ブルース・チェン

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国籍 パナマの旗 パナマ
生年月日 (1977-06-19) 1977年6月19日(48歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
210 lb =約95.3 kg
ブルース・チェン
Bruce Chen
カンザスシティ・ロイヤルズでの現役時代
(2009年7月27日)
基本情報
国籍 パナマの旗 パナマ
出身地 パナマ県パナマ市
生年月日 (1977-06-19) 1977年6月19日(48歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1993年 アマチュアFA
初出場 1998年9月7日
最終出場 2015年5月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム パナマの旗 パナマ
中華人民共和国の旗 中国
WBC 2006年2009年(パナマ)
2017年(中国)

ブルース・カストロ・チェンBruce Kastulo Chen, 1977年6月19日 - )は、パナマ共和国パナマ県パナマ市出身の元プロ野球選手投手)。左投左打。

プロ入りとブレーブス時代

1993年7月2日アトランタ・ブレーブスと契約。

1994年、傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ブレーブスでプロデビュー。9試合に登板し、1勝4敗1セーブ・防御率3.80だった。

1995年はルーキー級ダンビル・ブレーブスで14試合に登板し、4勝4敗・防御率3.97だった。

1996年はA-級ユージーン・エメラルズで11試合に登板し、4勝1敗・防御率2.27だった。

1997年はA級メイコン・ブレーブスで28試合に登板し、12勝7敗・防御率3.51だった。

1998年はAA級グリーンビル・ブレーブスとAAA級リッチモンド・ブレーブスでプレー。AA級グリーンビルでは24試合に登板し、13勝7敗・防御率3.29だった。9月7日のニューヨーク・メッツ戦で先発起用されメジャーデビュー。3回を投げ、6安打(2本塁打)4失点2四球と結果を残せず降板。勝ち負けは付かなかった。9月12日のフロリダ・マーリンズ戦では6.1回を6安打2失点7奪三振に抑え、メジャー初勝利を挙げた。この年は4試合に登板し、2勝0敗・防御率3.98だった。

1999年はAAA級リッチモンドで開幕を迎え、5月にメジャーへ昇格。8月7日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦からリリーフへ転向した。16試合に登板し、2勝2敗・防御率5.47だった。

2000年はリリーフに専念し、22試合に登板。4勝0敗・防御率2.50だった。

フィリーズ時代

2000年7月12日にアンディ・アシュビーとのトレードでジミー・オスティングと共にフィラデルフィア・フィリーズへ移籍。移籍後は先発に復帰し、15試合に登板。3勝4敗・防御率3.63だった。

2001年は開幕ロースター入りし、16試合に登板。4勝5敗・防御率5.00と数字を残せず、7月6日にAA級レディング・フィリーズへ降格した。

メッツ時代

2001年7月27日に、デニス・クックおよびターク・ウェンデルとのトレードで、アダム・ウォーカーと共にメッツへ移籍。移籍後は11試合に登板し、3勝2敗・防御率4.68だった。

2002年は開幕ロースター入りし、リリーフとして1試合に登板した。

エクスポズ時代

2002年4月5日にフィル・セイベルおよびマット・ワトソンスコット・ストリックランドとのトレードで、後日発表選手とともにモントリオール・エクスポズへ移籍(後日発表選手は、ソール・リベラディッキー・ゴンザレスルイス・フィゲロア)。移籍後は15試合に登板(先発は5度の登板)し、2勝3敗・防御率6.99だった。

レッズ時代

2002年6月14日にジム・ブラウワーとのトレードでシンシナティ・レッズへ移籍[1]。39試合に登板し、0勝2敗・防御率4.31だった。

2003年3月10日に放出された。

アストロズ時代

2003年3月14日にヒューストン・アストロズとマイナー契約を結んだ[2]。開幕ロースター入りして11試合に登板し、0勝0敗・防御率6.00だった。5月3日DFAとなった[3]

レッドソックス時代

2003年5月7日にウェイバー公示を経てボストン・レッドソックスへ移籍した[4]5月9日にメジャーへ昇格したが、5試合に登板し、0勝1敗・防御率5.11と結果を残せず、6月1日にDFAとなり[5]、6月5日にAAA級ポータケット・レッドソックスへ降格した。オフの10月3日にFAとなった。

ブルージェイズ傘下時代

2003年11月26日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだ[6]

2004年はAAA級シラキュース・チーフスで開幕を迎え、3試合に登板し、0勝1敗・防御率8.71だった。

オリオールズ時代

2004年5月1日に金銭トレードでボルチモア・オリオールズへ移籍。移籍後はAAA級オタワ・リンクスでプレーし、8月25日にメジャー契約を結んだ[7]。昇格後は8試合に登板し、2勝1敗、防御率3.02だった。

2005年は開幕ロースター入りし[8]、34試合に登板。新たにチェンジアップを習得し、投球に幅が広がったこともあって、メジャー8年目で自身初の二桁勝利、また自己最多となる13勝をマーク。自身2度目の完投勝利を挙げ、197.1投球回と133奪三振も自己最多と飛躍の年となった。

2006年1月17日にオリオールズと1年契約に合意[9]。開幕前の3月に開催された第1回WBCパナマ代表に選出された[10]

シーズンでは、エリック・ベダードロドリゴ・ロペスらと共に、開幕から先発投手としてプレーした。しかし、制球難に陥り、6月頭に先発ローテーションを外され、中継ぎとしてプレーすることとなった。オフの10月31日にFAとなった。

