ジョセフ・ラズ
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ジョセフ・ラズ(Joseph Raz、1939年3月21日 - 2022年5月2日、出生時の名前は Joseph Zaltsman)は、イスラエル生まれの法哲学者、道徳哲学者、政治哲学者。法実証主義の擁護者であり、「排除理由」や「卓越主義リベラリズム」の概念を提唱したことで知られる。
オックスフォード大学 (DPhil)
指導教員 H. L. A. ハート
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Raz in 2009 | |
| 生誕 |
1939年3月21日 Haifa, Mandatory Palestine |
|---|---|
| 死没 |
2022年5月2日(83歳没) ロンドン, イギリス |
| 教育 | |
| 出身校 |
ヘブライ大学 (MJur) オックスフォード大学 (DPhil) |
| 博士課程 指導教員 | H. L. A. ハート |
| 研究領域・専攻分野 | |
| 専攻分野 | 法哲学 ・政治哲学 |
| 時代 | 現代哲学 |
| 地域 | 西洋哲学 |
| 学派 |
法実証主義 卓越主義リベラリズム |
| 研究機関 |
ヘブライ大学 オックスフォード大学 コロンビア大学 キングス・カレッジ・ロンドン |
| 受賞歴 | 唐奨 (2018) |
| 概念 | 卓越主義リベラリズム |
ラズはそのキャリアの大半をオックスフォード大学ベリオール・カレッジの法哲学教授として過ごし、晩年はコロンビア大学ロースクールおよびキングス・カレッジ・ロンドンの特任教授を務めた。2018年には「法の支配」の分野における貢献を評価され、台湾の唐奨(Tang Prize)を授与された。[1]
配偶者はオックスフォード大学フェローのペネロペ・ブロック(Penelope Bulloch)、息子に建築家のノーム・ラズ(Noam Raz)がいる[2][3]。
人生とキャリア
ラズは1939年3月21日、ハイファ(当時はイギリス委任統治領パレスチナ)にて、ソーニャとシュムエル・ザルツマンの間に生まれ、ジョセフ・ザルツマンと名付けられた。1963年にエルサレム・ヘブライ大学にて法学修士(Magister Juris)を取得し、最優等(summa cum laude)の成績で卒業した。同年、姓をラズに改めた[4]。その後、ヘブライ大学からの奨学金を得てオックスフォード大学へ進み、H. L. A. ハートの指導のもとで博士号取得を目指した。ラズは以前、イスラエルで開かれた学会でハートと出会っており、ハート自身も気づいていなかった論証の欠陥を指摘して強い印象を与えた。そこでハートはラズに対し、さらなる研究のためにオックスフォードへ来るように勧めたのであった。ラズはオックスフォード大学ベリオール・カレッジで学び、1967年に博士号(Doctor of Philosophy)を取得した。
博士号取得後、ラズはイスラエルに帰国し、ヘブライ大学の法学部および哲学科で講師として教鞭をとった。1971年にはテニュアを取得し、上級講師に昇格した。1972年にはオックスフォード大学ベリオール・カレッジに戻り、法学のフェロー兼チューターに就いた。その後、1985年から2006年まで同大学で法哲学の教授を務め[5]、2006年から2009年まではリサーチ・プロフェッサー(研究教授)を務めた。また、2002年にはニューヨークのコロンビア・ロースクールの教授に就任し、2011年からはキングス・カレッジ・ロンドンで法学のリサーチ・プロフェッサーを務めた。
ラズは2022年5月2日、チャリング・クロス病院にて死去した。オックスフォード大学法学部はラズを「法学・哲学の分野で最後まで残った巨人の一人」と評した。[6][7]
ラズは写真を趣味とし、いくつかの著書の装丁には自分で撮影した写真を用いている。また、インターネットによる情報発信にも早くから積極的で、個人ウェブサイトを1990年代末には作成していた。
業績
ラズの最初の著書『法体系の概念(The Concept of a Legal System)』は、博士論文に基づいたものである。本書はハートの議論が法の体系性を十分に説明していないことを批判し、メンバーシップに基づく説明の提示を試みた。ラズにとって「体系性」への問題意識は、法だけでなく、価値、理由など重要な諸概念を構造化して捉えるものとして持続することになった。
政治哲学
政治哲学の著書『自由の道徳(The Morality of Freedom)』は、ニール・マコーミックによってJ. S. ミル『自由論』以来の自由の哲学における最重要著作と評された[8]。
ラズは『自由の道徳』で「卓越主義リベラリズム」を構想し[9]、政治制度は人々の福利にどれだけ寄与するかによって正当化されると論じた。ラズによれば、個人の福利は自身の目標を追求する能力にかかっている。しかし、福利は自ら設定した目標を達成しさえすれば得られるわけではない。福利は「客観的に価値のある目標」を追求できるかどうかにかかっている[10]。
卓越主義リベラリズムを擁護するラズの議論は、こうした福利の客観説と、他の二つの前提を組み合わせることで導き出される。第一の前提は、人間の目的と福利は「社会的形式」と呼ぶものを通じて捉えられ、かつそれに依存している、という点である。「社会的形式」とは、社会的に形成され、特定の社会という文脈においてのみ意味をなすような生き方や行動様式を指す。たとえば、医師、友人、親といった社会的役割は、ある社会の文脈のなかでその役割に付随する権利や義務を考慮することによって初めて理解できるものである[11]。それぞれの価値は通約不可能であり(価値多元主義)、各人は自らの人生の著者として自分にとっての価値の体系を構築し、それにコミットする。
この議論の第二の前提は、リベラルな社会において人々は多様な社会的形式に携わっているが、それにともなう目標を達成するためには、自律が必要だという点である。したがって、リベラルな社会における社会的形式の目標を達成するためには、個人は自律的でなければならない。政治制度は人々の福利に寄与するかどうかによって正当化されるという見解や、人間にとっての福利は社会的形式に依存するという主張と組み合わせると、自律に関するラズの議論は、社会的形式が自律を必要とするあらゆる場面において、福利のためには自律が不可欠であることを示している。そしてもしリベラルな社会の社会的形式が自律を必要とするならば、リベラルな社会は自律を支援すべきだということになる(自律基底的リベラリズム)。
