ティーヴィーラーク
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| ティーヴィーラーク | |
|---|---|
| 欧字表記 | T. V. Lark |
| 品種 | サラブレッド |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 鹿毛 |
| 生誕 | 1957年2月12日[1][2] |
| 死没 | 1975年 |
| 父 | Indian Hemp |
| 母 | Miss Larksfly |
| 母の父 | Heelfly |
| 生国 |
|
| 生産者 | Dr. Walter D. Lucas[1][2] |
| 馬主 | CR Mac Stables[1] |
| 調教師 |
William Molter →Paul Parker[1] |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 72戦19勝[1][2] |
| 獲得賞金 | 902,194ドル[1][2] |
ティーヴィーラーク(T. V. Lark、1957年 - 1975年)は、アメリカ合衆国のサラブレッドの競走馬、種牡馬。1961年のワシントンDCインターナショナルに優勝し、同年のアメリカ最優秀芝牡馬に選出された。また種牡馬としても実績が高く、1974年のアメリカリーディングサイアーにも選出された。
- 特記がない限り、競走はすべてダートコース。また、当時はグレード制未導入。
カリフォルニア州の生産者、ウォルター・D・ルーカスの生産したサラブレッドの牡馬である。1958年にデルマーのイヤリングセールに上場され、そこでチェイス・マッコイに1万ドルで落札され、同氏のCRマックステーブルのもとで競走馬となった[1]。
ティーヴィーラークはウィリアム・モルター調教師に預けられて、2歳時の1959年にデビューした。2歳時はアーリントンフューチュリティ(アーリントンパーク・6ハロン)に優勝[3]、また年末のカリフォルニアブリーダーズトライアルステークス(サンタアニタパーク・7ハロン)では2着馬ノーブルヌーアを3/4馬身差で破って勝利している[4]。
3歳になった1960年、4月2日に調教師のモルターが心臓発作のために急死し、それまで厩務員であったポール・パーカーが新たにティーヴィーラークの調教師となった[1]。3歳シーズン前半のティーヴィーラークは善戦続きで勝ち星に恵まれなかったが、後半はアーリントンクラシックステークス(アーリントンパーク・8ハロン)、アメリカンダービー(アーリントンパーク・9ハロン)、ワシントンパークハンデキャップ(アーリントンパーク・8ハロン)と連勝を遂げた。さらに、初めての芝競走となったユナイテッドネーションズハンデキャップでは同年のプリークネスステークス優勝馬バリーアークや、古豪ソードダンサーらを破って優勝している[5]。
4歳時はハリウッドゴールドカップなどに優勝している[1]。この年最大の勝ち星は当時の最強馬ケルソを破ったワシントンDCインターナショナル(ローレルパーク・芝12ハロン)で、この勝利によりティーヴィーラークは同年の最優秀芝牡馬に選出された[1]。その後5歳まで競走を続けたが、5歳時はフィラデルフィアターフハンデキャップ(アトランティックシティ・芝8.5ハロン)で勝つ以外は善戦に留まった。