アルド・セレーナ

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ラテン文字 Aldo Serena
生年月日 (1960-06-25) 1960年6月25日(65歳)
アルド・セレーナ
名前
ラテン文字 Aldo Serena
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1960-06-25) 1960年6月25日(65歳)
出身地 モンテベッルーナ
身長 183cm
体重 72kg
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1977-1978 イタリアの旗 モンテベッルーナ 29 (9)
1978-1985 イタリアの旗 インテル・ミラノ 51 (11)
1979-1980 イタリアの旗 コモ (loan) 18 (2)
1980-1981 イタリアの旗 バーリ (loan) 35 (10)
1982-1983 イタリアの旗 ACミラン (loan) 20 (8)
1984-1985 イタリアの旗 トリノ (loan) 29 (9)
1985-1987 イタリアの旗 ユヴェントス 51 (21)
1987-1991 イタリアの旗 インテル・ミラノ 114 (45)
1991-1993 イタリアの旗 ACミラン 10 (0)
代表歴
1984-1990 イタリアの旗 イタリア 24 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アルド・セレーナ(Aldo Serena, 1960年6月25日 - )は、イタリア出身の元同国代表の元サッカー選手。ポジションはフォワード。1980年代、特に子供たちからの人気を集めていた[1]

父親は元サッカー選手で、製革業者をしていた[1]。それまではバスケットボールをしていたが、11歳でサッカーを始めた[1]。モンテベッルーナのユースチームにはMFとして入団、多くの得点を決めていた[1]。1977-78シーズンにトップチームへと合流した[1]

1978年、コモインテルが共同で保有する形で、インテルに移籍し、プリマベーラでプレーした[1]。1978年9月27日、UEFAカップウィナーズカップフロリアーナ戦で公式戦デビュー[1]。11月19日のSSラツィオ戦、レギュラーのアルトべッリら数人が出場出来ない状態であったことから、先発起用され、ゴールを決めるセリエAデビューを飾った[1]。このシーズンは、公式戦4試合に出場したが、翌年はコモへとレンタル移籍、1980-81シーズンはバーリへとレンタル移籍した[1]

1981-82シーズン、ようやくインテルに複帰、リーグ戦21試合で2得点に終わるが、コッパ・イタリア決勝の第1戦では、トリノから決勝点を奪って優勝に貢献、初タイトルを獲得した[1]。1982-83シーズンは、当時セリエBに落ちていたACミランへと貸し出され、このシーズンの公式戦では、29試合で14得点と結果を残し、翌1983-84シーズン、インテルへと複帰したが、1984-85シーズンはトリノへと貸し出され、29試合で9得点と活躍し、イタリア代表にも召集された[1]

1985-86シーズン、インテルからレンタルされる形で[2]、ユベントスでプレー。移籍初年度、リーグ開幕節のアヴェッリーノ戦で得点を奪うと、開幕戦から8試合で6ゴールを決めるなど、このシーズンの公式戦35試合で20得点を決める活躍を見せた[1]。チームは、トヨタカップとリーグを制した。翌シーズンも公式戦36試合で16得点と活躍を続けた[1]

1987-88シーズン、インテルに複帰した。1988-89シーズンには、ラモン・ディアスが加入すると、ディアスとはプレーの相性が良く、優れた連携を見せ、ツートップでゴールを量産[3]、リーグ戦では22得点をあげ、セリエAの得点王を獲得すると共に、インテルの13回目となるリーグ制覇に貢献[1][4]。1988年12月11日のミラノダービーでは決勝点を奪い、優勝を争っていたライバルからの勝利に貢献した[1]。1989-90シーズン、3月18日のミラノダービーでは、2得点更にPKを奪う活躍を見せた。1990-91シーズンにはUEFAカップ優勝にも貢献した[5]。1990-91シーズン限りでチームを離れた。

1991-92シーズン、ACミランに移籍、怪我などで出場は、2シーズン合計で17試合と限定されたが、2期連続でリーグ優勝を果たした[5]。1992-93シーズン終了後フリーとなる。まだミラン所属時にJリーグ開幕前のヴェルディ川崎からオファーを受けるも高額な移籍金が生じるため移籍には至らなかったが[6]。親交のあったアレイニコフからJリーグに関する様々な情報を聞くなど、Jリーグのチームへの加入に前向きであり、1993年秋にはJリーグのチームと入団交渉のため日本を訪れた[6]。しかしJリーグへの参加は実現せずそのまま引退に至った。

代表経歴

イタリア代表としては24試合に出場し5得点を記録した[4]

1984年12月のポーランド戦で代表デビュー、1986年2月5日、西ドイツ戦で代表初得点を記録した。ワールドカップ・メキシコ大会では代表に選ばれたが出場はなかった。

1990年のワールドカップ・イタリア大会では、3試合に出場。決勝トーナメント1回戦のウルグアイ戦では交代出場から1得点1アシストを決めて勝利した。準決勝のアルゼンチン戦ではPK戦の5人目のキッカーとして登場したが、これを失敗してイタリアはアルゼンチンに敗戦した。

その他、1984年のロス五輪に出場し、グループリーグ初戦のエジプト戦で1得点を決めた[7]。チームは3位決定戦でユーゴスラヴィアに敗れ、メダル獲得はならなかった。

プレースタイル

脚注

外部リンク

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