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ジム・ブラウワー

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生年月日 (1972-12-29) 1972年12月29日(52歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
210 lb =約95.3 kg
ジム・ブラウワー
Jim Brower
AAA級スクラントンでの現役時代
(2007年6月20日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ミネソタ州ヘネピン郡イーダイナ
生年月日 (1972-12-29) 1972年12月29日(52歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1994年 MLBドラフト6巡目(全体169位)でテキサス・レンジャーズから指名
初出場 MLB / 1999年9月5日
NPB / 2008年8月3日
最終出場 MLB / 2007年8月14日
NPB / 2008年9月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
指導歴

ジェームズ・ロバート・ブラウワー(James Robert Brower, 1972年12月29日 - )は、アメリカ合衆国ミネソタ州ヘネピン郡イーダイナ出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。右投右打。

現役時代

1991年のMLBドラフト56巡目(全体1410位)でピッツバーグ・パイレーツから指名されたが、入団せずにミネソタ大学ツインシティー校へ進学した。1994年にはビッグ・テン・カンファレンスのオールスターに選出された。この年のMLBドラフト6巡目(全体169位)でテキサス・レンジャーズから指名され、6月5日に契約。レンジャーズのマイナー組織で4年近くを過ごした後、1998年シーズン初めに放出された。直後にクリーブランド・インディアンスと契約。この年はAA級アクロン・エアロズでプレーした。翌1999年はAAA級バッファロー・バイソンズに昇格し、9月5日にはメジャーデビューを果たした。

2000年シーズン終了後にシンシナティ・レッズへトレードで移籍した。2002年シーズン途中にはブルース・チェンとのトレードで、モントリオール・エクスポズへ移籍した。

さらに2002年シーズン開幕前の3月にはリバン・ヘルナンデスとのトレードで、サンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍した。2004年は中継ぎ投手として活躍し、ジャイアンツのチームタイ記録となる89試合に登板した。

しかし、2005年は32試合で防御率6.53と結果を残せなかったため、6月12日に放出された後、アトランタ・ブレーブスと契約した。2006年はボルチモア・オリオールズと契約を結んだが、またも結果を残せず3ヶ月で放出された。その後サンディエゴ・パドレスと契約を結んだ後、フロリダ・マーリンズへトレードされる。しかしマーリンズではAAA級アルバカーキ・アイソトープスで16試合に投げたのみでメジャーでの登板機会は無かった。

2007年はピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結ぶも、傘下のAAA級インディアナポリス・インディアンスで6試合で投げたのみで自由契約となった。その後、ニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結び、傘下のAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・ヤンキースではクローザーを務め、防御率1.65・20セーブという成績を残した。8月6日にDFAとなったマイク・マイヤーズの代わりにメジャー昇格を果たす。ヤンキースでは3試合3回1/3を投げ、防御率13.50という内容だった。その後マイナー降格となった後にヤンキースを自由契約となった。12月にレッズとマイナー契約を結んだ。2008年5月30日には金銭トレードでシカゴ・カブス傘下のマイナーへ移籍するが、6月に自由契約となった。7月にヒューストン・アストロズとマイナー契約を結ぶも、メジャー昇格はならなかった。

その後、7月26日に広島東洋カープと1年契約を結び入団。中継ぎとして21試合に登板したが目立った成績は残せず、同年12月2日に自由契約公示された。

2009年8月6日にはアメリカ独立リーグ・アメリカン・アソシエーションのセントポール・セインツと契約[1]。その後9月2日にアトランティックリーグのロングアイランド・ダックスへ移籍した[2]。

2010年はイタリアンベースボールリーグのリミニ・ベースボールクラブでプレー。4月2日のシーズン開幕戦でノーヒットノーランを達成している[3][4]。この年限りで引退した。

引退後

引退後はカンザスシティ・ロイヤルズ傘下やカブス傘下で投手コーチを歴任し、2018年シーズンからはシアトル・マリナーズのアシスタントコーチを務める[5]。2019年シーズンからはブルペンコーチへ転任となる[6]。2019年シーズン後に契約を結ばないことが発表された[7]。

詳細情報

年度別投手成績

年

度
球

団
登

板
先

発
完

投
完

封
無
四
球
勝

利
敗

戦
セ
丨
ブ
ホ
丨
ル
ド
勝

率
打

者
投
球
回
被
安
打
被
本
塁
打
与
四
球
敬

遠
与
死
球
奪
三
振
暴

投
ボ
丨
ク
失

点
自
責
点
防
御
率
W
H
I
P
1999 CLE 920003100.75011325.22781011180013134.561.44
2000 17110002300.40029362.080113112323045436.241.79
2001 CIN 461000071012.412559129.1119176055945165573.971.38
2002 22000020001.00015839.13821010240018173.891.22
MON 3000001206.33318641.03952214331022224.831.49
'02計 5200003206.60034480.17773224571040394.371.36
2003 SF 5150008522.615411100.09083921654048443.961.29
2004 89000077124.50040193.090636246310042343.291.35
2005 3200002115.66714430.14051502252022226.531.81
ATL 3700001207.33313830.03361733282014144.201.67
'05計 69000033112.50028260.173113235534036365.371.74
2006 BAL 1200000101.0007112.12111313920191913.862.78
SD 600000000----357.2111102500889.391.57
'06計 1800000101.00010620.032214151420272712.152.30
2007 NYY 300000001----213.1802011007513.503.00
2008 広島 21000002012.0009020.12608101340993.981.67
MLB:9年 354280003332548.5082530574.05967025617283972913232984.671.48
NPB:1年 21000002012.0009020.12608101340993.981.67
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

年
度
球
団
投手(P)
試

合
刺

殺
補

殺
失

策
併

殺
守
備
率
1999 CLE 912001.000
2000 1791211.955
2001 CIN 46102922.951
2002 2246001.000
MON 3056001.000
'02計 52912001.000
2003 SF 51514021.000
2004 8962120.931
2005 3215001.000
ATL 3733001.000
'05計 6948001.000
2006 BAL 1211001.000
SD 60000----
'06計 1811001.000
2007 NYY 30000----
2008 広島 2115001.000
MLB 354459955.966
NPB 2115001.000
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

NPB

背番号

  • 50(1999年 - 2000年)
  • 53(2001年 - 2002年途中)
  • 32(2002年途中 - 同年終了)
  • 38(2003年 - 2006年途中、2018年 - 2019年)
  • 46(2006年途中 - 同年終了)
  • 36(2007年)
  • 90(2008年)

脚注

関連項目

外部リンク

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