ジュディッタ・パスタ
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パスタはミラノで、はじめジュゼッペ・スカッパ(Giuseppe Scappa)とダヴィデ・バンデラーリ(Davide Banderali)に、後にジローラモ・クレシェンティーニ[注 1]とフェルディナンド・パエールらに師事した。1816年、彼女はミラノのTeatro degli Accademici Filodrammaticiでスカッパの「Le tre Eleonore」の世界初演を歌い、プロのオペラ歌手としてのデビューを果たした。その年にはパリのイタリア劇場[注 2]で「ドン・ジョバンニ」のドンナ・エルヴィーラ、ニコロ・アントニオ・ジンガレッリ[注 3]の「ロメオとジュリエット」のジュリエット、そしてパエールの2つのオペラに出演した。
1817年のパスタのロンドンデビューは失敗に終わった。スカッパの下でさらに研鑽をつみ、1819年にはヴェネツィアデビューを成功させた。1821年から1822年のパリでは、極めて広い彼女の声域と演技の才能が激しい表現に合致したことでセンセーションを巻き起した。1824年から1837年までの間は、彼女は定期的にロンドン、パリ、ミラノ、ナポリで歌っていた。1830年にはミラノ、カルカーノ劇場(Teatro Carcano)でドニゼッティの「アンナ・ボレーナ[注 4]」のアンナ、1831年にはミラノでベッリーニの「夢遊病の女」のアミーナと「ノルマ」のタイトルロールをそれぞれ初演で演じている。
パスタはイタリアで歌唱の指導にも携わった。彼女の有名な生徒にはコントラルトのエマ・アルベルタッツィ[注 5]、ソプラノのマリアンナ・バルビエーリ=ニーニ[注 6]とパスタの指導の記録を回顧録に綴ったイギリスのソプラノ、アデレード・ケンブル[注 7]がいる。また彼女はパスタが完全に引退した後に、浅はかにも慈善演奏会のためにロンドンへ来たことを記録している。ケンブルは仲間の歌手であるポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルドに現在パスタの声はどのような具合なのかをたずね、こうのような答えを得た。「めちゃくちゃよ、だけどレオナルドの『最後の晩餐』と同じようなものね。」
