006 3232111131100.542843199.01871869151311700101924.161.29
2007 343411017900.654922215.1234256377165111031014.221.38
2008 242400041000.286636143.2164214943940084805.011.48
2010 20190004600.400441104.1119112332671061585.001.36
2011 KC 313110061600.273803183.02241939559151102984.821.44
2012 COL 24240006700.462502113.0145152258762071705.581.48
2013 23120003500.37532470.189122421635054496.271.61
2014 CIN 110000100.000205.051000400335.401.00
OAK 900000110.0005513.11113111010996.081.05
NYY 2000010001.00071.221000100115.401.20
'14計 1210001210.3338220.0183311151013135.851.05
2015 TOR 1400001200.33310022.0273901212016156.141.64
MLB:11年 254217321728210.46856451291.0147716138448508692127467134.971.44
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年度別守備成績

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投手(P)












2004 COL 726011.000
2005 33520001.000
2006 32438021.000
2007 341233021.000
2008 2482110.967
2010 20217031.000
2011 KC 31431031.000
2012 COL 24523011.000
2013 23612011.000
2014 CIN 101001.000
OAK 90000----
NYY 20000----
'14計 1201001.000
2015 TOR 1413001.000
MLB 25449205113.996
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  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号

  • 26 (2004年 - 2014年途中)
  • 29 (2014年途中 - 同年途中)
  • 53 (2014年途中 - 同年終了)
  • 35 (2015年)

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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