ジョー・オダネル
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人物
オダネルは1922年、米国ペンシルベニア州ジョンズタウンに生まれた。高校卒業後はアメリカ海兵隊に入隊し、そこで従軍カメラマンとしての教育を受けたが[1]、 前線に送られることなく第二次世界大戦の終結を迎えた [2]。
教育課程を終えると、まず太平洋戦争による日本の空爆被害を記録する任務に就き、1945年8月に長崎市から10マイル(16キロメートル)ほどの地点に入った[1]。当時、マッカーサー陸軍元帥やワシントンの首脳部は、原爆投下によって壊滅していた広島や長崎への報道機関のアクセスを制限しており[2]、許可なく日本の民間人を写すことや、軍の業務用カメラ以外を使用することも禁じられていた。しかしオダネルは軍命に背き、持参していたプライベートカメラで被爆者たちの姿を撮影したのである [3]。 こうして遺されたのが、後に大きな反響を呼ぶ「焼き場に立つ少年」をはじめとした写真群であった[1]。このあとオダネルは広島にも立ち寄った。日本の侵略を批判しつつも、被爆者を写すうちに日本人への憎しみは哀れみに変わっていったという[4]。原爆被害の記録を続けたが、これらの写真の存在が軍部に知られた場合、いつ破棄させられてもおかしくなかったため、オダネルは被爆地でのことを一切口外せず、7カ月の任務を終えて未現像のネガ300枚ほどを密かにアメリカに持ち帰った[2][3]。
オダネルは戦後ワシントン州に移り、写真スタジオを経営した時期もあったが[1]、まもなく中央情報局に採用され、トルーマン、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソンの4代のアメリカ大統領に仕えた[3]。この期間にオダネルは、朝鮮戦争をめぐるトルーマンとマッカーサーとの会談や、ケネディ政権下でのピッグス湾事件など、数多くの歴史的瞬間に立ち会っている[1]。
この間オダネルは、被爆地での写真を自宅の物入れに封印し、その記憶を忘れ去ろうとしていた。しかし半世紀近く経った頃、にわかに長崎や広島での凄惨な記憶が思い出されるようになり、精神を苛まれるようになっていた[2]。そこで1989年、心の疲弊を癒やすために訪れたある教会で[注 2]、大きな転換点を迎えることになる。表面に無数の被爆者の写真が貼られたキリストの火磔刑像に出会った。この像に込められた被爆者への祈りと核兵器への抗議に深い共感を覚え、オダネルは長崎や広島での写真の封印を解き[5]、反核運動に身を投じることを決意した[1]。さっそく1990年頃からアメリカで写真展などの活動を始めたが、アメリカでは写真展を受入れる施設は少なく、嫌がらせを受けることも多かった[4]。岩手県盛岡のキリスト教センターが催したアメリカの教会を訪ねるツアーで参加者がアメリカの教会でこの写真とオダネルを知ったことから、日本では1992年から写真が公開され、写真展や講演の会場には多くの人が集まった[4]。日本に来たオダネルは『焼き場に立つ少年』の行方を追っていたが消息をつかむことは出来なかった[4]。一方で、日米での講演や出版活動を続けるうちにオダネルの精神症状は悪化し、特に残虐な一部の写真の公表は見送られた[5]。
21世紀に入ってからも、オダネルは原爆に肯定的な意見の多いアメリカでの批判に耐え続け、各地で写真展を開くなど精力的に活動を続けたが、2007年、テネシー州ナッシュビルにて息を引き取った。奇しくも命日は『長崎原爆の日』の8月9日であった[6]。
作品
最も広く知られているのは、原爆投下直後の長崎や広島を撮影した写真のうち、「焼き場に立つ少年」である。
論争
トルーマン大統領への直訴
オダネルは戦後、原爆投下を決断したトルーマン大統領に直接、決断を後悔していないかと尋ねたことがある。これに対しトルーマンは取り乱して「馬鹿言うな。私のせいではない。」、「あれはルーズベルトのやったことだ。私じゃない。」と返答したという[3]。
アメリカでの写真展の中止
戦後50年となる1995年、アメリカの国立航空宇宙博物館で、広島に原爆を投下したB-29型爆撃機「エノラ・ゲイ」とともに、オダネルの原爆被害の写真が展示されようとしていた。この写真展は、原爆投下の惨禍と非人道性を伝えるために企画されたものであったが、準備中に米軍の退役軍人から大きな批判を浴びてしまう。「オダネルの写真と文章は、原爆投下によって日本の侵略行為と戦争が終結し、多くのアメリカ人の命が救われたという側面を軽視している。」と非難されたのだ。オダネルは同年、公共ラジオ放送NPRで「戦後の推移に照らせば、日本は通常兵器によっても十分に降伏させられたのであり、当時試算された本土決戦に伴う甚大な被害も回避し得たのだ。」と反論した。しかし結局、オダネルの写真展は、退役軍人が不快だと指摘した他の展示とともに、中止に追い込まれた[1]。