ジェリー・ブレビンス

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生年月日 (1983-09-06) 1983年9月6日(42歳)
身長
体重
6' 6" =約198.1 cm
175 lb =約79.4 kg
ジェリー・ブレビンス
Jerry Blevins
サンフランシスコ・ジャイアンツ時代
(2020年2月24日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 テネシー州ジョンソンシティ
生年月日 (1983-09-06) 1983年9月6日(42歳)
身長
体重
6' 6" =約198.1 cm
175 lb =約79.4 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2004年 MLBドラフト17巡目
初出場 2007年9月16日
最終出場 2019年9月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国

ジェリー・リチャード・ブレビンスJerry Richard Blevins, 1983年9月6日 - )は、アメリカ合衆国テネシー州ジョンソンシティ出身の元プロ野球選手投手)。左投左打。愛称はゴルドGordo[1]

プロ入り前

デイトン大学で2年間投手で所属し、21試合で7勝4敗の記録を残した。また、後に再び同僚となるクレイグ・スタメンとチームメイトであり、2人ともコミュニケーション学科だったため、授業も同じでいつも一緒に行動していた[2]

プロ入りとカブス傘下時代

2004年MLBドラフト17巡目(全体516位)でシカゴ・カブスから指名され、6月23日に契約。この年は傘下のA-級ボイシ・ホークスでプロデビューし、23試合に登板した。

2005年はA級ピオリア・チーフスで投げたが、2006年にはA-級ボイシに戻り、他にもA+級デイトナ・カブスやAA級ウエストテン・ダイヤモンドジャックスでも登板した。

2007年はA+級デイトナで開幕を迎え、15試合で1勝0敗、防御率0.38の成績を残したところで5月15日にAA級テネシー・スモーキーズ[注 1]に昇格した。同球団では23試合に登板して2勝2敗、防御率1.53の成績だった。2球団合計では38試合で3勝2敗、防御率1.02だった。

アスレチックス時代

オークランド・アスレチックス時代
(2012年7月27日)

2007年7月16日にジェイソン・ケンドールとのトレードで、ロブ・ボウエン英語版と共にオークランド・アスレチックスへ移籍[3]

移籍後は傘下のAA級ミッドランド・ロックハウンズで17試合に登板して1勝3敗・防御率3.32の成績を残し、8月31日からはAAA級サクラメント・リバーキャッツに昇格。マイナーのシーズン終了前、1試合に登板して2回2/3を被安打無しで勝利を挙げ、チームに貢献した。9月15日にメジャーに昇格すると、16日のテキサス・レンジャーズ戦でメジャーデビューし、9回に登板。デビッド・マーフィーから三振を取った。

この年はマイナー通算56試合で通算5勝5敗、防御率1.63、1試合平均11.87打席、77回1/3イニングで102個の三振を奪った。

オフの11月に開催された第37回IBAFワールドカップアメリカ合衆国代表に選出された。

2008年はメジャーとマイナーを行き来し、AAA級サクラメントでは28試合に登板して2勝2敗、防御率2.78、WHIP1.14の成績を残し、メジャーでは36試合に登板して1勝3敗、防御率3.11、WHIP1.19の記録した。

2009年もメジャーとマイナーを行き来し、AAA級サクラメントでは45試合に登板して5勝3敗、防御率3.84、WHIP1.31の成績を残し、メジャーでは20試合の登板で防御率4.84、WHIP1.12を記録した。

2010年は初めてシーズンを通してメジャーで投げた。主に左のワンポイントとしての起用で63試合に登板し、対左の被打率.228を記録。

2011年8月3日に40人枠から外れるが、31日に再昇格する。この年は26試合と、登板機会が減少した。

2012年2013年は60試合以上に登板している。

ナショナルズ時代

ワシントン・ナショナルズ時代
(2014年7月9日)

2013年12月11日にビリー・バーンズとのトレードで、ワシントン・ナショナルズへ移籍した[4]

2014年1月17日にナショナルズと1年契約に合意した[5]。この年は64試合に登板するも、防御率4.87とやや不調だった。

オフの11月7日に日米野球2014のMLB選抜に選出された[6]

メッツ時代

ニューヨーク・メッツでの現役時代
(2018年7月30日)

2015年3月30日にマット・デン・デッカーとのトレードで、ニューヨーク・メッツへ移籍した[7]。オフの11月2日にフリーエージェント(FA)となった[8]。2014年までは3年連続で60試合以上に登板していたが、2015年は2度左腕を骨折した影響で7試合だけの登板に留まった。しかし、5.0イニングを無安打・無四球と完璧に抑え、1勝を挙げた。

2016年からは背番号が39に変更となった。この年は故障から復活し、チーム内で3番目に多い73試合に登板した。オフの11月3日にFAとなったが、2017年2月9日に1年契約(2018年のオプション付き)で再契約した[9]

2017年は75試合に登板して6勝0敗1セーブ、防御率2.94、69奪三振を記録した。

2018年は64試合(先発1試合)に登板して3勝2敗1セーブ、防御率4.85、41奪三振を記録した。オフの10月29日にFAとなった[10]

アスレチックス傘下時代

2019年2月4日にアスレチックスとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[11]。開幕後は傘下のAAA級ラスベガス・アビエイターズ[注 2]でプレーした。

ブレーブス時代

2019年4月28日に金銭トレードで、アトランタ・ブレーブスへ移籍し、即日でメジャー契約を結んだ[12]。5月14日にDFAとなり[13]、17日にマイナー契約で傘下のAAA級グウィネット・ストライパーズへ配属された[10]。5月18日に再びブレーブスとメジャー契約を結んだ[14]。オフの10月31日にFAとなった[15]

ジャイアンツ傘下時代

2020年1月20日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[10]

メッツ傘下時代

2020年12月11日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[16]

2021年4月28日に現役引退を表明した[17]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2007 OAK 600000100.000254.281200300659.642.14
2008 3600001305.25015637.23221323350014133.111.19
2009 2000000000----9022.1192610230012124.841.12
2010 63000021111.66722048.25471811460020203.701.48
2011 2600000000----12228.1242141126001492.861.34
2012 63000051114.83326165.14572555542020182.481.07
2013 67000050041.00024560.04771724522023213.151.07
2014 WSH 6400002309.40024057.14832361662031314.871.24
2015 NYM 7000010051.000155.000000400000.000.00
2016 73000042216.66717842.03641531521014132.791.21
2017 750000601191.00021749.04342424692016162.941.37
2018 6410003218.60018842.23662215411024234.851.36
2019 ATL 450000101101.00014132.12551622372015143.901.27
MLB:13年 609100030137101.6982098495.14175019526275081202091953.541.24
  • 2019年度シーズン終了時

背番号

  • 64(2007年)
  • 13(2008年 - 2015年)
  • 39(2016年 - 2018年)
  • 50(2019年)

代表歴

  • 2007 IBAFワールドカップ アメリカ合衆国代表

脚注

関連項目

外部リンク

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