ジャン・ボーセジュール

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本名 ジャン・アンドレ・エマヌエル・ボーセジュール・コリケオ
Jean André Emanuel Beausejour Coliqueo
愛称 Palmatoria
ラテン文字 Jean BEAUSEJOUR
国籍  チリ
ハイチの旗 ハイチ
ジャン・ボーセジュール
名前
本名 ジャン・アンドレ・エマヌエル・ボーセジュール・コリケオ
Jean André Emanuel Beausejour Coliqueo
愛称 Palmatoria
ラテン文字 Jean BEAUSEJOUR
基本情報
国籍  チリ
ハイチの旗 ハイチ
生年月日 (1984-06-01) 1984年6月1日(41歳)
出身地 サンティアゴ[1]
身長 178cm[2]
選手情報
ポジション MF / DF (LWG, LWB)
利き足 左足
ユース
  チリの旗 ウニベルシダ・デ・チレ
チリの旗 カトリカ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002 チリの旗 カトリカ 16 (3)
2002-2003 チリの旗 コンセプシオン英語版 (loan) 30 (3)
2004-2005  スイスの旗 セルヴェット 11 (1)
2005 ブラジルの旗 グレミオ 55 (7)
2006 ベルギーの旗 ヘント 0 (0)
2007 チリの旗 コブレロア 22 (0)
2008 チリの旗 オヒギンス 34 (13)
2009-2010 メキシコの旗 クラブ・アメリカ 45 (3)
2010-2012 イングランドの旗 バーミンガム 39 (3)
2012-2014 イングランドの旗 ウィガン 85 (3)
2014-2016 チリの旗 コロコロ 54 (7)
2016-2021 チリの旗 ウニベルシダ・デ・チレ 93 (1)
2021 チリの旗 コキンボ・ウニド 22 (0)
通算 508 (44)
代表歴
2004 チリの旗 チリ U-23 7 (2)
2004-2020 チリの旗 チリ 109 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジャン・アンドレ・エマヌエル・ボーセジュール・コリケオJean André Emanuel Beausejour Coliqueo, 1984年6月1日 - )は、チリサンティアゴ出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはMFDF(左ウイング、左ウィングバック)。

初期の経歴

父親はハイチ共和国出身であり、母親はチリ出身(マプチェ族)である[3]。2001年にウニベルシダ・カトリカからデビューし、それ以来数多くのクラブでプレーしている。2004年、スイス・スーパーリーグセルヴェットFCと1年契約を結んだ[1]。2005年にはブラジル・セリエAグレミオFBPAに加入し、2006年にはベルギー・ジュピラー・プロ・リーグKAAヘントに加入。2007年にはチリに帰国し、CDコブレロアで1年間プレーした後に2008年にCDオヒギンスに加入。オヒギンスでのプレーはチリ代表マルセロ・ビエルサ監督に注目され、3度代表に招集された。2008年12月1日にメキシコのクラブ・アメリカと3年半の契約を結び、1シーズン半をメキシコでプレーした。

バーミンガム・シティ

ロンドン・オリンピック・パークセバスティアン・ピニェラ チリ大統領(左)と談笑するボーセジュール(右)

2010年8月31日、プレミアリーグバーミンガム・シティFCと3年契約を結んだ。移籍金は公開されていない[4]。労働許可証取得を待ったためにデビューが遅れたが[5]、9月18日のウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFC戦 (1-3) で、83分にアレクサンドル・フレブとの交代で出場してデビュー[6]フットボールリーグカップMKドンズ戦 (3-1) では初めて先発出場し、フレブとニコラ・ジギッチの得点をアシストして強い印象を残した[7]FAカップミルウォールFC戦では先制点をアシストし、さらに20ヤードの距離からクロスバーを直撃するシュートを放った[8]。FAカップ5回戦のシェフィールド・ウェンズデイFC戦では、6分にリー・ボウヤーの切り返しからインサイドキックで移籍後初得点を挙げた[9]。バーミンガムはカーリングカップで決勝に進出し、ウェンブリー・スタジアムアーセナルFCと対戦した決勝 (2-1) では後半に途中出場して優勝の瞬間に立ち会った[10]。この結果、バーミンガムは約50年ぶりの主要な欧州カップ戦となるUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得。2011年3月5日、ホームで行われたWBA戦 (3-1) で移籍後リーグ初得点を挙げ[11]、4日後のエヴァートンFC戦でリーグ2点目を決めた[12]

