ジャファー・エクスプレス列車ハイジャック事件
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13時15分 (パキスタン標準時)
| ジャファー・エクスプレス列車ハイジャック事件 | |
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| バローチスターン紛争中 | |
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ジャファー・エクスプレスの車両。2021年撮影。 | |
| 場所 |
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| 座標 | 北緯29度38分47秒 東経67度34分15秒 / 北緯29.64639度 東経67.57083度 |
| 日付 |
2025年3月11日 13時15分 (パキスタン標準時) |
| 標的 | 民間人, 警備員 |
| 攻撃手段 | ハイジャック, 人質事件, 銃乱射, 爆弾テロ, 銃撃戦, 待ち伏せ |
| 武器 | 即席爆発装置, ロケットランチャー, 自動火器, 爆弾ベルト, 狙撃銃 |
| 死亡者 | 64 (33人の過激派全員を含む)[1][2] |
| 負傷者 | 38[3][1] |
| 犯人 |
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| 関与者数 | 33[2][4][注釈 1] |
2025年3月11日、少なくとも380人の乗客を乗せてクエッタからペシャーワルへ向かっていたパキスタンの旅客列車ジャファー・エクスプレスが、バローチスターン解放軍(BLA)にハイジャックされた。襲撃者はトンネルと線路で爆発物を爆発させた後、列車に発砲し、当局の介入が困難な山岳地帯で列車を停止させた。BLAは、軍に拘束されたバローチスターンの政治犯を48時間以内に釈放しなければ人質を殺害するとの最後通告を出したが、一部は解放されていた。パキスタン鉄道は本事件の影響で、バローチスターンとパンジャーブ州、シンド州間の列車運行を一時的に停止した。
3月11日から12日にかけて、パキスタン軍は、コードネーム「グリーン・ボラン作戦(Operation Green Bolan)」と呼ばれる作戦を開始してハイジャックされた列車を複数回攻撃し、最終的に354人の人質を解放、33人のBLA構成員を殺害した。パキスタン当局によると、この襲撃で兵士18人と襲撃者33人を含む少なくとも64人が死亡し、38人が負傷した。BLAは、事態は継続しており数百人の人質を処刑したと主張したが、これはパキスタン当局の声明と矛盾している。
パキスタンの政党は、この反乱に対する非難決議を国会にて全会一致で可決した。パキスタンのシャバーズ・シャリフ首相は、この攻撃を「卑劣な行為」と非難して犠牲者の家族に哀悼の意を表し、危機の解消後、BLAのメンバーは「地獄に送られた」と述べた。BLAによる民間人への攻撃は、各国の人物によって広く非難された。パキスタンからBLAを支援していると非難されてきたアフガニスタンとインドは、攻撃への関与を否定している。事件後、パキスタン鉄道は、同様のテロ攻撃を防ぐために、国内のさまざまな鉄道システムのパトロール部隊を増強し、乗客と輸送車両をより徹底的に検査する計画を実行した。さらに運行再開後には、監視ドローンと監視カメラの両方を使用して、列車と鉄道の運行をさらに監視する予定である。
バローチスターン州は、少なくとも1948年以来、パキスタン政府に反対するバローチ分離主義者の反乱と紛争に巻き込まれてきた[6][7]。これは、パキスタン軍によるバローチ人の強制失踪と権利侵害、極度の貧困、バローチスターンのインフラ未整備によるものである。2001年以来、この地域の武装グループは、他の州に利益をもたらすと彼らが考えるバローチスターンでの大規模開発を阻止するため、さまざまな暴力的攻撃や暴力的運動を行ってきた[8]。
バローチスターン解放軍は、2000年に組織されたバローチ民族主義者グループである[9]。本組織の構成員らは、パキスタンからの地域独立と、石油、鉱物といったバローチスターンで採れる天然資源を管理することが目的であると述べた[10]。BLAはまた、中国・パキスタン経済回廊の一環として経済インフラのネットワーク化に関与していたという理由から、この地域の中国国民も標的にしている[11]。BLAは2006年以後、パキスタンで公式に禁止されている[12]。パキスタンはかつてインドとアフガニスタンが反パキスタン過激派を支援していると非難していたが、両国とBLAはこれを否定している[11]。BLAはそれ以来、複数のテロ攻撃を仕掛けており、多数の死者が出た。本事件以前で直近の攻撃は、2024年11月にクエッタ駅で起きた爆破事件(en:2024 Quetta railway station bombing)であり、32人が死亡した[13]。2016年10月7日には、ジャファー・エクスプレス旅客列車が、州都クエッタから約55km東に位置する町ムッチ付近でBLAの攻撃を受け、2回の爆発で6人が死亡、19人が負傷した[14][15]。