法哲学
ハートのもとで学んだラズは、ハートの存命中、そして没後も、法実証主義の発展を継続させるうえで重要な役割を果たした。ラズはハートの著書『法の概念』第2版の共編者も務めた。この版には、自身の著作に対する他の哲学者(ドウォーキン、ラズなど)からの批判にハートが応じた内容を盛り込んだ「補遺(postscript)」が収録されており、法と道徳の関係をめぐる法実証主義論争のきっかけを作った。ラズはそこで法の妥当性基準は社会的事実のみによるという、最も徹底した排除的法実証主義(ハード実証主義)の論者とみなされた。それにより、とりわけドウォーキン逝去後の2010年代には、英語圏の論者がラズとの距離から自身の議論を位置付けようとする傾向が広く見られることになった。
権威としての法
ラズにおいて、法は権威を主張するものである。法の命令は人々に対し、自分でわざわざ考えなくてもいいように理由を提供する。それは政治権力が恣意的に発するのではなく、命令の名宛人にとってすでに重要な理由であり(依存テーゼ(dependence thesis)、かつ他の(道徳などの)考慮を「排除」する決定的・終局的な理由になる(「排除理由(exclusive reason)」[12])。法が提供する理由は、自分が行為する理由を自分で考える必要のない「先取り理由(preemptive reason)」として機能するのであり、個々人は自分自身で考えるよりも権威に従うほうが利益になると考えるのであれば従えばよい(通常の正当化テーゼ(normal justification thesis))。そのためには、法の命令は、その存在や内容を個々人が検討することなしに確定できなければならない。ラズの法実証主義、とりわけ「源泉テーゼ(sources thesis)」、すなわち「法の存在や内容を判定する基準は道徳的議論ではなく社会的事実に基づくものでなければならない」とする考え方は、そうした権威論および理由分析(reason analysis)に基づいている。
ラズにとって法が主張する権威は「サービス」であり(service conception)、個々人は自分にとってそれが便利だと思う限りでそれを用いればよい。そのため、法に従う一般的な義務は否定される。遵法義務や法の正統性は、あくまで個々人の利益や価値にとって相対的・個別的に成り立つものとなる。もっとも、それは遵法行動を恣意的にするのではなく、法の権威は理由に対する応答を要求するという義務的な力をもっており、個々人は自身の構築した価値体系に応じてそれに対応する。ここにおいて法の規範性は純粋に道徳的なものではなく、実践的理由(=理性)の領域に属するものとして位置づけられる(Raz 1999, 2011, 2022など)。
影響
ラズは教育熱心で知られ、オックスフォード大学ほかで多くの学生を指導した。そのなかにはオックスフォード大学の法哲学教授であるレスリー・グリーン、元法哲学教授ジョン・ガードナー、ティモシー・エンディコット、ジュリー・ディクソンなどがいる。ほか現代の法哲学分野の有力な研究者であるアンドレイ・マーモー、スコット・シャピロ、ブライアン・ビックスなど、直接・間接に指導を受けた者は数多い[2]。
アレクシーとの論争
ドイツの法哲学者、ロバート・アレクシーとは法実証主義理論における法と道徳の分離について論争を行った。「正しさの主張」を法の概念必然的な要素とみなすアレクシーに対し、ラズは法の妥当性条件に道徳的要素を持ち込むべきではないと批判した[13]。ただし、法の内容に道徳的要素が取り入れられることはラズも否定しておらず、ラズの「排除的法実証主義」が硬直的に理解されるべきものでないことも明らかになった。両者の論争が噛み合ったものといえるかどうかについては評価が分かれるが[14]、ドイツ法哲学と英語圏の分析的な法哲学との間の対話可能性が示されたといえる。
著書
- The Concept of a Legal System, Oxford University Press, 1970 (2nd 1980)(松尾弘訳『法体系の概念(第2版)』慶應義塾大学出版会、2011年).
- Practical Reason and Norms, Oxford University Press, 1975 (2nd 1990)(森村進訳『実践的理由と規範』勁草書房、2025年).
- The Authority of Law, Oxford University Press, 1979 (2nd 2009)
- The Morality of Freedom, Oxford University Press, 1986.
- Authority, Oxford University Press, 1990.
- Ethics of Public Domain, Oxford University Press, 1994.
- Engaging Reason, Oxford University Press, 1999.
- Value, Respect and Attachment, 2001(森村進=奥野久美恵訳『価値があるとはどのようなことか』ちくま学芸文庫[筑摩書房]、2022年).
- The Practice of Value, Oxford University Press, 2003.
- Between Authority and Interpretation, Oxford University Press, 2009.
- From Normativity to Responsibility, Oxford University Press, 2011.
- The Roots of Normativity, Oxford University Press, 2022.
日本編集版
- 深田三徳 編『権威としての法:法理学論集』(勁草書房、1994年)
- 森際康友 編『自由と権利:政治哲学論集(新装版)』(勁草書房、2021年)
- この2冊は1990年代前半までの重要な論文および著書の一部のセレクションとして編集されている。