レンジャーズ時代

2007年2月6日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約んだ[11]。4月1日にメジャー契約を結んだ[12]。昇格後は5試合に登板したが、防御率7.20と乱調。4月21日にDFAとなり[13]、4月28日にAAA級オクラホマ・レッドホークスに降格した。降格後はAAA級オクラホマで4試合に登板し、1勝1敗・防御率5.62だった。オフの10月15日にFAとなった。また、この年にトミー・ジョン手術を受け[14]、その影響で2008年はどの球団にも所属せず、リハビリに充てていた。

ロイヤルズ時代

2009年3月に第2回WBCパナマ代表に選出され[15]、2大会連続2度目の選出を果たした。同大会では、初戦のプエルトリコ戦に先発するも4回2失点で負け投手となった。

シーズンでは3月1日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んだ[16]。AAA級オマハ・ロイヤルズで開幕を迎え、6月26日にロイヤルズとメジャー契約を結んだ[17]。昇格後は17試合に登板し、1勝6敗、防御率5.78だった。オフの11月6日にFAとなったが、12月11日にマイナー契約で再契約した[18]

2010年はAAA級オマハで開幕を迎えた。4月23日にロイヤルズとメジャー契約を結んだ。この年は4年ぶりの二桁勝利となる12勝(7敗)を挙げ、防御率4.17だった。オフの11月5日にFAとなった。

2011年1月15日にロイヤルズと1年契約で再契約した。開幕ロースター入りした。5月10日に腰の故障で15日間の故障者リスト入りし、6月24日に復帰。約1ヶ月間離脱していたが、25試合に登板し、2年連続の二桁勝利となる12勝(8敗)を挙げ、防御率は3.77だった。オフの10月30日にFAとなったが、11月23日に総額900万ドル(出来高を含めると最大で総額1100万ドル)の2年契約でロイヤルズと再契約した[19]

2012年開幕投手を務め、34試合に登板(34試合の先発登板はリーグトップ)。11勝14敗・防御率5.07と前年に比べ成績は悪かったが、3年連続の二桁勝利を挙げた。

2013年はシーズン開幕前の3月に開催された第3回WBC中国代表に参加することを目指したが、祖父母が中国出身である証明書を揃えることができなかったため、参加資格を満たせず不参加となった。レギュラーシーズンの開幕は中継ぎとして迎え、7月12日のクリーブランド・インディアンス戦から先発に復帰。34試合に登板し、9勝4敗・防御率3.27だった。オフの10月31日にFAとなった。

2014年2月1日にロイヤルズと325万ドルの1年契約(2015年のオプション付き)[20]で再契約した[21]。開幕ロースター入りし、4試合に登板したが、5月2日に椎間板ヘルニアで15日間の故障者リスト入りした[22]。9月5日に放出された[23]。この年のレギュラーシーズンでは、7試合の先発登板を含む計13試合に登板したが、2勝4敗・防御率7.45で負け越しと振るわなかった。

インディアンス時代

2015年2月16日にインディアンスとマイナー契約を結ぶ事で合意した[24]。開幕を傘下のAAA級コロンバス・クリッパーズで迎えた。5月9日にメジャー昇格[25]。だが、2試合に先発して防御率12.79と振るわず、16日にDFAとなり、18日に現役引退を表明した。

現役引退後

現役引退後はインディアンスの育成部門に携わっている[26]

2016年12月に第4回WBC中国代表に参加するため、投球練習を再開[26]

2017年3月4日に行われたオリックス・バファローズとの代表強化試合で引退後初の実戦での登板を果たした。WBC本戦では1次リーグキューバ戦に先発登板し、2回2/3を無失点で抑えた。このキューバ戦では紐履を履いて登板し、話題となった[27]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1998 ATL 44000200--1.0009120.12339111700993.981.57
1999 1670002201.50021451.038112732450032315.471.27
2000 22000040001.00017639.23541921320115112.501.36
PHI 15150003400.42938394.181142721804039383.631.14
'00計 37150007400.636559134.01161846421124154493.291.21
2001 16160004500.44438186.190193141792053485.001.40
NYM 11110003200.60025359.256102800473037314.681.41
'01計 27270007700.500634146.01462959411265090794.871.40
2002 100000000----30.210000000000.001.50
MON 1550002300.40017937.14792331433029296.991.88
CIN 3910000204.00017839.23772021371024194.311.44
'02計 5560002504.28636077.285164352804053485.561.65
2003 HOU 1100000001----6012.0142812800886.001.83
BOS 520000100.0005012.11242001200875.111.14
'03計 1620000101----11024.12661012200016155.551.48
2004 BAL 871012100.66719647.23971600320019163.021.15
2005 3432100131000.565832197.11873363091332194843.831.27
2006 40120000701.00045398.2137283530701081766.931.74
2007 TEX 500000000----4610.01136107001187.201.70
2009 KC 1790001600.14327962.174122534454042405.781.59
2010 332311012710.632608140.1136175743983068654.171.38
2011 252510012800.600654155.0152185027972071653.771.30
2012 3434000111400.440827191.2215334738140501141085.071.37
2013 34150009402.692498121.0107133643780146443.271.18
2014 1370002400.33322348.16971611360040407.451.76
2015 CLE 220000100.000356.11720104009912.792.84
MLB:17年 40022741182811*9.50366191532.01578257546404511403038497864.621.39
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 「-」は記録なし
  • 通算成績の「*数字」は不明年度がある事を示す

背番号

  • 48(1998年 - 2000年途中)
  • 39(2000年途中 - 2001年途中)
  • 32(2001年途中 - 2002年途中)
  • 52(2002年途中 - 同年終了、2003年途中 - 同年終了、2009年 - 2015年、2017年)
  • 31(2003年 - 同年途中)
  • 64(2004年)
  • 27(2005年 - 2006年)
  • 46(2007年)

代表歴

パナマ代表
中国代表

脚注

関連項目

外部リンク

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