ハイジャック

2025年3月11日午前9時、ジャファー・エクスプレスの列車はクエッタを出発し、ペシャーワルに向けて約1,600キロメートルの旅に出発した[16]。列車は9両の客車と機関車で構成されていた[17]。列車には軍人を含む約450人の乗客が乗車していたと報じられている[18]。攻撃に先立ち、BLAの反政府運動家らは8つの即席爆発装置で線路を破壊し、列車が山岳地帯内で停止するようにした。この爆発装置によって列車の燃料タンクが爆発し、列車は急停止して4両の客車が脱線した[3][19]。BLAは、Pehro Kunri駅とムシュカフ駅の間の第8トンネル内(クエッタから約157キロ、シビ市の西方約21キロの地点)で列車をハイジャックした[20][21][22]。武装勢力は、列車への発砲に先立ち、線路上で爆発物を爆発させた[23]。
当時、5人の警察官と2人の国境警備隊(en:Frontier Corps, FC)隊員が列車を警備していた。このうちBBCウルドゥー語版によるインタビューに応じた警察官によると、ジャファー・エクスプレスは線路上での爆発により突然停止し、その数分後に、周囲の山々から降りてきた「数百人」の過激派が線路を包囲したという[5]。ただしこの証言は、列車は襲撃当時トンネル内であったとするパキスタン当局の説明とは矛盾する[5]。BLAの武装勢力は、発射装置と銃を装備しており、列車から出てこなければ人々を殺すと脅迫したという[24]。警察官5人と国境警備隊員2人は、武装勢力と交戦し、1時間半以上のあいだ持ちこたえて抵抗した。しかし最終的に弾薬が尽きて無防備な状態に陥ると、武装勢力は山から降りてきて列車を制圧した[5]。
列車が停止するとすぐに、数十人の過激派が山から降りてきて列車に乗り込み、男女をグループに分け、身分証明書をチェックした。襲撃者は高齢者や女性に危害を加えなかった[25]。事件に巻き込まれた人によると、BLAは人質を民族ごとに集めていたが、気に入らない兵士や人々をその場で処刑することもしていたという[24]。ハイジャックは人里離れた山岳地帯で発生したため、人質の安否はすぐには明らかにならなかった。バローチスターン州政府のシャヒド・リンド報道官によると、周囲の地形が、当局が迅速に現場に到着するうえで妨げになったという[26]。パキスタン鉄道はこの攻撃を受けて、バローチスターン州とパンジャーブ州、シンド州間の列車運行を一時的に停止した[27]。
夜になると、襲撃者のほとんどは撤退し、捕虜の警備に残ったのは20~25人だけだった。暗闇の中、人質の何人かは逃げようとしたが、武装勢力は発砲した。夜明けに国境警備隊の援軍が到着し、武装勢力の注意を引き、警察官を含む数人がなんとか逃げることができた[5]。
人質のほとんどは、法執行機関の職員と、バローチ人以外の民間人であると報じられている[28][29]。武装勢力は列車の警備員を厳重に監視し、当局に対し人質救出を試みないよう警告した[30]。武装勢力の中には、自爆爆弾を携帯したうえで人質の横に座り、当局による救出をさらに阻止しようとした者もいた[31] [10]。BLAのスポークスパーソンであるジーアンド・バロチ(Jeeyand Baloch)は、列車の人質と投獄された過激派との交換取引を申し入れた[10]。BLAはバローチスターン州住民、高齢者、女性、子供など民間人の人質を解放したが、ラマダーン休暇でパンジャーブ州の自宅に戻る途中であった政府職員や軍関係者らは、依然として拘束されつづけた[32][33][30]。ハイジャック事件が発生した同日、BLAはパキスタン政府に対し、バローチ運動関係者を含む政治犯を無条件で釈放せよという48時間以内の最後通告を出した[34]。BBAは翌日、最後通告の期限が切れてからは1時間ごとに、人質5人を「懲らしめる」と脅した[35]。パキスタン当局は、現場地域にはインターネットや携帯電話の通信網がないため、列車内の誰とも連絡が取れていないと述べた[36]。
救助活動

パキスタンの治安部隊は、現場で大規模な反撃作戦「グリーン・ボラン作戦(Operation Green Bolan)」を開始した[37][21][38][39]。治安部隊が戦いに加わり、人質の大半を解放し、武装勢力の大半を殺害した[40][41][42][43]。 30時間以上続いた[44]人質事件は、パキスタン軍によれば2025年3月12日に合計354人の人質が救出されて終結した[13][1]。パキスタン当局は、BLAは女性や子供を人間の盾として利用していると非難したが、BLAはこれを否定した[35] 。
