ジョー・ギブソン
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人物
- 来日直後
- 右足を高く上げる独特のフォームから豪速球を繰り出す超一流のサウスポー投手。初来日の記者会見では、日本のプロ野球をマイナーリーグ以下と見下し、周囲と打ち解けようともしなかった。自信家としての傲慢な発言が日本人に良くない心証を与えかねないとして無難な言葉に通訳した日下部に対して、高圧的な態度で厳しく説き伏せた[1]。
- 日本での公式戦初登板、バント攻撃に苛立っていたギブソンの投球が茂治の頭部を直撃しギブソンは退場となる。来日の理由を金と明言していたが、「この国に野球はあってもベースボールはなかった」[2]として急遽帰国を決意。
- デッドボール事件以後
- しかし、デッドボールの影響から試合翌日に茂治が死亡したことで、ギブソンの人生は大きく変容していった。贖罪の答えを見つけるまで帰国はできないという断固たる意志のもと、日本での契約を延長して計3年間プレーした[3]。
- このような経緯から日本滞在時代には、家族との良好な関係を築くことが疎かになり、妻は日本に慣れる事ができず、やがて離婚。帰国した妻・ローラと娘・メリッサは、交通事故により死亡してしまう。息子のメンタルケアを考え、帰国を決意する。
- メジャー再起後
- 本田茂治を死球で死亡させてからは、苦悩を背負い続けながらも乗り越え、人間的に大きく成長する。40歳を超えても、メジャーの第一線で投手として現役を続け、円熟した人間性により、多くの尊敬を集める人物となる。吾郎から父親を奪ってしまった罪を背負い続け、本田茂治の代わりに吾郎に「夢と目標」を与え続けるため、メジャーの第一線で投げ続けることを心に決めている。
- 本田茂治や妻子の死亡で失意に暮れていた帰国直後は絶不調に陥り、幼いファンにすら当りちらす時期もあったが、新人の心理療法士であるビリー・オリバーに「ファンに夢や希望を与えるのがプロスポーツ選手」と一喝され、野球人としての本来の自分を取り戻すことが出来た。
- 息子とのコミュニケーションにおいて優れない面もあり、一人息子のギブソンJr.は父を恨むようになるが、渡米して3A入りした吾郎との対戦を通して、父の存念と茂治のプレーを理解し、和解した。
- 以降も野球に人生を捧げる生き方や、時に周囲や我が身を顧みずにまい進する様、自他共に甘えを許さないスタイルが常に一貫しているため、息子への対応は変わらず厳しい。普段はギブソンJr.や吾郎に優しい言葉をかけることはないが、陰ひなたに彼らを見守り、次代のメジャーリーグを担う存在として期待している。
- その他
- 原作者の満田拓也は「自分の漫画が実写化される場合、誰に主人公を演じてもらいたいですか?」という質問に答える際、「かっこいいヒュー・ジャックマンにギブソン父をお願いします」と答えている[4]。
プレイスタイル
野球にすべてを捧げ、野球への情熱と不屈の精神力をもって野球に献身していく男である。ファンに夢を与えること、チームに貢献することに誠実で妥協をしない。厳格なたたずまいや他者への仮借ない一喝は貫禄に溢れる。W杯の対ベネズエラ戦では締まらない選手や監督を強く説き伏せる威厳を発揮した。勝利への執念が非常に強いが、決勝戦の最中には、たとえ敗れることになってもそれは問題ではなく、ボールパークには最高の夢がつまっていることを全身全霊でファンに伝えることが使命だと語っている。また、リーグ優勝決定戦で息子Jr.のチーム相手と戦った際には右手への死球で出塁し、果敢な走塁を見せた。三塁に進塁した時にサードを守るJr.に対し、ワールドシリーズ出場には名選手と言われる自分でも4回出場・2回世界一しかできないほど難しく、ワールドシリーズに出るには技術ではなく勝ちたいという気持ちが必要であることを教えた。
監督に就任してからは、データを重視した冷静で手堅い采配をしている。
- 球種
- 晩年は技巧派になったとも言われているが、現役復帰後は力強い速球も復活する。
- 変化球はスプリットフィンガードファストボール、スライダー、チェンジアップ、ツーシーム、カーブ(作中で判明した範囲だと、ムービングファーストボールやカット・ファスト・ボールも投げる)。
- ストレートは、日本での公式戦初登板で、初球にいきなり日本球史に残る159km(当時の日本記録最速を超えた)を投げて、夢はノーラン・ライアンの101mphと語った。これは後に達成されたようで、引退後の現役復帰への挑戦のときには自己最速の101マイル超えを夢として戦っている[5]。