ステファノ・タッコーニ
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16歳でサッカーを始めた[2]。その後、インテル・ミラノにスカウトされ、プリマベーラでプレーした[2]。1976-77シーズン、当時セリエDのASスポレートFCへと貸し出された[2]。1977-78シーズンは プロ・パトリア・カルチョ、1978-79シーズンはリヴォルノへと貸し出された[2]。リヴォルノで活躍を見せたが、インテルは、1979年にサンベネデッテーゼへ売却した[2]。
1980-81シーズン、アヴェッリーノでセリエAデビューを果たし、3シーズンレギュラーとしてプレーした[2]。
引退するディノ・ゾフに代わるGKを探していたユヴェントスFCの目に留まり、1983-84シーズン、ユヴェントスに加入した[2]。ミシェル・プラティニ、シレアらと共に黄金期を支えた。加入後すぐにレギュラーの座を獲得、1983-84シーズンのスクデットや、1983-84シーズンのカップウィナーズカップ、1984-85シーズンのUEFAチャンピオンズカップなどのタイトル獲得に貢献、特に1985年のトヨタカップ、アルヘンチノス・ジュニアーズ戦ではPK戦において相手選手の2本のシュートを止めて優勝に貢献[3]、後に、この試合がキャリアで最高の思い出だと語った[2]。1991-92シーズン、終盤まで正GKを務めたが、アンジェロ・ペルッツィが正GKとしてプレーするようになると、そのシーズンでチームを離れた[2]。ユヴェントスでは通算382試合に出場した[2]。長年チームのキャプテンを務めていた[2]。
1992シーズンからジェノアで年から2シーズン半プレー、ジェノア時代の1994-95シーズンには日本の三浦知良とチームメイトであったが、開幕から正GKを務めていたものの、シーズン途中に、マルキオーニが新監督に就任すると、正GKの座を明け渡すことになり、シーズン途中であったものの、37歳で現役を引退した[2]。12節のサンプドリアとのジェノヴァダービーに先発したのが現役最後の試合となった[4]。この頃、日本のチームからのオファーを受けたが、家庭の事情で移籍を断念した[5]。
ユベントスレジェンドの一員として2016年に来日した。
代表経歴
1987年から1991年までイタリア代表でプレーし、1988年のユーロ、1990年のイタリアワールドカップに参加したが、ガッリ、ゼンガらが同時期にいたため、控えに回ることが多く、出場7試合と少ない[6]。代表デビューは1987年6月10日のアルゼンチン戦[2]。 当時イタリアのメデイア、ファンの間で、代表の正GKはゼンガがいいか、タッコー二がいいかという大きな論争が続いたことがあった[7]。1990年のワールドカップ・イタリア大会の頃はゼンガよりも調子が良く、「もし自分が途中交代ででも、準決勝のアルゼンチン戦に出場していたら、PK戦を制したのではないか」と話していた[2]。そのゼンガとは、ライバルであり、互いを尊敬し合う友人でもあった[2]。
1988年のソウル五輪では正GKを務めたが、3位」決定戦で西ドイツに敗れ、メダル獲得はならなかった[2]。