救出作業は、主に陸軍の特殊部隊SSGのエリート部隊であるザラール中隊によって行われた[37]。タラール・チョードリー内務次官によれば、パキスタン軍は数百人の兵士を派遣し、空軍と特殊部隊も配備した。特殊部隊はまず自爆テロ犯を殺害し、その後兵士らは車両から車両へと移動して残りの過激派を殺害した[31]。
シャバーズ・シャリフ首相と閣僚らは、状況を再確認し、犠牲者への連帯を表明するためにバローチスターンを訪問した[45]。事件に巻き込まれた人によると、人質たちは食べ物もなく、列車のトイレの水を飲まなければならなかったという。パキスタン軍は救出された人質に食料と水を提供した[24]。
被害者
パキスタン当局は、武装勢力33人全員が殺害されたことを確認した。軍統合広報局(ISPR)の局長アハメド・シャリーフ・チョードリー中将は、列車の乗客だった民間人5人、鉄道職員3人、警備員18人が殺害されたほか、哨戒活動中に国境警備隊員3人が殺害され、水曜日の朝に国境警備隊の兵士1人が殺害され、列車の警備任務に就いていたもう1人も殺害されたと述べた[1][2]。犠牲者の中には少なくとも3人の未成年者が含まれていた[46]。当局は、負傷者の数が多いため、死者数が増加する可能性を懸念していると述べた[47]。当初、列車の運転手が死亡したと報じられたが、後に負傷しただけであることが確認された。運転手は、武装勢力が列車に発砲した際に背中を撃たれた[3][48]。当該運転手は勤務歴24年で、約8年前に起きた列車爆発事故を生き延びた人物であると報じられている[49]。パキスタンの人権活動家アブドゥル・カディール・バローチは、襲撃により200人以上の治安要員が死亡したと述べた[50]。襲撃によって人質37人が負傷したと報じられている[1]。
その後
ハイジャック事件後、パキスタン鉄道は全国のすべての鉄道駅で警備パトロールを強化し、厳格な検査を通じて列車への乗客のアクセスを制限したほか、輸送車両に対してもより厳格な検査を実施した[51]。また政府は鉄道警察の人員不足を認識し、今後数か月でさらに人員を雇用する計画を実行した[52]。ハニフ・アッバシ鉄道大臣は、襲撃で亡くなった人々の家族一人当たり520万パキスタン・ルピーの補償金を支払い、襲撃犠牲者の子供たちに公務員としての職を保証すると約束した[53]。
列車は襲撃で大きな被害を受け、爆発により機関車2両と客車5両が損傷した。パキスタン鉄道のRasheed Imtiaz副主任技師は3月15日、線路の復旧には約12時間かかると述べた[54]。パキスタン鉄道の技術者らは線路の修復に取り組み、客車と機関車は修理のためラホールに送られた。ある鉄道職員幹部は、爆発により9両のうち3両が脱線し、残りは銃弾で穴だらけになったと明らかにした。別の職員によると、爆発と脱線により600メートルの線路が損傷したという[55]。3月18日、アハメド・シャリーフ・チョードリー中将は、ジャファー・エクスプレスは運行を再開できる見込みであり、列車の運行、鉄道駅、その他の安全上重要なエリアを監視するために監視ドローンと監視カメラが導入される予定であることを明らかにした[56]。
犯行の主体
BLAは犯行声明を出した。BLAのスポークスパーソンであるジーアンド・バロチは声明で、パキスタン軍兵士を含む法執行機関の職員50人以上を、休暇で帰国中だったと報じられている人質214人とともに殺害したと主張した[57][58]。3月14日、アハメド・シャリーフ・チョードリー中将は、BLAの反乱軍は「アフガニスタンの指示者("handlers in Afghanistan")」とインドの首謀者によって支援されていると主張した[37]。同氏は、BLA戦闘員らは協力者と首謀者の指示の下で支援を受けており、首謀者は衛星電話を通じてアフガニスタンから彼らに連絡を取っていたと述べた[45]。パキスタン外務省は、アフガニスタンのファシリテーターが襲撃の計画を助長したとの主張を繰り返し、攻撃の背後にはインドがいると非難した[59]。バローチスターン州知事のサルファラーズ・ブグティは、インドの関与について「確固たる証拠」があると述べたが、詳細は明らかにしなかった[60]。ハニフ・アッバシ鉄道大臣は、とりわけ中国・パキスタン経済回廊を理由に、インドがパキスタンの不安定化を企てていると非難した[53]。3月18日、パキスタンの国連大使であるムニール・アクラムは国連安全保障理事会で演説し、アフガニスタンはテロ集団への十分な対抗策を講じておらず、列車ハイジャックなどのテロ事件はパキスタンを不安定化させるために行われたものだと説明した[61]。