ジュニオール・フェルナンデス
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Antenor Junior Fernandes da Silva Vitoria
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| 名前 | ||||||
| 本名 |
アンテノール・ジュニオール・フェルナンデス・ダ・シルバ・ビトリア Antenor Junior Fernandes da Silva Vitoria | |||||
| ラテン文字 | Junior Fernandes | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1988年4月10日(38歳) | |||||
| 出身地 | トコピージャ | |||||
| 身長 | 184cm | |||||
| 体重 | 72kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| 在籍チーム |
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| ポジション | FW (WG) | |||||
| 背番号 | 78 | |||||
| 利き足 | 両足 | |||||
| ユース | ||||||
| 2005-2006 |
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| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 2007-2009 |
| 51 | (2) | |||
| 2007 |
→ | 20 | (12) | |||
| 2010 |
| 25 | (10) | |||
| 2011 |
| 35 | (9) | |||
| 2012 |
| 17 | (8) | |||
| 2012-2014 |
| 6 | (0) | |||
| 2013-2014 |
→ | 28 | (13) | |||
| 2014-2017 |
| 66 | (22) | |||
| 2017 |
→ | 14 | (6) | |||
| 2017-2020 |
| 80 | (26) | |||
| 2020-2021 |
| 13 | (3) | |||
| 2021- |
| 9 | (1) | |||
| 代表歴2 | ||||||
| 2011- |
| 19 | (0) | |||
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1. 国内リーグ戦に限る。2021年7月1日現在。 2. 2019年7月6日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
アンテノール・ジュニオール・フェルナンデス・ダ・シルバ・ビトリア(Antenor Junior Fernandes da Silva Vitoria, 1988年4月10日 - )は、チリ・トコピージャ県トコピージャ出身の同国代表サッカー選手。イスタンブール・バシャクシェヒルFK所属。ポジションはフォワード。
コブレロア
ブラジル人の両親のもとに生まれ、6歳の時にトコピージャからカラマへ移住する。兄弟のクリスティアンと共に学校へ通い、そこではスポーツと音楽に励んだ。カラマに住んでいた間はCDコブレロアのユースチームに所属し、2006シーズン中には3部に参加するBチームへ昇格した。この期間中にアレクシス・サンチェスと出会い、それ以来の友人。
その後リザーブチームへの昇格は叶わず、2007年にCDムニシパル・メヒジョーネス(3部クラブ)へローン移籍する。
レンタル先で活躍すると、グスタボ・ウェルタ監督のリクエストでコブレロアのファーストチームへ加わった。プロデビューは第4節のデポルテス・ラ・セレナ戦。ストライカーのフェリペ・フローレスと交代で出場し、2-1で勝利した。デポルテス・メリピージャ戦で初スタメンとして出場、5-1で勝利した。
パレスティーノ
2010年にマガジャネスで2部優勝・1部昇格への原動力になると、その卓越したパフォーマンスがCDパレスティーノの目に留まることとなり、2011年に移籍する。そこでも活躍するとU-25チリ代表にノミネートされる。
ウニベルシダ・チレ
ウニベルシダ・デ・チレは、翌2012年のアペルトゥーラとコパ・リベルタドーレス優勝を目指すため、2011年11月2日にパレスティーノから保有権50%を買取り、移籍金70万USドルを支払い獲得した。12月5日に背番号9を着用することがクラブのオフィスで発表された。プレゼンテーションでは、「私はこのクラブのファン。そして、このクラブでこの背番号を背負い、偉業を成し遂げたマルセロ・サラスが私のアイドル」と語った[1]。開幕戦のデポルテス・ラ・セレナでチームデビューをすると移籍初ゴールを挙げ3-1と勝利した[2]。
チーム2試合目となる12月22日のリベルタドーレスでのCDゴドイ・クルス・アントニオ・トンバ戦では、ハットトリックを記録し5-1と勝利した[3]。リベルタドーレス準々決勝1st-Legでデポルティーボ・キト相手に1-4と敗北も、2012年5月10日の2nd-Legでは、先制ゴール含む2ゴールを挙げるとチームは6-0と大勝した。88分にフランシスコ・カストロと交代でピッチを去る際に45000人の観衆は、ジュニオールの名を大合唱し活躍を讃えた。2012年6月24日のアペルトゥーラ準決勝2nd-LegCSDコロコロ戦で、ハットトリックをしヒーローになると、最近のパフォーマンスへの批判を黙らせた。
レヴァークーゼン
2012年7月6日に、5年契約でバイエル・レヴァークーゼンへ移籍した[4][5]。
ディナモ・ザグレブ
ドイツでは出場機会に恵まれず、2013-14シーズンよりプルヴァHNLのNKディナモ・ザグレブへローンで加入し翌年には完全移籍。2016-17シーズンから新たに就任したイヴァイロ・ペテフの下では戦力外となり、同シーズン後半はスュペル・リグのアランヤスポルでプレーした[6]。その後アランヤスポルに完全移籍した。
代表
2011年にクラウディオ・ボルギ監督の下、チリ代表に招集された。