2011-12シーズンのUEFAヨーロッパリーグ・本選出場プレーオフではCDナシオナル(ポルトガル)と対戦し、ファーストレグ (0-0) ではバーミンガム・メイル紙によってマン・オブ・ザ・マッチに選出された[13]クリス・ヒュートン監督はボーセジュールにいっそう攻撃的な役割を演じることを求め[14]レスター・シティFC戦 (2-0) ではマン・オブ・ザ・マッチ級の活躍を見せた[15]。UEFAヨーロッパリーグ・グループリーグのクラブ・ブルッヘ戦では自身のミスから失点を招いたが、ジギッチのシュートの跳ね返りを押しこんで得点し、さらにペナルティエリア内でファールを受けてPKを獲得した[16]。11月のバーンリーFC戦 (2-1) では、2分に再びリバウンドボールを押し込んで先制し、リーグ戦でのシーズン初得点を記録した[17]

ウィガン・アスレティック

2012年1月25日、プレミアリーグのウィガン・アスレティックFCと2年半の契約を結んだ[18]。移籍金は公開されていない。1月31日、ホワイト・ハート・レーンで行われたトッテナム・ホットスパーFC戦 (3-1) でデビュー[19]、ホームデビュー戦となったエヴァートンFC戦ではマン・オブ・ザ・マッチ級の活躍を見せた。ボーセジュールが蹴った低いクロスが相手ディフェンダー フィル・ネヴィルの足に当たり、キーパーのティム・ハワードの手をすり抜けてオウンゴールとなった[20]

2度目の母国復帰

2014-15シーズンよりCSDコロコロと2年契約を結び再び母国に復帰[21]。2016年7月18日、ウニベルシダ・デ・チレに移籍した[22]。2022年1月28日、現役引退を表明した[23]

代表経歴

2010 FIFAワールドカップのホンジュラス戦でボーセジュールが決めたゴールを喜ぶチリのファン

2004年にチリ代表デビューし、2009年6月10日の2010 FIFAワールドカップ・南米予選ボリビア戦で初得点を挙げた[24]。2010年には南アフリカで開催される2010 FIFAワールドカップ本大会のメンバーに選出され、グループリーグホンジュラス戦 (1-0) では試合唯一の得点を挙げた。この勝利はチリにとって、1962 FIFAワールドカップ以来となる本大会での勝利となった[25]。チリは決勝トーナメント1回戦でブラジル代表に敗れたが、ボーセジュールはグループリーグ3試合とブラジル戦の全4試合に出場した[26]

2011年11月、2014 FIFAワールドカップ・南米予選ウルグアイ戦の前に、4人のチームメイトとともに代表から追放された。宿舎の門限を破った上に、酒に酔った状態であったと報じられている。クラウディオ・ボルギ監督は「チリ代表として、プロサッカー選手としてふさわしくない」と表現した[27]。チリサッカー連盟は後に10試合の出場停止処分を科したが、ボルギ監督は「近いうちにはボーセジュールとホルヘ・バルディビアを招集することはないだろう」と述べた[28]。しかしボルギ監督はすぐにボーセジュールを代表に呼び戻した。

2014 FIFAワールドカップ本大会のメンバーにも選出され[29]、グループリーグのオーストラリア戦でペナルティーエリアの外から得点を決めた。ボーセジュールはチリ代表の選手として初めて、異なる2回のワールドカップ本大会で得点を決めた[30]

2018年3月27日、デンマークとの親善試合に出場し、この試合でアルトゥーロ・ビダルとともに代表通算100試合出場を達成した[31]

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 109試合 6得点(2004年-2020年)[32]
チリ代表国際Aマッチ
出場得点
200430
200500
200600
200700
200890
2009111
201081
2011121
201230
2013112
201481
201580
2016120
2017130
201830
201960
202020
通算1096

得点

#日付場所対戦相手スコア最終結果大会詳細
1.2009年6月10日チリの旗 サンティアゴ ボリビア1-04-02010 FIFAワールドカップ・南米予選[24]
2.2010年6月21日南アフリカ共和国の旗 ネルスプロイト ホンジュラス1-01-02010 FIFAワールドカップ[25]
3.2011年3月29日オランダの旗 ハーグ コロンビア2-02-0親善試合[33]
4.2013年8月14日デンマークの旗 コペンハーゲン イラク4-06-0親善試合
5.5-0
6.2014年6月13日ブラジルの旗 クイアバ オーストラリア3-13-12014 FIFAワールドカップ

タイトル

脚注

外部リンク

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