ストロムネス
スコットランドの島で集落。オークニー諸島メインランド島の南西に位置する。
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ストロムネス(英語: Stromness 地元では [ˈstrʌmnɪs]ストラムニス)は、スコットランドのオークニー諸島第2の人口集積地。メインランド島の南西に位置する。この町を中心に小教区がバラを形成する。古ノルド語: Straumnes あるいは Stromnes ノルン語が語源とされる[3]。
| ストロムネス | |
|---|---|
島の眺め | |
オークニー諸島におけるストロムネスの位置 | |
| 面積 | 0.89 km2 (0.34 sq mi) |
| 人口 | 2,500人 (2018年中期推計値)[2] |
| - 人口密度 | 2,809/km2 (7,280/sq mi) |
| 住民の呼称 | Stromnessian |
| 英式座標 | HY2509 |
| - エディンバラ | 208 mi (335 km) |
| - ロンドン | 530 mi (853 km) |
| カウンシル・エリア | |
| レフテナンシー・エリア |
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| 構成国 | |
| 国 | |
| 郵便地域 | STROMNESS |
| 郵便番号 | KW16 |
| 市外局番 | 01856 |
| 警察 | スコットランド |
| 消防 | スコットランド |
| 救急医療 | スコットランド |
| 欧州議会 | スコットランド |
| 英国議会 | |
| スコットランド議会 | |
語源
地質
大西洋に面して高さ100–500フィート (30–152 m) の崖が連なり、ホイ海峡側は肥沃な低地帯が分布する。岩石は当地一帯に存在するウラン鉱脈を含めて地質学的に大きな関心の的であり、福音主義の地質学者ヒュー・ミラーの著書『The Footprints of the Creator or The Asterolepis of Stromness』(1849年刊[7][8][9]、『創造主の足跡またはストロムネスのAsterolepis 』)によって広く知られるところとなった。
市街地


住民はおよそ2,500人。旧市街は曲がりくねった特徴的な表通り沿いに発展し、そこから枝分かれした路地や小路をはさんで建ち並ぶ民家や店舗は、地域で切り出した石で築いてある。スコットランド本土との交通は、北海岸のスクラブスターとを結ぶフェリーが運航されている[10]。
16世紀に初めてストロムネスが記録に現れた際、当地には宿が1軒あると書かれていた。17世紀後半にイギリスとフランスが戦争を交わすと、イギリス海峡を迂回する商船にとって重要な港となり、定期的に捕鯨船団とハドソン湾会社の船舶が入港した。この地域出身のオークニー人の多くは、職業が商人や探検家、船員であった。探検家のジェームズ・クックが率いたハワイ諸島遠征には「ディスカヴァリー」号、「レゾリューション」号という船が参加し、クックが殺害されたのちの1780年、両船はこの港に寄港してから母港へ戻った。クック船長が生前最後の航海で用いたディナー用の食器一式は、19世紀の民家スケイル・ハウスに展示されている(所在地はスケイル湾、建築そのものはスコットランドA類指定建築物[11])。ストロムネス港は1893年に再建され、ジョン・バロンの設計が採用された[12]。
街の歴史を記録するストロムネス博物館は、捕鯨産業の遺物などを展示する。他にイヌイット工芸品なども鑑賞でき、これらは地元の人々が仕事で訪れたグリーンランドとカナダ北極圏から持ち帰った、いわば土産物である[13]。市内にある建物の多くは装飾にクジラの骨を使った、珍しい特徴を示す。
その埠頭に立つ探検家のジョン・レイ記念像は2013年に除幕された。ノース・ロナルドセー島出身の彫刻家イアン・スコットが手がけ[14]、レイの功績を伝える銘板には「北西航路の最末端を発見して航行可能にした人物」と刻んである。
教区
メディアと芸術
オークニー市立図書館公文書館のストロムネス分館[17]の建物は、図書館に使うようにと1905年にMarjory Skea(結婚後の苗字はCorrigall)[18]から寄贈された。
ピア美術センターが展示する20世紀イギリスの一連の美術品は、マーガレット・ガーディナーなどから寄付を受けた[19]。
ピーター・マックスウェル・デイヴィスのピアノ曲『Farewell to Stromness』は題名に「ストロムネス」の名前を用いた。一帯で計画されたウラン鉱山開発に抗議する楽曲『イエローケーキ・レビュー』を構成する間奏曲であり、ここで言う「イエローケーキ」とはウラン鉱石の精錬過程の初期に生じる粉末を指す。楽曲の初演の機会は1980年の聖マグナス音楽祭であり、作曲者のデイヴィス自身が6月21日にストロムネス・ホテルで演奏した。同年後半、ウラン鉱山開発は中止された[20]。
ドイツ生まれの彫刻家で文筆家のヘルベルト・ヴェッターアウアーにも、『ストロムネス』(2009年)という小説がある[21]。
著名な出身者
この町で生まれた作家のジョージ・マッケイ・ブラウンは ニューバトル・アビー・カレッジならびにエディンバラ大学在学中を除くと、人生のほとんどを当地で過ごした[22]。聖マグナス音楽祭の創設に尽力し、デイヴィスに委嘱されてオペラのリブレットを書いた人物である[22]。町を舞台にした詩『ハムナヴォエ』は、地元で郵便配達員を務めた父ジョンに捧げた一節を含む[22]。ブラウンの墓所はホイ海峡を見下ろす町営墓地にある。
造園家シルビア・ウィシャートも当地の出身で、ブラウンとは近所同士であった[23]。

