テイスペス
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テイスペスという名はギリシア語形に由来する。古代ペルシア語ではチシュピシュ(古代ペルシア語: 𐎨𐎡𐏁𐎱𐎡𐏁 c-i-š-p-i-š(Cišpiš)<Cišpi-(チシュピ))という。チャイシュピシュ(Caišpiš<Caišpi-(チャイシュピ))という読みは誤りであると考えられている[2]。この名の意味と由来は明確ではなく、おそらくイラン語に由来するとされるが、エラム語に由来するという説もある。エラム語ではツィシュピシュ(エラム語: zí-iš-pi-iš(Zišpiš))、アッカド語ではシシュピシュ(アッカド語: ši-iš-pi-iš(Šišpiš))、新ペルシア語ではチーシュピーシュ(ペルシア語: چیشپیش Čišpiš)という。
同じ名を持つ人物として、紀元前503年と紀元前502年のペルセポリスの粘土板文書に登場する様々な量の穀物を受け取ったツィシュピシュがいる。この人物はエラムのツィラ・ウンパンという地域との関係がある。
概要

紀元前7世紀、テイスペスはエラムの都市アンシャンを征服した。ベヒストゥン碑文とヘロドトスの『歴史』7.11.2によると、テイスペスはアケメネス家の創始者アケメネスの息子であり、キュロス2世とダレイオス1世の共通の祖先である。キュロスの円筒印章でもキュロス2世がテイスペスの子孫であることが記されている。テイスペスは息子であるキュロス1世(キュロス2世の祖父)とアリアラムネス(ダレイオス1世の曽祖父)に領土を二分して与えたとする説がある[3]。この説によれば、キュロス1世はアンシャンを、アリアラムネスはペルシア(パールサ)を相続した。しかし、アンシャンとペルシアはおそらく同じ地域を指していたため[4]、この説は疑わしい。エクバタナの銘文にはアリアラムネスとその息子アルサメスがペルシア王であったと記されているが、これはおそらく後代のものであり、他の証拠はないため[3]、この2人は実際には王ではなかった可能性がある。
ベヒストゥン碑文とキュロスの円筒印章に記録されている系譜は次のとおりである。
| アケメネス | |||||||||||||||
| テイスペス | |||||||||||||||
| キュロス1世 | アリアラムネス | ||||||||||||||
| カンビュセス1世 | アルサメス | ||||||||||||||
| キュロス2世 | ヒュスタスペス | ||||||||||||||
| カンビュセス2世 | ダレイオス1世 | ||||||||||||||