ジンギス・カン (1965年の映画)

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脚本 ビヴァリー・クロス
クラーク・レイノルズ
原作 バークリー・マザー
ジンギス・カン
Genghis Khan
監督 ヘンリー・レヴィン
脚本 ビヴァリー・クロス
クラーク・レイノルズ
原作 バークリー・マザー
製作 アーヴィング・アレン
出演者 オマー・シャリフ
スティーヴン・ボイド
音楽 デュシャン・ラディック
撮影 ジェフリー・アンスワース
編集 ジェフリー・フット
製作会社 コロムビア映画
配給 コロムビア映画
公開 アメリカ合衆国の旗 1965年6月23日
日本の旗 1965年7月22日
上映時間 126分
製作国 イギリスの旗 イギリス
西ドイツの旗 西ドイツ
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
興行収入 アメリカ合衆国の旗 $3,892[1]
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ジンギス・カン』(原題:Genghis Khan)は、1965年制作のイギリス西ドイツユーゴスラビアアメリカ合衆国の合作映画

ジンギス・カンの生涯を描いた歴史映画で、ジンギス・カン役のオマー・シャリフはエジプト人であり、モンゴル人ではなく、その他のキャストも多くは欧米人である。また、ロケユーゴスラビア(当時)で行なわれた。

VHS&DVD邦題は『ジンギスカン』。

メルキトのジャムカ(スティーヴン・ボイド)に父を殺され、捕虜となっていたイエスゲイの子、テムジン(オマー・シャリフ)は、ある日脱走して捕虜の身から自由の身となりモンゴル国家の建設を決意する。ジャムカの婚約者ボルテ(フランソワーズ・ドルレアック)を略奪し、自らの妻とするが、それを恨んだジャムカによりボルテが犯されその子を宿してしまう。

テムジンらは東へ向かう途中、中国の要人カム・リン(ジェームズ・メイソン)を助け、北京に入城して皇帝(ロバート・モーレイ)の信頼を得る。当時の中国は満州族の侵入に手を焼いていたが、テムジンは軍をまとめて出陣し、満州族に味方していたジャムカを捕虜にする。喜んだ中国皇帝から「征服王ジンギス・カン」の称号を得たテムジンだったが中国での暮らしに辟易して草原へ戻ることを皇帝に願い出る。

テムジンを警戒した皇帝はジャムカを使ってテムジンの暗殺を試みるが、花火大会に乗じて長城の門を爆破し、テムジンの軍は草原へと戻っていった。草原に戻ったテムジンはカム・リンを軍師として迎え、黄河以北を征服。西はサマルカンドプラハまで攻略していった。

一方ジャムカはホラズム王(イーライ・ウォラック)に取り入り、テムジンとの最終決戦を挑む。ホラズムの軍はモンゴル軍の砲撃に算を乱して敗走するが、ジャムカはテムジンに一騎討ちを挑む。

史実との相違点

この映画は史実を大胆に脚色しており、金王朝と宋王朝を混同、チンギスハンのライバルの複数名を全てジャムカにするなどしている。

  • そもそもこの時期の宋は金に攻められて南に逃げており、金は女真族(のちの満州族)の王朝なので「北京に都する中国皇帝が満州族の侵攻に悩む」というこの映画の設定そのものが史実と関係がない。
  • 捕虜になって八つ裂きにされたのはチンギスハンの曽祖父アンバガイ・カンであり、ジャムカではなく金の皇帝に処刑されたのである。父の烈祖イェスゲイはタタル族に毒殺されている。
  • チンギスハンが合戦に負けて脱走した捕虜だったことは『元朝秘史』にも見えるが、捕まっていたのはタルグタイ・キリルトクであり、ジャムカではない。
  • チンギスハンの妻ボルテはメルキト族にさらわれたのであり、ジャムカとの関係はない。
  • カム・リンに史実で照合する人物は耶律阿海であるが、この人は女真族(のちの満州族)の金の臣であり、宋の臣ではない。[2]カム・リンはおそらく官職の「翰林」であろうが、耶律阿海が翰林の官だったことはなく、翰林の官だったために「カンリン」と呼ばれた同族の西遼の德宗耶律大石との混同であろう。[3]
  • チンギスハンの当時、北京(中都大興府)を治めていたのは宋ではなく女真族(のちの満州族)の金である。映画では宋が北京に都していたと混同しているが、宋が現在の北京を都としたことはない。宋の副都・北京大名府との混同と見られるが、両者は全く別の都市である。
  • チンギスハンが金朝から百人隊長の官を授けられたことは史実であるが、宋の官職を受けたことはない。北京で漢人を軍事指導したこともない。[3]
  • ジャムカはチンギスハンとのモンゴルの戦いで捕虜となり処刑されているため、ホラズムに仕えることはない。[3]

キャスト

脚注

外部リンク

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