ジョン・メイベリー・ジュニア

From Wikipedia, the free encyclopedia

生年月日 (1983-12-21) 1983年12月21日(42歳)
身長
体重
6' 6" =約198.1 cm
225 lb =約102.1 kg
ジョン・メイベリー・ジュニア
John Mayberry, Jr.
フィリーズ時代
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ミズーリ州カンザスシティ
生年月日 (1983-12-21) 1983年12月21日(42歳)
身長
体重
6' 6" =約198.1 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 2005年 ドラフト1巡目(全体19位)でテキサス・レンジャーズから指名
初出場 2009年5月23日 ニューヨーク・ヤンキース
最終出場 2015年7月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ジョン・クレイボーン・メイベリー・ジュニアJohn Claiborn Mayberry, Jr, 1983年12月21日 - )は、アメリカ合衆国ミズーリ州カンザスシティ出身の元プロ野球選手外野手)。右投右打。

同名の父ジョン・メイベリー・シニアは1970年代にカンザスシティ・ロイヤルズの正一塁手として活躍した元メジャーリーガー。

プロ入り前

子供の頃から父が専属コーチで[1]、憧れていた選手はケン・グリフィー・ジュニアフランク・トーマスだった[2]。全米でも有数のスポーツ強豪校であるミズーリ州カンザスシティロックハースト高校では野球以外にバスケットボールでも活躍。USAトゥデイ選定のオールアメリカンにも選ばれ、2002年MLBドラフトシアトル・マリナーズから1巡目(全体28位)指名されるが、契約せずにスタンフォード大学へ進学した[3]。スタンフォード大学では同学年にジェド・ラウリーがいた。

レンジャーズ傘下時代

2005年MLBドラフトテキサス・レンジャーズから1巡目(全体19位)指名され、入団。大学3年間の通算成績は打率.312・28本塁打・148打点[4]。成績ではボストン・レッドソックスから1巡目補完(全体41位)で指名されたラウリーの方が上であったが、素材面が評価されたメイベリーがドラフト指名順位では上になった[5]

プロ1年目の2005年はA-級スポケーン・インディアンス、翌2006年はA級クリントン・ランバーキングスでプレー。2007年はA+級ベーカーズフィールド・ブレイズとAA級フリスコ・ラフライダーズで打率.235ながら30本塁打を放ち、オフには「ベースボール・アメリカ」誌の有望株ランキングで球団内5位にランクインした[6]

フィリーズ時代

2008年11月20日グレッグ・ゴルソンとのトレードフィラデルフィア・フィリーズへ移籍した[7]

2009年5月23日ニューヨーク・ヤンキース戦でメジャーデビューすると、いきなりアンディ・ペティットからメジャー初本塁打となる3ランを放った[8]。この年は最終的に39試合の出場で打率.211、4本塁打という成績だった。

2010年3月28日にAAA級リーハイバレー・アイアンピッグスへ配属され、開幕を迎えた。8月3日ライアン・ハワード故障者リスト入りしたため、メジャーへ昇格[9]。昇格後は代打として2試合に出場したが、2打数無安打に終わり、8月8日にAAA級リーハイバレーへ降格。9月7日に再昇格した。この年は11試合に出場し、打率.333・2本塁打・6打点だった。

2011年は開幕ロースター入りを果たし、開幕後は45試合に出場したが、打率は.231と結果を残せず、6月3日にAAA級リーハイバレーへ降格[10]7月5日に再昇格した[11]。この年は104試合に出場し、打率.273・15本塁打・49打点・8盗塁だった。

2012年は開幕から左翼手であるフアン・ピエールのバックアップとして主に起用されていたが、7月31日に正中堅手のシェーン・ビクトリーノロサンゼルス・ドジャースへ移籍したため、8月から中堅手の定位置を獲得。この年は149試合に出場し、打率.245・14本塁打・46打点・1盗塁だった。

2013年は中堅手のベン・リビアと右翼手のデルモン・ヤングが加入。有望株のドモニク・ブラウンが左翼手として起用されたため、主にバックアップとしての起用に戻った。この年は134試合に出場し、打率.227・11本塁打・39打点・5盗塁だった。

2014年1月17日にフィリーズと158万7000ドルの1年契約に合意[12]。開幕後は定位置を獲得することができないまま、7月22日に左手首の故障で15日間の故障者リスト入りした[13]。フィリーズでは63試合に出場し、打率.213・6本塁打・21打点だった。

ブルージェイズ時代

2014年8月31日グスタボ・ピエールとのトレードでトロント・ブルージェイズへ移籍[14]。移籍後の9月2日に故障者リストから外れたが、僅か15試合の出場で打率.208に終わった。シーズン計では4年ぶりに出場試合数が100未満となり、本塁打も4年ぶりに二桁未到達に終わるなど不本意なシーズンだった。オフの12月2日にノンテンダーFAとなった[15]

メッツ時代

2014年12月15日ニューヨーク・メッツと145万ドル+出来高の1年契約を結んだ[16][17]

2015年7月24日DFAとなった[18]。7月30日に自由契約となった[19]

メッツ退団後

8月7日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結び、傘下のAAA級シャーロット・ナイツに所属したが、13試合の出場で打率.162に終わり、26日に自由契約となる。

2016年1月11日、デトロイト・タイガースとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[20]。3月31日に自由契約となった[21]

プレースタイル

身長6フィート6インチ(約198.1cm)という恵まれた体格を持ち、パワー、走力、強肩を兼ね備えた抜群の身体能力を持つ[6]。しかし、打撃は三振が多く確実性に欠ける。そのため、メジャー昇格当初は層の厚いフィリーズ外野陣に定着することが出来ず、AAA級との往復が続いていた。

大学時代までは一塁手であったが、プロ入り後は外野手に転向した。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2009 PHI 3960578123042780000201232.211.250.474.724
2010 11131244002106010010040.333.385.8331.218
2011 1042962673773171151374983012622556.273.341.513.854
2012 1494794415310824014174461002342211117.245.301.395.695
2013 1343843534780231111383953012713906.227.286.391.677
2014 631381221126706512100001501301.213.304.418.722
TOR 15302445301112000150051.208.333.458.792
'14計 7816814615311007622300012001352.212.310.425.734
通算:6年 5151400127616430877253548171147051105931833.241.305.429.734
  • 2014年度シーズン終了時

背番号

  • 40 (2009年 - 2010年)
  • 15 (2011年 - 2014年途中)
  • 9 (2014年途中 - 同年終了)
  • 44 (2015年)

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI